テロのあと5割のツアーが中止されたフランスで、開店休業状態の職種は国に給与を保障されるらしい。でも中国の観光客はいっぱいいるよ。

2016.07.27 Wednesday 05:15
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    私のフランス語の先生情報によると、ニースのテロのあと、日本のフランス行きのツアーの5割が中止になったそうだ。

    身近な人にも、中止した人はいる。お金が戻ってこなくても、取りやめた人も多いそうだ。

     

    どこにいたって、危険はある。

    そう思って来てはみたけど、街はやっぱり人が少ない。

    こちらでガイドを仕事にしているお友達に会ったら、シャルリーエブド事件から徐々に減った観光客は、その後のパリのテロで壊滅的に減り、ようやく戻ってきたかな?と思ったころに、ニースでのテロが追い打ちをかけて、ほぼ開店休業状態になっているのだという。

    特に日本人はこうした事態にすごく神経質なので、今、パリに日本人観光客はすごく少ない。ツアー、ほとんど見ない。

    こんな風景は、かなりめずらしいなあと思う。

     

     

    それじゃあ、観光名所はどこも空いているのかというと

    中心部のノートルダム寺院とかエッフェル塔はざわざわと非常に混んでいて、かなり並ばないと入れない。

    多くは中国の人。

    そして、同じヨーロッパから来ている人。ドイツ語とてもよく聞く。

     

    ドイツなんて隣なので、もう、どこに行っても状況は同じってことなんだろうなあ、と友達と話していたんだけど、じゃあ中国は? というと、「私のまわりでは、中国の人はもしかしたら、あまり今の状況をニュースとかで知っていないのかも? という人もいるけど、まあ、でもたくましいんだと思います。日本は世界の中でも、かなりセンシティブって言われてます」、って。

     

    やっぱり島国であまり危機に面したことないし。

    私も今回こちらに来るときは、両親にもかなり心配された。

    田舎に行くから大丈夫! って言ったけど、今朝はノルマンディの田舎の街で、ISの若者が刃物で牧師を殺傷するというテロがあった。もう、あらゆるところが現場なんだなあ、と思う。

     

    ま、実際にヨーロッパで起きていることは現実として、

    実際に住んでる人は普通に生活をしてて、街はまったくもって平和に動いています。

    外から見るより、内側は凪。いまのところは。

     

     

     

    さて、そんなフランス、すごいなあと思ったのは

    こうして国家的な事情で仕事を失った人々に対して、(例えば観光や旅行、飲食系など)

    政府が60%給与を1年間保障するという制度があるのだそうです。

    なので、現状で閑古鳥状態の職種の人も、とりあえず1年は猶予をもらって生きていける。

    その間に事態は改善するかもしれず。ダメだったらなんかその間に考える、と。

     

    なんていうか、「働く」ということに対する国の考え方の日本との大きな違いをかいま見ることが多くて、時々ため息が出る。

    はあ。

     

     

    そんな状態のパリ、今日で6日目。

    一日にひとつ、美術館に行くと決めていたので(別に決める必要もないんだけど、なんとなく)

    そのあたり、備忘録で。

     

    月曜日は休みの美術館も多いのだけれど、モンパルナスに最近できたメンジスキー美術館という小さな個人美術館は、木曜日が定休あというので、ぶらりと出かけてきた。

    メンジスキーの作品を展示する以外に、20世紀前半のモンパルナスの風景を撮っていた写真家エミール・サビトリーの写真展をやっていたので。チャップリン、ピアフ、ブリジットバルドーなんかの素顔写真がいろいろあって、よかった。

    何より、空間がすげーいい感じで。

     

     

    こういう小さな美術館が、私はすごく好きで、来るたびに重箱の隅をつつくように、小さいところを探しては出かけている。

    メンジスキーは結構いいよ。おすすめです。

     

    しゃて、ここから歩いてモンパルナスまで、地下鉄の駅で4つぐらい。

    散歩がてら歩いて、郵便博物館に寄ってみようと考える。

    私の版画の先生が封筒フェチで(笑)、どっか行くたびに封筒買ってこいと半ば強制的にお願いされるので、聞きづてで郵便博物館のショップがいいよ、と知ったのであった。

     

    ほで、歩いた。

    みつからん。

    わかりやすい場所のはずなのに。

    でっかい郵便局があったので中に入って聞いた。

    あー、じょぼじょぼじょぼじょぼ。(聞き取り不可)

     

    後半のみ、この先の21蕃地、2番目の建物の左側にあるからと聞き取る。

    ほい、21番ね!  そうそう、21番だよ! 

    ってなことで歩く。

    歩く。

     

    みつからん。

     

    周囲ぐるぐるまわったけど、みつからん。

    おかしいなあ、ここのはずなんだけど。

     

    3回目に回ってきたとき、おっきな工事をしている建物のはしっこに小さい看板を見つける。

    …… ここじゃん。

    工事中で閉まってるじゃん。

     

    ほんで、博物館のショップのみ、ぜんぜん違う通りの21番地に移転しているという地図が出ていましたとさ。

     

    閉まってるなら言ってくれ。

    ってか言ってたのか? あのじょぼじょぼで?

    それにしても、道案内は完全に間違っていた。

     

    去年もそうだったなー。

    道案内、ほとんど期待できん。

    「あー、それメトロ駅のそば」終わり。

    で、行ってみたらぜんぜんそばじゃなかったり。

    もう、適当すぎて感動するほど、適当。

     

     

    ま、とりあえず30分ぐらい足腰鍛えたところで、郵便博物館ミュージアムショップってのだけが存在している場所はわかった。

     

     

    いや、しかしここ。

    単なる小さなお土産屋さんプラス、切手売ってる場所だった。

    ということで、封筒は買えず。撃沈。

     

    月曜日はそんな日でした。

    このあと、オペラ座のほうにまわって、i-martで日本食食材を買って帰る。

    こののち、ブルゴーニュに移動すると手に入らなくなるものもあるので、今のうち。

     

    翌日(つまり今日)。

     

    ランチをこちらのお友達と食べる約束をしていたので、その前にケ・ブランリー美術館へ。

    ここも大好きな美術館。

    一昨年、東京の庭園美術館に、ここからアフリカのマスクがいっぱい来たよね。

     

    今年は開館10周年だそうだ。

     

     

    そして、この左側のポスターが、今やっている企画展で、こりゃあむちゃくちゃおもろそうやないかい! ってことで意気込んで出かけたんだけど。

     

    いやはや。

    非常にフランス人的な?

     

    もう、なんと言えばいいのか。

     

     

    書き出すと長くなるのでやめとくけど、フランスって、ほんと芸術とファッションの国なんだけど、一歩間違えるとこうなっちゃうんだよねえ、なんで? 

     

    もう、ぜんぜんわけわかんないだよ、せんせー

     

    って気分で歩いていた中で、一番シュールでかっこい作品が! と思ったのがこれなんだけど

     

     

    これ、作品じゃなくて、収蔵品の収蔵庫がガラス張りになってて、そこで修復士の人がお仕事をしている風景でした。

    いや、映画の一こまみたいで超かっこよかった。

    ライティングがすばらしいね。

     

     

    ケ・ブランリーには広いお庭もあって、素敵なカフェとレストランもあるので、半日はぶらぶら遊べると思う。

    私は予定があったので、その後マレでおいしいビールとランチ。

    久しぶりにおしゃべりを楽しんでから、サンミッシェル界隈からパンテオンまで散歩して帰ってきた。

     

    そんな一日でした。

     

    明日は写真美術館が5時から無料の日。

    行ってみるべ。

     

     

     

     

     

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    アートは日常の内側にあるものなのか、外側にあるものなのか。世界一美術館に行くのは日本人、というデータからパリで考えてみた。

    2016.07.25 Monday 17:54
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      パリ、月曜日になりました。何して過ごしていたんだか。

      ほでも一日にひとつ、美術館に行くってことはやっている。金曜日にマレのギャラリーとブランクーシのアトリエ。土曜日にmaison rouge、日曜日にはパリ市立近代美術館に行った。

