ブルゴーニュの運河の風景は栃木と同じなんだろか?

2019.04.04 Thursday 23:08
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    2009年に始めて、ブルゴーニュの運河というものを知った。

    ゆっくりと流れるこの運河を、船を借りて夏の間バカンスで下っていく。途中の街で気が向いたら降りて観光をしながら、あとは日がな船にゆられて読書をするのだ、と家主のClaudineは言った。

    なんぢゃ、その夢のような企画。

     

    私は船は借りられないので、自転車を借りて休日に運河沿いをあてもなく走った。

    往復一時間のゆるりとしたサイクリングの間、会ったのは釣りをする一人のおじさんと、何もない運河の果てから突然現れて歩いてきて、すれ違いざま「ボンジュール、マダム」と微笑んでいった6歳ぐらいの男の子だけだった。

    おじさんはとうもろこしの缶詰の空き缶に餌をいれて釣り糸をたれていたけど、帰り道に覗いたバケツの中には、相変わらず魚は一匹も入っていなかった。

     

    話し声も、音もしない。

    あるのはただ、静寂という音だけ。

    両脇に広がる牧草の丘陵には、この土地にだけいるという白い牛たちがのんびりと草をはんでいた。

     

    私はすっかり

    ブルゴーニュのとりこになった。

     

     

     

    それから何度か同じことを繰り返し

    7年目のある日。

     

    そうだ、ここに友達を呼ぼうと思い立った私は、滞在の後半に古い友達を呼び寄せて、しばしのブルゴーニュの休暇を楽しんだ。

    彼女に一番見せたかったのは、この運河の風景で

    何よりも一緒にしたかったのは、運河のサイクリングだったから

     

    私たちは晴天の初夏のある日、自転車を借りて運河をただただ走った。

    初夏のブルゴーニュの運河を、パニエに水とサンドイッチを入れてのんびり走り、気が向いたら小さな村に寄り道をする。

    完璧だ、と私は思って、興奮気味に「ずっとこんな感じなんだよ、いいでしょう?」と彼女に呼びかけた。

     

    あー、と彼女は答えた。

     

    「うちの田舎の栃木とおんなじ感じね」

     

    え。

     

    栃木?

     

    いや、違うよ、ここ、ブルゴーニュだよ。ブルゴーニュの運河だよ。

     

    「田舎ってどこも同じ風景なんだなーと思って。咲いてる花も同じだし」

     

    草花好きの彼女はそれから、日本にも咲いているという知ってる花を見つけては写真を取り続け

    いたく満足して帰ってきたけれど

    日本とまったく違う風景を見せてあげられると思っていた私は肩透かしをくらったまま、なにかとてつもなく新鮮な体験をしたような気になったもんだった。

     

    ああ、そういえば

    それからパリに移動して、パリが初訪問という彼女に「エッフェル塔と一緒に写真撮ろうか?」と言ったら

    「いい、いい。毎日スカイツリー見てるから」と答えられ

    「セーヌ川のほとり歩かない?」と言ったら、「隅田川と変わらない」と言われて

    さらに、なんだか新鮮きわまりない気分になったのだった。

     

    眼の前に見える景色の中に、知っているものを探すのか、未知のものを探すのか。

    そして、人はやっぱり、自分に興味のあるものにしか関心は向かないのじゃなあ、と。

    もしかしたら私達はものすごく違うのかもしれないけれど

    それでも一緒に過ごした時間は、存分におもしろく楽しかった。

     

    この写真は、そんなことを思い出した一枚。

     

    ブルゴーニュの運河は何度でも行きたい。

    誰もいない運河のほとりを自転車で走っていく。

    思い出すだけで、ごはん3杯ぐらい、いける。

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    ダークサイドからの復活@テキサス

    2019.04.01 Monday 01:29
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      2013年。Austinにあるテキサス大学に通って英語を習った。

      4ヶ月。

       

      この写真は、そんなわけで、50歳過ぎてるのに大学なんか入っちゃったもんで

      授業で完全にダークサイドに落ちてどうしようもなくなったときに

      片っ端から検索して近所でなんか楽しそうなことないかと探して

      車で30分ぐらい走った先にあったアクセサリーのパーツショップで開催されていたワークショップに参加したときのもの。

       

      申込みは電話で、とインフォメーションにあったけど、電話での英語のやりとりに自信がなかったから

      もう、直接飛び込みで申し込みに行った。

      対面なら、ジェスチャーと笑顔で、しゃべれなくてもとりあえずなんとかなる、ってことはなんとなく学んでいたから

      あの頃の私は、なんだかもう、ずっとそんな感じじゃった。

       

      ネイティブの弾丸トークの場の中で、会話についていけず、ただ笑顔でいただけの前半だったけれど

      アクサセリーを作り出したら、場の空気が解けて

      その色はいい、そのビーズはどこにあった? 私の見てよ、、、とどんどん会話がはじまり

      ああ

      手仕事のちからはすごいなあと思ったもんだった。

       

      日本はこの手の講座は平日の昼ばかりだけど

      ここでは多くが夜だった。

      夫が戻ってから、子どもを夫に託してやってくる。

      うしろに立ってるおっちゃんは、奥さんの送り迎えについてきて、時間中楽しそうにみんなの作業を見ていたし

      終わり近くなると夫が迎えに来るという人もいた。

      なんかよかったなー、そんな感じ。

       

      この街の人達はみな本当に明るくて親切で

      滞在中に一度も嫌な思いをしたことがない。

       

      空が抜けるように青くって

      そして、ただただ、夏はすばらしく暑かった。

       

      この場所にはそれから3度ぐらい通って

      そこで会ったアーティストさんが別のアトリエでやっていたワークショップにも2回ほど行ったように思う。

      アクセサリーを作ったり、絵を描いたりすることが好きだと

      なんだか

      世界中どこに行ってもなんとかなっちゃうんだなーって

       

      なんかそれからふっと気持ちが軽くなって

      ダークサイドを無事に脱出できたんだった。

       

      私の英語は、今でもまったく役に立たないポンコツのままだけど

      ヘンなアジア人をニコニコ迎えて、優しくしてくれたこの時の人たちのことや

      私の滞在に力を貸してくれた人たちには

      本当に感謝してるんだ。

       

      今でも、この場所からバイバイと手を振って帰った時のことや、帰り道のあったかい気分が

      昨日のことみたいに思い出せるよ。

      Thank you Austin.

       

      ============================

      Austinってこんなところ

      https://www.austintexas.org/

      ご機嫌さね。

       

       

       

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      笑う

      2019.03.29 Friday 11:07
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        毎週金曜日に立つBioのマルシェで

        有機野菜を売っているおじちゃんにカメラを向けたら、満面の笑みで答えてくれた。

         

        こんな笑顔ができる年のとり方をしたいなーって

        誰もが思えるお手本のような笑顔だ。

        自分の作る野菜が大好きってこともわかる。

        こんなおいちゃんの作る野菜は、本当においしいのだった。

         

         

        笑顔って、実はすごく難しいもんだ、って最近よく思う。

         

        私は26歳の頃、バブル最盛期の六本木のインテリジェントビルの最上階のショールームに再就職して

        それはもう、最高レベルの「接客研修」を受けた。

        VIP接客のプロ養成だから、それはそれは厳しかった。

        で、最初に受けた洗礼が、「笑顔」だった。

         

        試験に受かった12人の同僚みんなが、手鏡を持たされて、「はい、笑って」と言われる。

        前職で接客をしていたという子は、いつどんな写真を取られても同じ笑顔を作れるというすごい特技があったけれど、図書館などに勤務していた私は、「笑顔」の作り方がよくわからなかった。

         

        広角を上げろ、歯を見せろ。

        言われた通りのことを何度も繰り返して、ようやく世間が「笑顔」と認めるものが作れるようになって

        最後の試験で笑ってみせたら

        「あなた、目が笑ってないです。目も笑うようにして」と言われた。

         

        目も笑え。

        なんだその、さくっと投げられる高度な要求。

         

        それから延々、手鏡を前に目が笑うという修行に勤しんだけれど、結局最後まで何がなんだかわからなかったよ。

         

        今ならよくわかる。

         

        幸福な人の目は、自然と微笑む。

        あの頃の自分の目が、微笑みと無縁だったのは、もう仕方のないことなのだと思う。

         

         