       

      金曜日は入場はすべて無料。maison rougeは10ユーロ。市立近代美術館は無料。

      ただし、近代美術館で開催されている企画展には入場料がかかる。今回やっていたのはPaula Modersohn-Becker、Albert Marquet。前者は31歳で出産を機に亡くなってしまったドイツの女流画家で、ダダイズムなどの近代美術の萌芽を感じる重要な画風、後者はモネなどの印象派を彷彿とさせるにもかかわらず、どちらかといえばイギリスのターナーと関係付けられるかなり独特な作風。

      私は二人とも、名前さえ聞いたことはなかった。でも、2つあわせて15ユーロの入場料を払っただけの意味があった。すんげーよかった。ありがとう。

       

      ほで、こんな展覧会が非常に賑わっていた。

      日曜日、ということもあったけれど。

       

      当然、こげなものに観光客はあまり来ないので、だいたいが地元の人で、1人で来ている人も多かった。

      ちなみに市立美術館の常設展は常に無料で、誰でもタダで入れる。

      セーヌの対岸にはエッフェル塔も見えるし、IENAの駅で降りて、向かい側にあるガレリアの庭園でごろごろして、美術館でトイレ寄って、ついでに絵を見てく、なんてのはお金を使わない素敵な午後の過ごし方だと私は思う。

      IENAには水曜と土曜日にマルシェが立つので(んで、これがすごくいいマルシェなので)、そこでサンドイッチでも買ってごろごろしていれば、一日遊べる。

       

       

      タダでも、この美術館のすごいところは、その収蔵品の多さ、クオリティの高さ。

      壁面いっぱいのマチスのダンスも、巨大なデュフィの「電気の精」の部屋も、お金払わず見せていただいていいんですか? と恐縮したくなる気前の良さだ。名だたる巨匠の作品も、コンテンポラリーもいっぱいあるし、たまに展示も変わるから、何度きても楽しい。

      キリコのコレクションなんて、汐留のパナソニックギャラリーに入場料払って見たものより、充実してる>笑

       

      そして、常によい企画展をしている。

      去年はヘンリー・ダガーが見れた。すごくクオリティが高かった。

       

      土曜日のmaison rougeでは、EUGEN GABRITSCHEVSKY(なんて読むのかぜんぜんわからん)っていうロシアの作家のタブローと、NICOLAS DARROT(フランス)のインスタレーションが企画されていて、これがもう、面白くて面白くて、かなり長い時間をだらだらと美術館の中で過ごした。

       

      それで思うんだけど、生活圏でただうろうろしているだけで、知らなかった作家、思いがけなく素敵な作品にどんどん出会える場所なんだなあ、パリって。なんか、ちゃんと提示してくれるっていうか。

      昨年も、これまで知らなかった作家の存在をたくさん知った。それが、ごく普通に、美術館だけでなく、公園や駅や、あらゆる場所で目に付くところに存在しているなあって思う。そして、それをゆっくり観賞できる。おしゃべりしながら。

      同時に、たいがいの家には誰かの作品の額が飾ってあって、「絵を手に入れる」ということに対しても、すごく自然な国だと思う。日常に、アートが内包されている。

       

       

      ここまでは、昨日までの備忘録。作家の名前忘れないように。

       

       

      さて、ここで本題なのですが(遅い)、

      日本って、美術館の来場者が世界一多いって知ってました?

       

       

      知らんかったよ、私は。

       

       

      ま、今年の若冲展の狂喜乱舞ぶりを見たら、さもありなん、とも思う。

      若冲なんて、5月10日に20万人来たそうだ。5時間並んで満員電車状態でなぜ行く?という質問は愚問かもしれないのでやめとくけど。

       

      ほか、歴代の入場者数は、NYやパリの数字を上回るそうで、近年では阿修羅展とかオルセー、マルモッタン、ルーブルあたりが上位に入ってる。最近は日本のいいもん的な方向が流行っているので、薬師寺や長谷川等伯なんかも記録を残してる。いずれも、大行列になr並んで見る、という状態は同じ。

       

       

      うーん、でもさ、と思う。

       

      みんな、そんなにアート好きだっけ?

      私の周りには、「あー、ピカソぐらいなら聞いたことがあるけど、あと知らない」とか、「ミロっていう人知ってる? え、知ってるんだ。さすが、すごいね!」なんてことを言う人もいて、なんか取り立てて絵が好きっていう人がいっぱいいるようには思えない。

      そして、作家にとっては受難の地で、絶望的に絵は売れない。私のやってる版画なんて、特にもう、だめぽ>笑

      それでも、美術館の入場者は世界一。

       

      わけわかんね、と思っていたら、

      学芸員の友人が面白いことを言った。

       

      「展覧会というのは、日本人にとっての”見せ物”文化に近いところがあると思う。

       珍しいものが好きで、見せ物に集まってしまうというのは、江戸時代からあったこと」

       

      うん、つまりはなんか物珍しいものがやってきて、そこに人が集まっているから、出かけてみている、ということ。

      行列はむしろ、「見る価値があるもの」のサインだから歓迎すべきもの、ってことになるのかな。

      もちろん、純粋に見たくて来るひともいっぱいいるけれど、どこかのゾーンに達した時点で、「見せ物」としての立ち位置が確立すると、あとは黙っていてもそこに人が集まってくる、ということなんだろう。

       

       

      もちろん、パリでもNYでも、企画展に人が並ぶことはある。

      ほいでも、大きな違いはそうした並ぶ企画展以外にも、常設展や小さい企画展がきちんと成立していることで、私の今回のパリのように、特別アグレッシブに動かなくても、ちょっとしたいいもんに巡り会えることが多いってこと。

      日本だと、かなりアグレッシブに探して歩かないと、なかなか新しいものには出会えない。

      最近は小さくてよい展覧会が増えたなあって思うけど、それでも普通に暮らしていたら、目に入るのはよく見知った「ブランド」展覧会がほとんどで、それがあるゾーンに達すると、異常に人が殺到するという現象が続いている気がする。

       

       

      それ、どうして??

       

       

      って思ってるんだけど

      それはどうやら、日本の展覧会がメディアの後援を受けて成立しているところにも理由の一端があるようだ。

       

      大きな展覧会には、新聞社やテレビ局、広告代理店などの後援がつく。

      それ、海外では存在しない、戦後から続く日本独特のシステムなんだそうだ。

      読売新聞契約すると、野球のチケットだけじゃなくて美術展のチケットもらえたりね。

      あとグッズの売り上げも後援側に入る仕組みもあるそうで、結果的に集客が収益そのものに結びつく仕組みになっているんだと。

       

      そういう仕組みがあるから、メディアは自分の得意分野でがんがん特集記事や番組を作る。

       

      それを見て、人が殺到する。

       

       

       

      結局、ある種の展覧会の軸が、メディアという経済軸と大きく関わっている、ってことなんじゃないかと思う。

       

      日本ではアートが生活の内側に含まれているというよりも

      暮らしの外側で、イベント=見せ物 として現れることが多くて

      だから、絵を買うとか、新しい作家を応援してみるというようなことよりも

      テレビや新聞がいいよ! って言ってて、どうやら人もいっぱい集まっているらしいという場所にでかけていき

      ああ、これがあの、みんながいいよって言ってたものだ、、、と確認する

       

      というスタイルになりがちなのかもしれない。

      個人の価値感より、集団としてのメディアの価値感が主体となって

      ケである暮らしの外側に、ハレとして存在するもの。

      そういう存在そとしての展覧会が、イコール、アート。ってこと???