        先日、チャリティでポートレイトを撮る仕事をレフ板持ちながらお手伝いしたのだけれど

        何をしても「ほどけるような笑顔が撮れない」って人がいた。

        写真を撮るときの「笑顔」は、慣れと技術もあるので、

        ちょっとしたサポートがあれば、こぼれる笑顔の一瞬を拾えることがある。

        好きな食べ物や風景を思い浮かべてもらったり、好きな色をイメージしてもらったり、いろいろして

         

        素敵な写真は撮れたけど

        最後に「目が微笑む」のには、なにかこう、笑顔の技術とは別のものが関わっているのだと思う。

         

        年を重ねると、さらに、

        そう思う。

         

         

         

        モンバールのビオのマルシェのこのおいちゃんのように

        とっさに出る笑顔でまわりの人が一瞬で幸せになるような

         

        そんな時間の重ね方がこれから、できたらいいなって思うんだった。

         

        ==================================

        フランスではBioのマルシェがあちこちにあって、みんなBioが大好きで関心もすごく高い。

        BioってAgriculture Biologique(アグリクルチュール ビオロジック)の略のこと。

        日本だとオーガニック野菜とかいろいろ言われてるけど、実は日本は食品添加物の数が先進国でもダントツに高くて、日本食は健康にいいって思ってるけど、そのあたりにはいろんな問題があるわけで

         

        Bioの認定を受けるにはとても高いハードルがあって、その分価格もちょっと高いんだけど

        それを選ぶことで安全を手に入れられるっていう安心感がある。

        パリではモンパルナスの、ラスパイユ通りに立つマルシェ・ラスパイユが有名です。

         

        https://paris.navi.com/shop/5/

         

        毎週日曜日。

        行ってみてー。

         

         

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        ディジョンの天使と、「『死』の受容の嘘っぽさ」

        2019.03.26 Tuesday 13:26
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          暑さと疲労で朦朧となって迷い込んだDijonの美術館で

          汗だくになったシャツを脱いで展示室のソファに座っていたら、いつの間にかうとうと眠りに落ちていた。

           

          探し当ててたどり着いたわけでもなく、入場料無料という看板を見て、ただふらりと入った。

          そんな場所で、ぼんやりと眠り方覚めた私の前にいたのは

          こんな天使たちだった。なんかもうね、腰が抜けたね。

           

          美しすぎて

          そして

          静かで。

           

           

          昨年、思いがけずみつかった病で入院していた病院のベッドで

          絶え間なく聞こえてくるナースコールの音や、咳やうめき声みたいなものをかき消そうと

          私はネットでみつけたビザンツ聖歌を、ヘッドフォンで聞いていたんだった。

          病と死の同居した空間で、眠りが密やかに押し寄せて

          ぼんやりと意識が遠のきはじめたとき

           

          聖歌の歌声にのせて

          眼の前に、このディジョンで出会ったような天使が、一斉に集まってくるという不思議な幻視が起きて

           

          ああ、こんなふうに

          金色の光と、ひたすら天に登っていく天使たちに連れられるように死を迎えられるのなら

          それも、悪くはないな、と思った。

           

          そんなことを考えて、結局さくりと退院して

          まだまだ天使は当分迎えに来ないという生活に戻ることができた。

          よかった。

           

          あの時の天使

          ディジョンから来たのかな。

          とにかく、このディジョン美術館でブルゴーニュ大公の巨大な墓ともいえる彫像を守っている天使たちは

          超絶に美しいので、行くことあったらぜひ見てみて。

           

           

          さて、そんな風に日常に戻った私の一方で

          天使に連れられて逝ってしまった同級生がいる。

           

          彼女のは死の間際まで本を書き続けて

          その本が先日出版され、私の手元には彼女の死から3ヶ月後に、彼女の名前で献本が届いた。

           

          ステージ3Bの膵臓がん発見後、2年半闘病した記録が、天国から届いたのだから

          とにかく最後まで読まなくてはいけないという思いとともに、1ヶ月かけてやっと

          先日読了したんだった。

           

          ドキュメンタリーや教育番組の映像ディレクターであった彼女らしい

          客観的で、センチメンタリズムに流れない骨太の闘病記録だったけれど

          最後の章のタイトル

          「死の受容の嘘っぽさ」の文末に書かれていた事に、私は今も立ちすくんだままだ。

           

          =======================

          死はそこにある。

          そして、思わなくていいと、考えなくていいと言われても、考えてしまい、思ってしまう存在なのだと思う。

          だからこそ、怖くて、考えたくなくて、消えてほしい、その存在が消えて欲しい。

          けれども、そこにあるまま、そして、受け入れることができないまま、それでもいいのではないかと思って、最後まで生きるしかないのではないだろうか。

          当たり前のことだけれど、人は死ぬまで生き続ける、だから、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思う。

                       ー「いのち」とがん 患者となって考えたこと  坂井律子著 岩波新書より引用

          =======================

           

           

           

          もうずいぶん長いこと

          私は、誰もが必ず迎える「死」をどう受容できるのかと思いながら生きてきた。

          でもそうか。

          ただ、死ぬまで生きる。

          受容も、達観も、覚悟もいらない。

           

          それで

          十分なんじゃないか、って

          べー(友人のニックネーム)が最後に教えてくれたから

           

           

          ま、とりあえずは、そんな感じで今日を生きなくちゃって思う。

           

          たぶん

          きっと最後のときには

          あの日の夜のように

          ディジョンの天使が仲間を連れてラッパを拭きながら、黄金の光のあるほうへ

          私を連れていってくれるのかもしれない。

          だからこの写真は、大事に取っておいて、時々眺めるようにしておきたいな、って思う。

           

          =============================ー

          ディジョン美術館はこんなとこ

          https://beaux-arts.dijon.fr/

          日本語のサイトは

          http://www.mmm-ginza.org/museum/serialize/backnumber/0909/museum.html

           

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          過去は変えらるの? 変えられないの?

          2019.03.24 Sunday 16:38
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            土曜日、午後1時

            メトロ9番線のイエナ駅を降りてすぐの通りに立つマルシェ・プレジデント・ウイルソン横の

            ガレリアの中庭。

             

            このマルシェは水曜日と土曜日に立つ。

            ガレリアではちょくちょくおもろい展示をしているし

            対面にあるパリ市立美術館は、入場料がタダじゃ。

            少し高台になっていて、美術館のバルコニーからはセーヌ川とエッフェル塔が見えたりする。

             

            なんでも高いパリのど真ん中で

            なるべくお金を使わずに気持ちよく長い時間を過ごすのに、いつも居心地がよかったなーって思う。

             

            この写真は初夏の午後に、マルシェで買ったパニーニを食べようと寄った、そのガレリア横の中庭で撮った。

             

            カップルと小さな子ども。

            くぐもって聞き取れないフランス語の囁き声。時折交じる笑い声が、土曜日の午後の日差しの中で

            ゆっくりと、ゆっくりと時計を回して、私もすっぽりとそんな時間の流れ方の中に溶け込んでしまったんだった。

             

            私には、子供時代の記憶があまりない。

             

            暖かい日差し、幸福なぬくもり、かわされてきた親密な会話。

            記憶の底から引きずり出そうとしても、そんな記憶の断片がどこにもみつからない。

             

            家庭は、緊張と恐怖の場所だった。

            いや、でも、本当はもっと違ったのかもしれないと思う。

            幸福な時間はたくさんあった。

             

            でも、私が記憶していないんだった。

            記憶するのを、やめたのかもしれなかった。

             

             

            それで、タイトルに戻るんだけど

             

            過去は変えられないけれど、未来は変えられる

             

            って言うよね。

            それは希望の言葉なのかもしれないけれど

            そこそこ年を重ねてみると

             

            それはなんというか

            ちょっと切ないような気になる。

            未来を変えられるといえるようなエネルギーや時間が少しづつ減っていく人生の後半戦では

            私のような子供時代の過去を持つ人間は、もう何の変わりようもないのだと言われているようで。

             

            だから私はちょっと前に、脳科学者の人に教わった

             

            過去は変えられる

             

            って言葉を信じていたりする。

            人の記憶なんて、その人の脳に刻まれた断片的なものに過ぎなくて

            そして人の脳は、

            さして多くのことを記憶はできない。

             

            人生の、覚えておきたいことだけを編集してストックしているだけなら

            編集を変えれば、記憶の見え方が変わって、過去は書き換えられる。

             