      わからんけど。

       

      展覧会の入場者が世界一って、誇れる事だと思うけど

      うーん。どうなのかな。

      美術、アートって、個人個人の価値感を最大限に自由にしてくれる分野で

      だから、ちゃんと、自分の内側にアートの軸を置いておかなくちゃいけないんじゃないかなー、なんて

      せちがない最近の日本では、よく思ってる。

      こちらの美術館で、絵を前にしていろいろ批評し合ってるような姿を見ると、なんか純粋に、うらやましい。

      どんなにメディアや権威が「よいものだ」と言っていたとしても、それを「嫌いだ」という権利は、私たち一人一人の中にある。

       

      同時に、ぜんぜん知られておらず、評価されていないものを、「大好きだ」と特別な場所に置く自由も、私たちの中にある。

       

      ちなみに、いまギメ美術館では、アラーキーの展覧会やってるよ。

       

       

      ものすごくいい展覧会。

      美術館の4階には、田辺小竹さんの竹のインスタレーションも今、展示されてる。もうすぐ会期終わりかな。

       

      日本人として、すごく誇りに思う。

       

       

       

      今日は月曜日だから、美術館はお休み。

      唯一空いてるポンピドーでは、クレーの展覧会やってるようです。

      さて、どうしようかなー。

      クレー、大好きだけど。

       

      のんびりごはん食べながら考えます。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

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      「2分の動画で十分です」の時代に、実速度の制作動画を流すルイ・ヴィトン展で考えた悲喜こもごもなこと

      2016.07.24 Sunday 18:51
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        すごいよ、毎日10時間ぐらい寝てる。どんだけ疲れてたのか。

        「パリ」という名前の空気の温泉に浸かっていると思えば、温泉療養という気がしてきたここ数日。

         

        今日はバカンス突入後の日曜日、さらにはツールドフランスの最終ゴールがシャンゼリゼで行われる日。

        アヴィニヨンの演劇祭に行っている友人によると、昨夜お祭りがある場所での爆破予告があって一時騒然としたそうだ。

        「楽しそうに人が集まっている」ところをテロリストは狙っているんだ、という。

        だから、敢えてそういう場所を選んで出かけない、と思っているんだけど

        でも、そんなパリで昨年同様、セーヌ側沿岸がParis Plage になっているのはある意味すごいなあと思う。

        日本だとすぐ「自粛」となりそうで。

         

        ただ、パリでのテロのあと、現地の友人から

        「日本人が常に地震の恐怖と隣り合わせなのと同様、私たちもテロの恐怖と共存していかなくてはならなくなりました」

        と言われて、へ、それって同じものだったん? と思ったこと、改めて思い出した。

        東京、いま地震多いし。

        うーん、でもそうなん?

         

        わかんない。

        とりあえず今日はあまり出歩かない。パリ温泉で療養する。

        朝から絵を2枚ほど書いた。

        吉本新喜劇を見た。

        洗濯をして、冷蔵庫の中のものを食べた。

        すごく、幸せだ。

         

         

        さて、そんなすっかりゆっくりな時間の中で

        こちらに来るちょっと前に見た展覧会の事を思い出している。

         

         

         

        パリのグランパレで開催されたのち、紀尾井町に来たルイ・ヴィトンの展覧会。

        入場無料。

        でも、そのクオリティの高さに息をのんだ周囲の人たちは多かった。

        いや、すごかったよ。素直に、すごく感動したー。

         

        私はブランド品にほとんど興味はないけれど、ここ数年東京でも開催されているDiorやHermesの展覧会などを見ると、世界的な地位のあるブランドが、文化に対してどういう姿勢でいるのかがよくわかる。

        一部の日本の企業のように、創始者が自分の趣味や税金対策のために買い集めたお宝を並べて入場料を取るようなもんとは根底が違うな、と思う。

         

        パリにあるFoundation Vuittonの美術館は入場料を取るけれど、若手のコンテンポラリーアート作家に広い支援をしていて、それはすばらしいことだなあ、とよく思う。ヴィトンのバッグはぜんぜん好きじゃないけど、やってることはすごい。偉いぞ、ヴィトン。

         

        で、そんなヴィトンの展覧会で、私が一番好きだったのが、最後の部屋にあったビデオの数々だった。

         

        最後の部屋では実際にヴィトンの職人さんが作業している姿を見ることができるんだけど、その横でさまざまなバッグが作られる行程が、ビデオになって流れていた。ただ、延々と職人さんの手元を、俯瞰カメラで撮ってるやつだ。

        物作り大好き人間にとっては、たまらない。

        え、皮そうやって貼る? そこ折り返す? あー、その順番で組み立てる?

         

        もう楽しくて仕方ない。

         

        すっかり動けなくなって、座り込んでずっと見てた。

         

         

         

        それで、やっと気づいたんだけど。

         

         

         

        このビデオ、すべて実速度なんですわー。

        人が作る速度で、ただただ延々と撮られてるの。

        なので、10分ぐらい座り込んでみてても、バッグぜんぜんできないの。

        片側の皮を折り返して貼る、ってところまでがようやく見えるぐらい。

         

        えー? それで最終的にどうなんの?

        完成型はどのバッグになんの?

        なんもわからない。

        いったいいつまでここに座ってりゃいいんだ、と思うと気が遠くなる。

        どっかではしょられるのか、と思って見てるんだけど、ぜんぜんその気配がない。

        とにかく、ただ、作る速度で撮られている。

         

         

         

        いやああ。

         

        感動したね。

        これでいい、と思っているということに。

         

         

         

        これ、おそらく日本の何かの展覧会で、動画撮る会社に依頼したら

        「倍速か4倍速にしないと誰も見てくれないですよ。途中無駄な行程ははしょりましょう。とにかく見てもらうことが大事ですから」

        となるに違いない、と勝手に思う。

        ってか、もうネット上の動画のほとんどがそれでしょ?

         

        「料理レシピ読むの面倒だし、用語わかんない。動画のほうがよくわかる」

        的な。もう、スピードめちゃ早いけど、そんなかでもちゃんと伝わる、みたいな。

         

        いや、それもすごくいいツールだなって思うんだけど

        なんか一事が万事そういうことになってきて、自分の立ち位置が何かよくわからなくなっちゃったな、ってこのところ思ってたから。

        だからヴィトンの動画はうれしかった。

         

         

        私は、「書く」ってことを基本にずっと仕事をしてきていて

        インターネットが普及しだした1990年代後半、それまでの紙媒体での発信ではなかなかできなかったことが、ネットに「書く」ことで大きく広がったことを身を以て体験した世代だった。

        私が選んだテーマは「働きながら育てること」。

         

        なんだか生きにくい、肯定してもらいにくい、とにかく時間なくて大変。

        そんなハードルを、書いて発信して、情報交換し合うことで少しづつ低くして、

        なんかそんなに頑張りすぎることなかったねー

        同じような人いっぱいいたねー

        なんだー、こんな自分のままでいいんだねー

         

        なんてことを確認し合いたかった。

        ただ、そんな思いで「書く」ことを始めたけど、

        そんな自分が社会からありがたいことに認められ出したあとは

        「家事の時短」ってところだけが大きくフォーカスされてしまって

        私は「時短のプロ」になった。

         

        そもそも、「時短」って言う言葉が嫌いだった。

        伝えたいのはそういうことじゃなかったから。

        allaboutのガイドをするようになって、そのコーナーの名前に「時短」がついて

        時代も相まって、なんだか家事のライフハックが専門みたいな捉え方をする人もいて

        そして畢竟

        ライフハックは「アイデア」にほかならないので

        私の仕事は「書く」ことよりも、「アイデアを出すこと」に偏っていくことになった。

         

        仕事をさせてもらったのはすごくありがたくて楽しかったし

        それで子どもも育てられたし

        アイデアを考えるのは嫌いじゃないけど、でも

        どっかで違うところ歩き出してないか? ってよく自問自答してたところに

         

        少し前に来たのが

        「家事の動画コンテンツサイトを立ち上げるためのベースになる動画を作ってくれ」というお仕事。

        いまどきの人は、文字を読みません。

        情報は動画の時代がやってきました。

        でも、動画は見てもらえても2分、最長でも5分が限度です。まあ、5分だと途中で飛ばされます。

        2分前後で完結する時短家事コンテンツ動画を50個ほどお願いしたいです。

        ももせさんがベース作ってくれたら、あとは真似して主婦が自分の情報をアップしてくれるので

        ……。

         