            もし、編集できる元写真もないようなら

            自分で新たに、しあわせな記憶を書き加えればいいだけのことなんじゃないか。

             

             

            それ、先日 みうらじゅんが「死ぬ時に人は自分の人生を走馬灯のように思い出すっていうから

            じゃあ、自分が理想だと思う自分の映像をどんどんインプットすればいいんだ」って。

            勉強できてもてて、走りが早くて留学やスポーツの華麗な映像をNHKに作らせて

            「これを何度も見て、頭にたたきこめ」って言ってるの聞いて(笑)、

            なんか、ぽたんと膝を叩いたんだった。

             

            大切な自分の記憶領域をネガティブな記憶で占領してしまうぐらいなら

            ファンタジーであっても、幸福な風景に塗り替えていけばいいだけのことで

            それ、別に自分の記憶じゃなくたっていいんじゃね?

            って

             

            そう思えたら、なんだかすっかり気分が楽になったんだった。

             

             

            思い出したくない過去とか

            辛かった思い出は

            忘れていたいと思っても、ひょんな場面で突然湧き出してきて

            頭や心を占領していく。

            この年になっても、子供時代の苦難は鮮烈に蘇ってしまうことも多い。

             

            人の脳にさほどの記憶容量がないというのなら、そんなものが凌駕している場所を

            別の幸福な記憶の風景で満たしていけばいいだけのことじゃ。

            しあわせな写真という試みは、そんな気持ちも混じっていて

            だから

            最初の一枚のこの写真は

            たぶん、私の幸福な子供時代の写真なのだと思う。

             

             

            イエナのマルシェは水曜日と土曜日の朝7時から。

            水曜日は14時すぎにはしまってしまうから、早めにね。

             

            https://www.paris.fr/equipements/marche-president-wilson-5510

             

             

             

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            こころに刺さる色と出会うーモネの睡蓮の前で

            2019.03.22 Friday 12:52
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              パリのオランジュリー美術館で、ふと目に入った風景を撮ったらこんな写真になった。

               

              人物も、絵画も、すべてが色に溶け込んでいて、なんだかとても不思議な光景だけど

              オランジュリー美術館のモネの部屋は、どんなに人が多くても、部屋の中のどこに移動しても

              こんな風な色の洪水に満ちているなあ、と思う。

               

              モネの睡蓮については、書き出すと長い長い話がある。

              どっかに書いたはずだと思って探したけど、みつからない。

              でも改めて、また書く元気がない。ってか、もう何度も話しちゃった気がして申し訳ない気分になる。

              要は、10代の頃大好きだったけど、その後銀行のカレンダー画家と思うようになり

              ちょい軽視しながら26歳ではじめて現物を見て、あまりのショックで動けなかった、というような話だ。

               

              あれから、もう何度オランジュリーと、ジヴェルニーにあるモネの池に足を運んだかわからない。

              なんだか、モネとか印象派が好きだなんていうと

              渋谷のBunkamuraあたりにたむろっている文化おばさんの風情になりそうで(すません)

              あまり公言できないでいるんだけど

              でも、

              この場所はすごい場所なんだった。

              私の人生の中で大切なことを何度も教え続けてくれている場所なんだった。

               

              いろいろ思いはあるけれど

              それを飛び越えて

               

              この場所にある色の洪水は

              その時、目の前にたつ自分の状態で、さまざまな色を取り出して見せてくれる。

              それはたぶん、この部屋とモネの睡蓮の絵画と自分のすべてが、楕円形の居室の中に閉じ込められていることで

              モネの子宮の中に取り込まれたような錯覚をもたらしてくれるからなのでは、と思ってる。

              絵と対峙するのではない。

              絵の中に取り込まれてしまう。

              その巨大な絵は、すべて、画家が小さな筆で一筆一筆、描き重ねたもので

              自ずと、その空間はモネの生きた気配や、画家の眼差しに満ちたものになって

              だから、自分は思いもよらない場所に、いつも連れて行かれてしまうのだ。

               

              最初、シンフォニーのように迫りくる青の色に圧倒された私は

              その5年後

              その中に埋もれているピンク色の光に包まれて

              それから6年後のある日

              イコンにつながるような白い光に打ちのめされた。

               

              そこからまたいろんな人生を経て、

              この写真を撮った。

              また、違う色が、私に向かって飛び出してきて、また私は美術館の真ん中で動けなくなったんだった。

              この写真の中にこの少女が紛れ込んできたのは、たぶん、偶然じゃないように思う。

               

              モネの絵画の中には、その人の人生の一片を引きずり出してくる色の洪水がある。

              だから、また

              何度も行きたくなる。

               

               

              あなたには、何色が見えますか?