        えっと、家事って両手を使いますよね。

        アクセサリー作りみたいのならわかるけど、掃除や洗濯の動画を、主婦がどうやって撮るんですか。

        そんで、その投稿された動画の著作権や使用権はどう取り決めてあるんですか。

         

        いろいろわからんことが多かったので、お断りしたけど、

        その時心に重く残ったのが

         

        「もう誰も文字読まない。動画も2分が限度」

         

        という言葉だった。

         

        なんか、もうそういうことだったら、いいや、と思った。

        早回しで2分で伝えればオッケ、という動画を撮るためのアイデアを出すことが自分の仕事なら

        もう、いい。

         

         

         

        ここんとこの、そういういろんな気持ち。

         

         

        ヴィトンの映像見て、なんかすごく癒されたんだよ。

        実速度でいい。

        何も解決しなくていい。

        だって、ほんとにその速度でやってんだから。

        で、その速度に意味がある仕事をしているから

        早回しなんてしない。

         

        いろんな意味で、心が動いた。

         

         

         

        そんで、そんな風にしみじみ動画を延々と見ている私の後ろには、何組かの人たちが入れ替わり立ち代わり

        同じ動画を見ていたんだけど

        最初に耳に入ってきた会話が、また、すごくよかったんだ。

         

        「あー、私、今これ見て自分の仕事、すごく反省してる!」

        「なんで」

        「早さが価値じゃないんだよ。この速度でゆっくりと、丁寧に確実に作る。それが大事なんだなーって」

        「ああ、なるほどねー」

        「日本の縫製工場ってさ、もうどんだけ早いかが一番なの。ミシンも早さ競争みたいになっててさ。

         そういうことじゃないよね。あー、もう私今すごい自分のこと反省中ー」

        「うんうん!」

         

        アパレル系の若い女性2人だった。

        いい。

        すごくいい。

        そうだよね、そういうことだよね。

         

         

        しばらくしたら、後ろから聞こえてきたのはこんな言葉。

         

         

        「なんか、すごく効率の悪いつくり方してんだな、ヴィトン」

         

        40代ぐらいの男性だった。

        同じもの見て、感じる内容の違いが面白い。

         

        最後に聞こえたのは

         

        「あ、これあの形のバッグでしょ。これいくら? 30万ぐらいで買えるやつ? 私ちょっと欲しいかも」

         

         

         

        いろいろ、安心する>笑

         

         

         

        だからといって、私、家事や暮らしを「丁寧に時間をかけて、確実にやりたい」と思ってるわけじゃぜんぜんない。

        そもそもが、女性に対してそういうことを言いたがる、形のないプレッシャーに対して

        「そういうことじゃないよね」と「言葉」で伝えたかったのがスタート地点だ。

         

        結局、私がやりたかったことは、時短家事のアイデア出しじゃなくって

        もっと女性が自由に、自分らしく生きるにはどうしたらいいのかな? ってことだったんだと思う。

        家事や育児に対する価値感を、外側から規定されるんじゃなくって

        自分なりに編集して、そしゃくして、やっていけるといいなって思ってるんだと思う。

         

        2分の動画じゃ、それは伝えられない。

        そして、価値感も、早回しでは変えられない。

         

         

         

        そんなちょっと小さくくじけ続けていた自分にとって

        ヴィトンの展覧会はすごく、元気をもらえる展覧会だった。

         

         

         

        おまけだけど、息子がみつけてきた、カメラのライカの動画。

        カメラ本体を磨く作業が、延々と40分の動画に収められている>笑

        「早回し」で伝えられないことを、どうやって伝えていくのか。

         

        それ、動画時代のこれからの大きな課題だな、って思ってる。

         

         

         

        そんなことパリで考えてる日曜日。

        こんなブログを、なんだか読んでくださっている方がいて

        そんな人たちの存在を思うと

        もう、いい、

        って思ってた「書く」という作業を、まだ続けていってもいいのかな、ってちょっと勇気をもらってる。

         

        ほんと、ありがとうございます。

         

         

        今日の朝ごはん。

        何度も言うけど、ほんとに朝ご飯がラク>笑

         

        こないだ講演先で話したら、「やっぱり日本人はごはんじゃないと。私はパンじゃ無理です」

        っていう方がいらしたけど、私はパンでいいので、ほんとラク。

         

        パン、うまい。

         

         

         

         

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        北マレのギャラリーからアンファンルージュを回って、ゲテリリックへ。そしてこの街で一番かっこいい場所へ。

        2016.07.23 Saturday 04:43
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          年明けからいろいろあった上、春からは週2日美大に行くようになって、なんだかいろんな変化についていけなくって、去年に比べて今年の私は、何年かまとめて歳を取ったような気がしてた。

          人生って、たまに転機ってやつがあるもんなんだな。

          んなわけで、今年のパリは、昨年のパリと同じようでいて、ちょっと違う気がします。

          私が違うだけかと思っていたけど、テロの連鎖のあとで、街もちょっと違う。

          観光客少ない。

          街は日常だけど、やっぱり、何かが違う。お互い。

           

          ちょっと元気がない、とも言えるけど

          逆に言えば、私自身は肩に力が入っていなくて、いい塩梅に自然体になった。

          ソルボンヌの文明講座に通うんだー! なんていう去年の意気込みも今年はないし

          去年に行きたい場所はだいたい頑張って行ってしまったので、今年はその穴埋めをして歩くか、おさらいをして歩く。

          ともだちにちょい逢う予定を入れたぐらいで、なんの縛りもないから

          一日2時間ぐらい出歩いて、あとはアパートでぶらぶらしている。

          パリ温泉宿にいるようで、それはそれで、なんかとても贅沢だ。

           

          ということで、今日は昨年見逃したゲテリリックに行く予定を立てた。

           

          んが。

           

          予定立てるって、頭使うんだねー。改めて考えると。

          どの駅から乗り換えて、どこ歩いて

          ほで、そのついでにどこ回ろうかとか

          定休日じゃないよね、時間は何時から? とか

          そんなこと考えるのがとても楽しいときもあるけど

          今回はちょっとめんどくさい。

           

          あれ、結構エネルギー使うんだなあ。

          去年はようやったなあ、自分。

          脳みそが活発に動いていたんだろうな、去年。

           

           

          ほなもんで、とりあえずゲテリリックは午後14時開館ってのだけ確認したので

          それまでの時間、大好きな北マレのあたりのギャラリーを冷やかして散歩してから行こうと思った。

           

          マレ地区はるるぶ的な観光マップで「若者のおしゃれな街」となっていることが多いけれど

          路地が多くて、人が多いのに小さくて入りにくい店がごちゃごちゃと集中していて、私は結構苦手。

          でも、北に行くと、外側からわかりにくい建物の中庭なんかに

          おそろしくおしゃれな洋服屋やギャラリーが隠れていて

          すごく楽しい。

           

          マレはピカソ美術館の南側より、北側が断然おもしろいです。

           

          このあたりは、若い作家たちの個展があちこちで開かれていて、東京で言えば銀座のギャラリー街みたいな感じ。

          東京のギャラリーも入りにくいけど、パリのはさらに入りにくい>笑

          いや、堂々と入っていけばいいんだけど

          やっぱり、なんだか敷居が高くて腰が引ける。

           

          こんなところを、スマートにアテンドしてくれる初老の紳士などがいたら

          さぞかしよかろう、、、、という妄想ワールド満開で歩く。

           

           

          ドラム缶ひろげて貼っただけ? ってなタブロー。

          車つぶしただけ? ってインスタレーション。

          今年は写真の個展が多かった。

           

          中でもかっこよかったのはこれかな。

           

           

          右下がりだけど。

          右側の白ののみのタブローがかっこよかった。白、好きだ。

           

          途中みつけた、「ひげの床屋」。

          口ひげ、あごひげ整えますって書いてある。いい、なんかとっても、いい。

           

           

          入り組んだ路地をギャラリーを見て歩いているうちに、お約束通り、迷う。

          迷いながら、とりあえずの目印にしたアンファンルージュの市場になんとか到着。

           

           

          ここはパリで最も古い市場で、中には野外レストランみたいなお店がいっぱいあって、ランチできたりして結構楽しい。

          アンファンルージュって、「赤い子ども」って意味で、隣が孤児院だったからそう名付けられたそうだ。

          今日は何も食べずに通り過ぎる。

           

           

          パリのマルシェでは、たいてい誰かが話し込んでる。

          地下鉄でスマホやってる人も少ない。電話持ってたら、たいてい、誰かに電話して話し込んでる(電車の中でも、だ)。

          フランス人はすごくおしゃべりで、コミュニケーションが大好きで、でも、話していることは結構他愛ないことが多い。

          こっちでフランス人と結婚した友人が、

          「男は寡黙なのが一番ですよ。もう言葉はたくさん、しゃべらない日本の男のほうがいいです!」

          って言ってたの思い出す。そんくらい、男もよくしゃべる。

           

          途中で喉が渇いたのでコーラを買った。

          スーパーのレジの女性と、私の前にいた黒人の男性が、私が買ってる間もずーっとしゃべってて、それを横目にお金を払って出て来たけど、でも、そんなのもパリのよい風景だな、と思う。

           

          アンファンルージュを抜けて、去年はバカンスで閉まっていたゲテリリックに、なんとか歩き着く。

          ここは2011年に作られたフランス初のメディアセンター。古い劇場を改装したもので、中を見てみたかった。

           

           

          中はラボや図書館があって、若者が自由に使ってる感じ。

          いいな、こんな場所で、勝手に色々作ったり、勉強したりしてる。「場所」があるって大切なこと。

           

           

          残念ながら、展覧会はもう終わってた。

          来週月曜日からまたバカンスに入って、9月初旬まで閉鎖される。とりあえず、中見れた。よかった。

           

          ほんとなら、ここからまた北マレに戻って、帰宅路線途中にある顔料屋さんで買い物をしようと思っていたんだけど

          ゲテリリックで展覧会が見れなかったので少々不完全燃焼となり

          このまま南下すれば、この街でいちばんかっこいいと思っている場所に行けることを思い出し

           

          ぷらぷらと歩くことにした。

           

          途中で、フレブルの看板犬に遭遇。

           

           

          かわいい、やばい。

          ちょこちゃんに会いたい>笑

           

          ごちゃごちゃした中国系のバッグやアクセサリーの卸問屋を冷やかしながら

          このへんてこな建物を目指す。

           

           

          ボンピドゥーセンター。

          中の逸品は今、東京に来ちゃってるよ。

           

          でも、お目当てはこの美術館ではなく、

          この美術館の片隅にひっそり立っている、ブランクーシのアトリエ。

          こちらは入場無料。

           

           

          ブランクーシかっちょいい。

          まぢ、ほんとに、かっちょいい。

          なんだろう、これ。

           

          乱雑に、無造作に置かれているようで、実は精密に計算された配置になっている。

          ブランクーシが、こだわりにこだわって、配置を決めたのだそうだ。

          どの角度から見ても、完璧な配置になってる。

          来るたび、ため息が出る。

           

           

          工具萌えとしても、たまらない。

          本当に、何もかもが、かっこいい。

          そぎ落とされた形。ミニマムな色。

          ブランクーシの名前をはじめて知ったのは、確か高校時代だったと思うけど

          それ以来ずっと、やっぱりこの人の作ったものはいつ見てもかっこいい。

           

          そういえば、北マレで出会ったタブローも白だった。

           

          ブランクーシの白に見入りながら、

          ちょっと前に、そういえば、オランジュリーにあるモネの睡蓮を見たときにも

          ほかのどの色よりも、白が自分に語りかけてくることに驚いたのだった。

           

          いま、ちょっと、自分は「白」の時代なのかもしれない。

           

           

           

          帰りの地下鉄の駅にたどり着く前に

          BHVのデパートにつかまり>笑

          70%オフというとてつもない誘惑の服と靴の売り場で1時間ほど時間を浪費して

          それでも買わないぞ、と決意して帰った自分は偉いと褒めながら

           

          なんか疲れたので、顔料のお店には寄らずに帰った。

           

           

          何したのかようわからん一日だったなーと思ったけど

          夕暮れの地元駅の広場で

          昨日気になっていたスタンドに寄って、アイスクリームを買って食べた。

           

          Un single de Vannille,SVP.

           

          選んだのは、真っ白いバニラでした。

           

           

           

          パリの夕暮れ。

          いま、夜9時40分。

          まだ陽は沈まない。

          空は、白いです。

           

           

          やったことリストだけの日記になっちゃった。

          備忘録ってことで。

          おやすみなさい。

           

           

           

           

           

           

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          大事なのは「できるかな」って考えることじゃなくて、「やるの? やらないの?」ってことだけ。やるって決められたらあとはどうにでもなっちゃう、ということについて。

          2016.07.22 Friday 16:37
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            再びパリにおります。10日ほど滞在してから、今年は田舎に移動する予定。

            去年のいまごろのもくろみでは、今年はパリに観光ビザが許す最大限の期間で滞在と思っていたんだけど、さすがにテロの連鎖で予定を変えた。世界が動いている。なんだかあまり、幸せではない方向へ。

             

            まあ、それでもひるんでこもっていては何もはじまらないので、できるうちはできることをしておきたいな、って思う。

             

            以前にも書いたけれど、子どもを1人で育てるために、とにかく働かねばならなかった時代には、こうして1ヶ月であっても日本を離れるなんてことは、考えることすらできなかったことだ。

            会社員だったら、「休めない」が第一の理由なので、フリーランスならいくらでも自由に時間を調整できるでしょって思うかもしれない。でも、ぜんぜんそうじゃないのよ。

            ただでさえ不安定な収入だから、想定外の出費でお金を無駄にはできないし、なんといっても「仕事を断る」ことは、フリーランスにはあってはならないこと。それはそのまま、「仕事を失う」ことにつながっちゃう。会社員時代に有給取ってた感覚とは、もうぜんぜん違うーってことが、フリーランスになってから痛感した。

            仮にこういう時に子どもを預かってくれるありがたい両親がいたとしても(…と、簡単に書いているけど、こういう関係が作れるようになるまでは、紆余曲折の本当に道のりの長いバトルと葛藤は、あった)、打ち合わせに出られない、イラストが送れない、取材に対応できない、なんてことは、あってはならないことだった。

             

            えいや! とハードルを飛び越えたのが、2009年の1週間のフランス留学。

            子どもは中学生だった。いやあ、この時は思い切ったよ。1週間! 家空ける、仕事休む! 大変な決意だった。

            今思えば、なんぢゃ、1週間って、、、ってことなんだけど。

            それからぽちぽち出かけるようになって、大きなハードルだったのが2013年のビザを取ってのアメリカでの長期滞在。

            こん時も思い切ったね。えいやー! って感じだった。

            人生大転機! とまで思った。決意して友人に話したとき、手が震えた。

            それなりの理由があってのことだけれど、最初はアルプスの双璧のように見えた「海外に長期滞在」というハードルは、飛び越えてみたら陸上競技のハードルの高さになり、物事によっては、かまぼこの板ぐらいの高さしかなかったんじゃない? って風になったりもした。

             

            いろいろおもろい。

             

             

             

            そうして自分の居場所を、えいや! って思いながら変えていくと

            小さく、小さく、いろんなことが変わり始めた。

            自分の考え、価値感、暮らしのスタイル。

            周囲の目。

            そして、人間関係。

             

            かまぼこ板の前で、「こんなものが飛び越えられるはずがない」と思っていた時代には

            考えもしなかった友人が海外にできたり、そこからはじまる新鮮な体験もたくさんあった。

             

            「居場所を変える」って、すごいことだと思う。

            どんな双璧でも、飛び越えた側から見たら「かまぼこの板」だったりするんだ、ってことも、大きな発見だった。

            子育てと仕事に頑張っていたとき、子どもを連れて単身で海外赴任した友人の言葉は、今も私の座右の銘になってる。

             