               

               

               

               

               

               

              この時、私にははじめて、青や白や緑に埋もれた

               

               

              が見えた。

              少女の服の中に、モネの青と赤が混在していることに

              いま、これを書きながら気がついて

              ちょっと

              はっとしているんだった。

               

               

              ========================ー

              オランジュリー美術館

              https://mikissh.com/diary/orangerie-museum-paris/

               

              ジヴェルニーのモネの家

              https://francetabi.com/giverny_claudemonet/

               

               

               

               

              category:Photo series | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

              タイムスリップしたコルマールの街角で

              2019.03.19 Tuesday 00:17
              0

                 

                もうほとんどドイツの国境に近いフランスの小さな街、コルマールに2泊。

                ぼんやりと街歩きをしていたら、こんな風景に出会った。

                絵本に出てくるようなレストランと

                その前で話し込む二人。

                 

                おとぎ話のような甘い風景がかろうじて現実に見えるのは

                どこか屈強なこの二人の男性のリアルなたたずまいのせいなのかもしれないけど。

                それでもやっぱり

                現実なのか非現実なのかよくわからない不思議な空気がこの街には流れていたなあ、と思う。

                 

                なんの気なしに立ち寄ったこのアルザスの運河沿いの小さな街が

                ディズニー映画「美女と野獣」やジブリ映画「ハウルの動く城」の舞台となっていたということを知ったのは

                滞在がもう終わり近くになってからのこと。

                「美女と野獣」の冒頭、主人公のベルが本を片手に訪れる街並みと

                「ハウルの動く城」の主人公ソフィーが働いていた帽子屋のモデルとして有名な館があるんだって。

                言われてみれば、たしかにそうかもしれない。

                 

                 

                ヨーロッパを旅していると

                本当におとぎ話の中に迷い込んだような街並みに遭遇することがある。

                日本でも飛騨高山の町家の風景や、京都の路地の風景にだって素敵な場所はいっぱいあるけれど

                なんというか

                景観を維持しようと努力して作り上げたというような生半可なものではなく

                もうその街自体がすっぽりと、タイムトラベルしてしまったような

                激しくどっぷりと、すっかり別世界というような場所が、ヨーロッパには本当に存在したりして

                 

                コルマールというのは、そんな場所のひとつだと思うー。

                 

                同じようなどっぷり別世界の場所として、私はベネチアが大好きなのだけれど

                以前、ベネチアを旅してきたという人が

                「ディズニーシーみたいな場所だった」と言うのだった。

                驚愕した。

                 

                どっちがオリジナルなんじゃよ。

                をい!

                 

                真似をして風景を切り取って作り上げた場所と

                もうその次元全体がタイムスリップしているその元となる場所と

                そのぐらいちゃんと見分けをつけて欲しいよって思ったんだけど

                 

                コルマールに思いの外若いオタクっぽい日本人カップルが多かったのは

                ここにハウルの城をみつけに来たからなのかな。

                それ、あとになって気づいたんだけど

                コルマールを「ハウルの城! ハウルの城!」って思いながら旅をするのも悪くはないのかな。

                ハウルの城、見てないけど。

                 

                ちなみにコルマールの観光の中心は「Petite Venise」=リトルベニス って言われている。

                でも、頼むからディズニーシーみたいだなんて言わないでね。

                 

                コルマールはパリからTGVで2時間半。まずはストラスブールに行ってから、そこからTERに乗り換えて30分。

                私はブルゴーニュ経由で行ったので、デジョンからてくてく北上していった。

                フラムケッシュっていうピザみたいなうまい食べ物があるよ。

                 

                =================================

                コルマール

                https://wondertrip.jp/78679/

                 

                 

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                パリの街角で、バスを待ちながら

                2019.03.15 Friday 10:27
                0

                   

                   

                  旅先でたくさん写真を撮るけれど、自分が写った写真はあまりない。

                  これは珍しく、パリでバスを待っている間の写真。

                   

                  ぼんやり写真を探していて、ちょっと小さく感動したので掘り出してみた。

                  これはたぶん、2017年に撮った写真だ。

                  場所はこの時滞在していたアパートの近く、Cardinal Lemoineのあたりだと思う。

                   

                  ちょうど昨日、Facebookさんが6年前に書いたものだよと、ひとつの投稿を通知してきた。

                  子育てと仕事で、長い時間旅をすることは夢のまた夢で、

                  そんな中で少しづつ、少しづつ積み重ねた旅の思い出。

                  6年前の私は、今回はこれまでずっと行きたかったダゲール街やモンパルナスの墓地、ヴェルビルやメニルモンタンのあたりも行きたい。ゆっくりと街歩きをして、バスにも乗りたいなんてことをたくさん書いていた。

                   

                  そうだった。

                  何度行っても時間切れで帰ってきてしまうパリの街で

                  自在にバスに乗るとか、中心から離れたところにあるなんでもない場所

                  (たとえばそれが、大好きなアニエスヴェルダの映画のワンシーンに出てきた風景のある場所であったり、金子光晴の「眠れ巴里」の中でたった数行出てきた安ホテルのある場所だったり、といったような)

                  を、時間を気にせず放浪するなんてことは、やっぱり夢のまた夢だったのだと想う。

                   

                  そういえば、ちょうど10年前にこんな記事を書いていた。

                  http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243616

                   

                  10年前の私は、こんなことを言っていたんだった。

                   

                  ”その50歳プロジェクトの筆頭にあるのが「フランス語を話せるようになる」だ。
                  人生が終わる前に、一度でいい。流暢にフランス語をしゃべる自分を体験してみたい。フランス人とジョークを言って笑い合う自分の姿を見てみたい。なんの目的があるわけでもない、たったそれだけ。でもそれは、20代のときから私が心のどこかで夢見たまま、何一つ努力をしてこなかったことだ。50歳までにその最初の一歩でもいいから踏み出したいと思った。”

                   

                  それでね。

                  今朝、冒頭の写真を見て、なんだかちょっとはっとしたのだった。

                  自在にバスに乗れるようになった。

                  メトロとバスの定期券NAVIGOもちゃんと自販機で買えるようになったから、何を気にすることもなく

                  行き先を確かめてバスを選んで、待っているのだ。

                  本屋に行くようになった。

                  なぜなら、フランス語が読めるから。

                  アパートを借りるのも普通にできるようになったし、日常のやりとりに困ることもなくなった。

                   

                  6年前にぜひ行きたいと思っていた場所のあれこれは

                  今ではもう勝手知ったる馴染みの場所で

                   

                  10年前に「一度でいいからフランス人とジョークを言い合って笑ってみたい」と思っていた私は

                  今は、フランスの友人がたくさんできて

                  ガハガハと笑いながら雑談をしている。

                   

                   

                  どれも小さな夢だったから、日々の生活で「夢を叶えた」なんて思うことはなく

                  でも

                  気づいてみたら、やってみたかったことは着実に

                  ひとつづつ、現実になった。

                  そんなことを、この写真1枚が教えてくれたような気がして。

                   

                  そんな自分の思いを見透かしたかのように、10年前のブログにコメントをくださった人がいた。

                  一歩踏み出すにはどうしたらいいんだろう、と。

                   

                  返事を書きながら、またまた今度は、25年以上前に、友人がかけてくれた言葉を思い出した。

                   

                  叩かない扉は開かない

                  でも、叩き続ければいつかは必ず開くんだよ。

                  もしあなたが扉を開ける勇気がないのなら

                  私が背中を押してあげる。

                   

                   

                  そうして小さく背中を押されて会社をやめて今の仕事をはじめた。

                   

                  その先の、今。

                   

                   

                  人生って長いようで、短いんだなあって思う。

                  でも短いから、扉は叩いたほうがいいし、一歩は踏み出したほうが、いい。

                  やらないよりは、ずっといい。

                  パリの街角で、バスを待ちながら。

                  そんなことを言える自分が、いまここにいるのは、なんだかとっても不思議だなと思うー。

                   

                  今年もまた旅をしたら

                  新しいことをなにか

                  できるようになりたいなと思います。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

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