            「物事を決めるときに必要なのは、それが自分に出来るんだろうか、と思うことじゃない。

             やるのか、やらないのか。

             ただ、それだけです。

             ”やる”と決められたのなら、やってみればそれは、できてしまうものなんです」

             

            そんなこと、果たして自分にできるんだろうか。

            自分にそれだけの能力があるんだろうか。

             

            そういう思考回路じゃなくて、あんた、結局のところ、やるの? やらないの? と自分に問う。

            一度、やる! って思えたら、もうそこで半分はできたも同然。

            あとは飛び込んでみれば、ほとんどのことがなんとかなっちゃう。

            いやこれ、ほんとにそうだべさ。

             

             

             

            ってなことで、いろいろ「やってる」。

            なんとか、なってる。

            ありがたい。

             

             

             

            さて、そんな風にいろんなことが小さく変化する中で

            仕事もちゃんと、変化したわけです。

            どういうことかというと、私が距離を置いた分、相手も距離を置き始めた。

            これはものすごく面白い、でも同時に、あったりまえのことだと思います。

             

            いないんだし。

             

            たぶん、私が小説家とかアーティストだったら、相手は距離を置かなかったと思う。

            でも、私が仕事をしてきたのは、超実用の世界なわけで。

            子育てと仕事でアップアップしている私が、なんだか海外にでのんべんだらりとしており

            そして私がいなくても超大量に同じ事をしてくれる優秀な方がいっぱいいらっしゃるわけなので

            いない分の仕事はそこに流れていく。当たり前のことです。

            (言い方を変えれば、フリーランスは休んではいけない、と思っていた私の考えは、

             ほんとのほんとに、正しい、ということになります)

             

             

            そんでね。

            稼ぐという意味ではこれは大きく問題なんだろうけど

            子どもも成人したし

            言い訳でもなんでもなくて、これは私は望んでいる流れの中にいるって、このところよく思っています。

            なんつか、流れを変えたいんだな、自分の人生の。

             

            急激に舵取りをすると転覆するけど

            少しづつ、少しづつ、無理なく行き先を変えられるように、自分でも無意識のうちにいろいろやってきているんじゃないかって思うんです。で、どこに行きたいのか? って問われると、まだぜんぜんわかんないんだけど。

            私はシングルだから、家に稼ぎ手はほかにいなくって、息子の世話になんて絶対ならんと決めているから、自分の食い扶持をなんとかせねばならないというミッションは大きいんだけど。。。でも、ずいぶん長い間、「私のやりたいこと」は、仕事と直結していて、そういう枠の中で、自分の目指すものを考え続けてきたから。そこから少し、自由になりたいな、と思う。

            なれるのかどうか、うまくやっていけるのかどうか、ぜんぜんわかんない。

            でも、できるのかな? って思ってても何にもならんということを学んだので、とりあえずは、そうする、と決めてみたわけなのだった。

             

             

            去年、パリに来る前に、なんだか1ヶ月以上1人でパリで暮らすなんて、やっていけるのかな。。。って、大事な友達に弱音を吐いたとき

            (「そんなこと、自分にできるかな」って罠にはまっていたわけですね、決めたあとに>笑)

            「じゃあ、毎日ブログ書きなさい、私、毎日読むから。それで、応援するから。だいじょうぶ、いづみちゃんはちゃんとできるから」

             

            って、

            なんだかとてつもなくすげーすばらしいことを言ってもらって

            それで、去年毎日パリでの出来事をブログに書いたんだ。

             

            友達はちゃんと読んでくれて(ほんとにいいやつだ)

            でも同時に

            友達とは違う場所にいた人たちも読んでくれて

            それでなんだか、いろいろうれしいことがたくさんあった。

             

             

            小さなことでも、「やる」って決められたら、あとはなんとかなっちゃう。

            そして、必ずちょっとしたいい「おまけ」がついてくる。

             

            いろんな人たちに、人生の大切なことを教わって、いま、ここにいる。

             

             

            今年は毎日書けるかどうかわかんないんだけど

            「大丈夫、ちゃんとできるから」って言ってもらえたあの気持ちを忘れないためにも

            ちょこちょこと、また書いていきたいと思います。

             

            パリ、今朝はちょっと寒いです。

            それでもアイスクリームのスタンドはいつも行列です。

             

             

             

             

            category:Paris ひとり暮らし | by:武蔵野婦人comments(2) | - | -

            幸せなばあちゃんになるために、残りの人生で「やらない」と決めた10のこと

            2016.06.25 Saturday 00:27
            0

              今年、双子座は秋から絶好調なんだそうだ。

              (がしかし、ほぼ12星座すべてが、ラッキーだったり転機だったりするらしいから、世界がなんとなくざわざわするってことなんだろうと思う。イギリスの情勢が、そんな幕開けを物語っている)

               

              まあ、でも絶好調だ、と聞けばそれなりに気分はよいので

              今日は歩きながらタイトルのような事を考えていた。

               

              今年はなんとなーく、転機っぽいなーと思うことも多く

              あとは、やっぱり子育てがある程度終了したってのも大きい。

              私は今年56歳になるけど、50歳を過ぎてからの1年1年は、なんだか本当に

              時間が経つごとにいろんな価値感がごろんごろんと変わっていくなあと思うことが多い。

               

              年齢そのもので区切られているものというよりは

              子育てして、仕事して、家のことして、そんな道程で区切られているような気もする。

              たぶん、同じ年齢でも子どもがまだ高校生だったら、だいぶ感じ方は違うんじゃないかなあ。

               

              ま、そんなあれこれで

              思えば遠くに来たもんだの年齢になってきて、

              いろいろ、考えが変わったことは多い。

               

              ほんだもんで、歩きながらぼんやりと思い浮かんだものを、ある程度まとめておこうって思ったわけですわ。

              これ

              あくまで私が、私の性格で、私の仕事や経験を経て思ってることなんで

              「世の中の人が幸せなばあちゃんになるためにやめるべき10のこと」なんかでは断じてない。

               

              よくある、その手の記事、大嫌い。

               

              30歳になるまでにしておくべき10のこと とか。

              成功するためにやっておくべき10のこと、とか。

              あんな胡散臭いもんないし。

               

              なので、あくまで、自分への、自分だけの覚え書き。

               

               

               

               

              1、アンチエイジングをしない

                〜10歳若く見られたからって、10歳若い人の肌にはかなわない。無駄なところで勝負しない。

              2、つきあいだけの会食にはいかない

                〜知らない店のたいしてうまくないものに金を払って、つまらん会話をするという体験はもうしない

              3、「ていねいな暮らし」とか、もういい

                〜自分が気持ちよければそれでいい。外側から入ってくる、疲れる暮らしの呪縛はもういらない

              4、断捨離などするもんか

                〜○割のもの捨てたとか、自慢する悲しさ。捨ててよいものしか手にしてこなかったのか。

              5、「すべてに感謝」するのをやめる

                〜「みなさんのおかげです」とか「すべてに感謝」とか、その手の台詞は吐かない

              6、倹約と貯金で、大切な経験をふいにしない

                〜だって明日死ぬかもしれない

              7、外出時に当たり前のように化粧しない

                〜ふだんはノーメイクの顔を自己像にする。外に向って自分を飾らない。

              8、愛想笑いをしない

                〜私が笑顔でいるのは、ただ、自分のため

              9、年相応のよい服、よい持ち物、よい暮らしの道具、などいらない

                〜ライフスタイルをかたった、右へ倣えの消費行動の罠にははまらない

              10、人生に効率の良さを追い求めない

                〜限りなく効率が悪いものの中に、これから自分が向き合っていくものが隠れている

               

               

               

              なんかさ、これ見て、「は? 自分、どれもまったくやってませんけど、今までだって」

              みたいに思う人いっぱいいると思う。

              ばかじゃねーの、こんなこと今更って思う人もいると思う。

              ほでも、最初に書いたように、これは「私が」辞めようと思ってることなんよ。

              なので、他の人はかんけーない。

               

              時代もあったと思うけど、40代の自分は、

              せっせと化粧品とか選んで、カラー診断してもらって、お化粧方法教えてもらったり

              年相応のよい服を着ようと服を探したり、ネイルしてみたり。

              平松洋子さんが南部鉄のきゅうすがいいと言えばそれを買って結局錆びさせたりしてたな。

              仕事柄もあって、愛想笑いもたくさんしたし

              ていねいな暮らしにもはげんだ。

              荷物を減らすために物を結構捨てたし、倹約と貯金も頑張った。

              そして、いつも、誰かに感謝してた。

              本のあとがきとか、それ。

              「そして私をいつも支えてくれている家族、友人に心からの感謝を送ります」みたいな。

              形だけ書いてたってわけじゃぜんぜんなくって、なんか心のシステムが、そういう仕組みになってた。

              すごく頑張ったなー! って自分を褒める前に

              なんか、「みなさんのおかげ」みたいな。

               

               

              それは大切な必要な時間だったので、まったく後悔してないけど

              でも、それ、ここから先はもうやらんでいいなあって思う。

               

              そうやって、あるところまでは真実で、誠実に一生懸命頑張れた事が

              数年の年齢の違いで

              あ、もういいね、って思うようになる。

              年齢って、本当に不思議。

               

               

              こないだ、仲良しとごはん食べてたら、彼女が言ったの。

               

              「もう、自分の為にはさんざんいろいろやってきて、思い残すことなくて

               だから、私の残りの人生は、あとは人のためになんかやっていくってこと。

               自分がやってるのは、人のためのことなんだから、

               そこで何があっても自分は損もしないし、傷つくこともないって思ったら

               腹も立たないし、損したとか、やな思いしたとか、ぜんぜん思わなくて済むんだよねー。

               らくちんだなあ」

               

               

               

              すげー。

               

              もんげーすげー。

               

               

               

               

              そして、かっけー。

               

               

              (なんか全部死語っぽい言葉の羅列になったが。。。)

               

               

               

               

               

              それでいくと、私は

              物事決めるときも、自分が欲しい! って前に、あなたはどう? 他の人は?

              なんてことばかりをしてしまって、それで、なんかバランスを崩したりしたこともあった。

              仕事もそうかもしれないな。

              受け手側が望んでること、欲しいと思っているものばかり考えてきた。

              (ま、それが仕事ってものなんだけど。。。。)

              それ

              そろそろもういいすか? って思ってるんだと思う。

               

              本を書いたり、取材されたり、テレビに出たり。

              外側から見られる自分ってものと向き合ってきた40代だったし

              シングルで子どもを育てる為に、「稼ぐ」こともとても大事だったわけで

              まだまだ、本音のところでやりたいことがたくさんある。

               

              だから、友達みたいに「もうやりのこしたことないし」とはまだ言えない。

               

              なので、いま、すごく

              自分勝手なばあちゃんになりたいと思っている。

              あと何年生きられるのかわからないけど、もらってる時間の中では、自分に正直にいたいなあ、って思う。

              自分勝手というのは、自分のことは自分で勝手にやる人という意味で

              人に迷惑をかけることをさすのではないのですー。

               

              ってなことで、やらないと決めた10のこと。

              自分の覚え書き。

               

              とりあえず今日は、化粧しないで出かけた。

              明日はイベントなので、化粧はするかなー。

               

              そのあたり、まだ行ったり、来たり>笑

               

              category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(4) | - | -

              フランスと日本のデッサン教本のヌードの扱いがあまりに違う件。なんで日本は女だけ脱がすんや!?

              2016.05.24 Tuesday 15:59
              0
                図書館から人物デッサン本を何冊か借りてきた。で、読んでるうちになんだか不思議な襲われたので、そのことについて書いてみることにした。テーマは「ヌード」。

                これまで私がデッサンの練習用に使っていたのは、フランスで買ってきた「人物デッサン」の本。
                これ、いろんな姿勢をした男女の写真が大量にあるのですごく参考になるー。



                でもフランス語解読するのが面倒なので、日本語の本が読みたかったのよ。
                で、借りて来た本の最初の写真がこれ。



                あれ、女だけ裸。
                男トランクスはいてる。
                フランス版は男性も全裸だったけど、まあ、やっぱ男性器は外に露出しているから見せてはあかんという配慮かしら。

                まあ、そこは100歩譲ったとして。

                立ち姿のデッサン例のポーズで、何か引っかかる。



                女をこう立たせたとして、



                男はこれか。

                まあいい。

                座り姿はどうだ。



                うううーーん???
                女性は立ってもくねって、座ってもくねって
                男はただ、パンツ仁王立ちと着衣どっかん座り。
                脱げ。
                お前も脱げ。
                ずるいぞ、着衣どっかん。

                女性の着衣はないのか? と見たら次に出て来た。これだ。



                服着せても、チラリズムか?
                表情もなんだかエロくてやだ。なんで。
                私、なんかこんなポーズあんまり描きたくないな。
                同性として。

                考え過ぎだよと言われるかもだが、フランス版だとこんな感じだ。
                どこをどうとっても、エロい空気が皆無。
                すがすがしいほど。



                男性版もとってもいいよ。




                そもそも、裸体デッサンというのはからだの骨格や形を見る力を養うために行うものだから
                それこそさまざまなスタイルをしてもらうのが一番役に立つ。
                実際にモデルを使ったデッサンはさほど多く体験できるわけではないから
                こういう写真はとても役に立つし、例として出て来るクロッキーも
                さまざまに個性的なものがあって参考になるんだよ@フランス版。


                日本版のは、なんか「裸体を描く」ことへの過剰な方向性を感じて
                なんだか不思議な気持ちになった。

                それで思い出したんだけど
                昨日、大学の授業で版画のモチーフに女性の裸体群像を選んだ人がいて
                それはとてもよく描けていたんだけど、描いたのはかなりのご年配の男性だった。

                それに対して、ああして描けるということは、ヌードデッサンをしたのではないか。
                ヌード見たさにモチーフにしたのではないか、
                的な反応をする人がいた>笑

                まあ、どの世界でも目の前にヌードがあるのは非日常ではあるけれど
                こんなデッサンの本1冊の中にある、女性の裸体ポーズへのまなざしの偏向をかいま見てしまうと
                日本で「女性」として生きていくことのめんどくささってものを
                改めてじわじわと感じてしまうなあと思う。
                (んなの感じて来たのは私だけなのかもだけど。
                 でも、海外に出るとある部分でラクになるということの根源は
                 いったい何なんだろう、とよく考える。いまだよくわからないけど)


                こちらは全裸でも、前述の日本人女子着衣ポーズよりまったくエロくない>笑




                からだをよじったり、変にはじらって隠したり
                うっとりと天井を見たり
                そういうポージングが発するものって一体何なんだろう。

                そして、この対峙にある力関係は、一体何なんだろう。



                もやーっと。

                もやもやーっとしながら答えは見えず。
                今日はこちらのおじさんをデッサンしてポーズと骨格の勉強をしようと思う。
                よい男性モデルがきてくれるデッサンの場があったら、教えて欲しいです。



                 
                category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(18) | - | -

                ジリジリとただ辛い事を乗り越えられるのは、「好き」の力なんだね。それを河合隼雄さんが「苦楽しい」って言ってたの、思い出した。

                2016.05.12 Thursday 15:33
                0
                  ああ、びっくりした。前に書いた記事がバズって。
                  もともと覚え書きのように書いているブログなので、急にいろんな人の目に触れるとちょっとドキドキする。

                  落ち着いたので、また更新します>笑。

                  美大でのデッサンの日記に、たくさんのコメントありがとうございました。
                  後日談。

                  ほっとかれて、わけわかんないじゃん! と憤って
                  でも、その間に自分で「気づいた」ことによる発見はとても大きくて
                  その前に教えてもらっちゃったら、こういう気づきはなかったかも。。。。。。というのが
                  先日の話しだったのですが。

                  この「ほっとかれる」塩梅というのは、結構難しいなと思います。
                  あれ、ほんとに意図的なほっときだったのか
                  もしくはほんとにほっとかれたのか、そのあたりはようわからんと思う。実は。

                  でも、ひとつだけ言い訳をするとすれば
                  私が今いるのは、リタイアした人もまじっている各種学校である美術の学校なので
                  これから受験をするとか
                  美大に入ってこれから未来の芸術家を目指すという人のための教育じゃないわけで

                  まあ、ゆるりと進んでいく中で気づくことってのはあるわけです。


                  で、毎度言われているのが
                  「完成させるな」
                  ということ。
                  受験デッサンではないのだから、目的は完成させることではなく、そのプロセスであり
                  完成を意識したとたんすべてがおざなりになるので気をつけろ、と。

                  でもね、これがとても難しい。


                  昨日まで、16時間静物を鉛筆でデッサンしてたのですが。
                  「今日の2時半から講評入ります」と言われたとたん
                  それまでになんとか格好をつけないと! とあせって、最後にまとめようと鉛筆を入れて
                  イーゼルにある状態までは、大満足な出来だと思っていたんだけど
                  いざ、全員の作品と並べて遠くで見てみたら
                  無難にまとめようとした自分の作品が、なんだか一番魅力がなく
                  陳腐に見えて、すごく反省した。



                  「〆切」

                  という言葉に異様に反応してしまう自分を改めて知った。

                  ま、仕事ではそれができなくちゃどうしようもないんだけど
                  この「結果ではなくプロセス」というのになかなか順応できないでいる。

                  木炭を持つのははじめて、鉛筆デッサンもはじめて、という人の作品には
                  パースが狂って陰影がうまくつけられていないものもたくさんあるけど
                  格闘した時間が内包されていて、見ていて何ともいえない魅力があるものが多いことに
                  はじめて気づいた。
                  美大受験のデッサンはしたことがあるけど、あの「どこから見ても完璧に見える
                  すごくうまいデッサン」とはまったく違う
                  もっと
                  「受かるという目的」なんかがまったくない所にある
                  「生きてるっていうプロセス」みたいなものが見えるものの
                  力みたいなものに、ちょっと圧倒されたりする。

                  経験がなくてうまく描けない人は、「うまく」描ける人をすごく羨むけれど
                  そうではない場所にある魅力みたいなものの力は、真似できないものが多い。
                  美大で基礎を確立してから、そいういう魅力のあるものに「崩していく」作業は
                  逆に大変だろうなあ、と思ったりもする。


                  さて、後日談と書いた割に前置きが長くなったけど
                  実は、前回私がほっとかれたけど気づきがあった、と言ってた日。
                  別のクラスでは、校長に直談判しに行った人がいたのだそうだ。

                  こちらはお金を払って来ている。
                  ここまで放置とは、本来の義務を怠っているのではないか。
                  きちんと指導教員を配置しろ、と。

                  結果、その次からのデッサンでは、前より先生が回ってくるようになった。
                  ま、そのほうが助かるし、やる気もでるので、直談判は正しかったのかもしれないけど

                  その直談判をしたのは、引退世代の男性で
                  まあ、社会的地位があって、仕事体験を重ねて十分に権利意識が確率している人は
                  「管理責任」を問う形で、答を求めたがるんじゃないかと感じた。
                  こういうこと、子どもたちの学校でも結構起きている気がするし。

                  もしかしたら、あとちょっと自由にさせてくれていたら
                  こんな体験も、あんな体験もできたのかもしれないけど
                  その前に、「管理責任」を理路整然と言われてしまうと
                  「空白の時間」みたいなものはどんどんなくなってしまうのかもしれない。

                  なんか、ちょっともったいない。



                  まあ、そういうわけで
                  後日談があったわけですが
                  でも、やっぱりデッサンには時間がすごくかかるし
                  やっている間には、ただただ自分で対象物と格闘しているわけで
                  過剰な指導があるのは、自分の判断が狂ったり、迷いが生じてよくないなあと思うことも増えた。
                  ある程度は放っておいてくれないと、自分のコアみたいなところが決まらない。

                  そういう格闘の時間を
                  このところ存分に楽しんでいるような気がします。


                  最初のデッサンのあと
                  講評に来た先生は

                  「それにしてもみなさん、辛かったでしょう」

                  と言った。

                  ただ、円柱と立方体を、こんな長い時間かけて描き続けるなんて。
                  普通で考えたら、辛いし、いやになっちゃうよねえ。

                  と。

                  「でも、みんな、絵を描くのが好きだから
                   もっとうまくなりたいと思っているから
                   途中で投げ出して帰っちゃったりせず、ここまで描き続けられたんでしょ。
                   じりじりと本当に辛いと思う時間も、好きだから乗り越えられたんだよね」


                  うん。

                  そうだなあ。
                  その通りだなー。


                  もし自分がまだ高校出たぐらいで、ものすごく好きでやりたいわけじゃないけど
                  とりあえず勉強しといたほうがいいって言われたから、ここに入っておこうかなーってぐらいで
                  最初に12時間円柱書けって言われたら
                  まあ、途中でさぼったり
                  やんなるなーってお菓子食べたりしてたと思うー。

                  ほいでも、おいらたち描いてる間、誰もそんなことせずに
                  ただただ、延々とデスケルやはかり棒使って、なんだか不毛にも見えるデッサンをやめる人はいなかった。
                  仕事したり子育てしたり
                  いろんな時間過ごしてきて、それでもやっぱり絵が描きたいって思うから来たわけだし、みんな。
                  だから

                  好き

                  であることって、すごいなーって思った。
                  で、先生が言った

                  「じりじりと本当に辛いと思う時間も、好きなら乗り越えられる」

                  って言葉に、なんだかじんわりした。




                  ってか、辛いことって好きじゃなくちゃ乗り越えられないよな。

                  それ、ずっと前
                  まだ河合隼雄さんが生きていらした頃
                  一緒に山登りしている時に、河合さんが話してた言葉として、すごく残っていることに共通している気がする。

                  「ももせさん、人生には 苦楽しい(くるたのしい) という経験があるのですよ。

                   楽しさにも2種類あって、ひとつはディズニーランドに行って楽しいなー、というような体験。

                   もう一つは、やっている途中はとてつもなく苦しくて、辛いことがいっぱいあるけれど

                   でも、その辛さを乗り越えたところで、言いようのない楽しさに変わりうるという体験。

                   僕はそれを 苦楽しい と読んでいるの。

                   子育てなんかも、それに通じることがあると思うけど

                   ただ楽しいという体験はすぐに忘れてしまうものだけれど

                   苦楽しい体験は、深く心に刻まれて、糧になるのよ」


                  んで、その苦楽しさを乗り越えられるのは
                  やっぱり「好き」の力なんだと思う。

                  子どもだって、好きだし、愛しているし、可愛いから
                  働きながら子育てするっていうような
                  あんな筆舌に尽くせんめんどくさくて辛くて苦しいことも、ただただ続けられたんだと思うし。
                  (んで、苦楽しさにつながって、数百倍の糧をもらった気がするし)。


                  いま私がやっているデッサンという作業は
                  描くのが好きな人間にとっては
                  まさに

                  苦楽しい

                  時間なのだと思う。




                  ということで後日談でした。

                  ただ、「好きだから乗り越えられる」って
                  難しいこともあって

                  好きというだけで
                  乗り越えなくていい時間もあるし
                  我慢してはいけないこともある。


                  そんな大事なことについて、また時間ができたら書いてみる。
                  category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(2) | - | -

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                  • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
                    美枝
                  • 12時間円柱を描きつづけてはじめてわかったこと。「気づく」までにはたくさんの時間がかかるのに、みんな先に教わってしまうんだね。
                    李英二
                  • 脳内地図とポップアップ現象ー50代からの英語4
                    武蔵野夫人
                  • お客様が神様の日本で、最近仕事で折れることが増えたのは、なんかとっても単純な理由だったことがわかった件
                    武蔵野夫人
                  • お客様が神様の日本で、最近仕事で折れることが増えたのは、なんかとっても単純な理由だったことがわかった件
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                  • フランスと日本のデッサン教本のヌードの扱いがあまりに違う件。なんで日本は女だけ脱がすんや!?
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