鉄道のたびの悦楽

2008.04.15 Tuesday 18:32
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     はじめてヨーロッパを鉄道で旅したのはいつのことだっただろう。フランクフルトからブレーメンへ。ブレーメンからオランダのアムステルダムへ。どこで切符を買い、どうやって時間を調べたのだろう。語学ができるわけでもない20代の私は、ずいぶんと向こう見ずだったに違いない。いやほんま、何を考えていたのか、自分。

     下手にわかっていると怖くなる。何も知らないから、立ち向かえることもある。アダムとイブは知恵の実を食べて楽園を永久追放されたけど、この「知恵」というやつは時としてやっかいだ。中途半端な知識は「恐れ」や身構えを呼んで、自分で勝手に自分の限界を作ることもある。現代社会の中での知識や情報って、世界を広げるようでいて、実は世界をせばめていることもあるんじゃないのかな。無知でいることから生まれる知恵だってあるはずなんだ。


    フランドル語とドイツ語で駅名もよくわからない鉄道の旅に、予備知識もないままでかけられたのは、ひとえにこんな「無知」のなせる業だったんだろう。でもそんな体験があったからこそ、今こうして、ヨーロッパの鉄道の旅を楽しめている自分がいる。鉄道のたびをしていると「世界の車窓から」の石丸 謙二郎のナレーションがそのまま聞こえてくるような気になる。もうこれは、正しくまっとうな旅の悦楽だ。

     小さな国がひしめきあうヨーロッパ。このヨーロッパを旅する醍醐味は鉄道に尽きるといってもいい。郊外電車に乗る感覚で、小さなコンパートメントに腰を落ち着ければ、数時間で窓の外に広がる景色は歴然と変わりはじめる。乗り降りする人たちの風貌も、駅名の文字も車内アナウンスも変化を繰り返す。数時間のうちに国が変わり、言葉が変わり、人種が変わっていく不思議。島国に生まれ育った身には、それだけでもう、大きなカルチャーショックだ。


     昨年は、ベルリンからチェコのプラハに向けて列車に乗った。



     ベルリンは壁の崩壊後に街の整備が進み、旧体制の東側に広がる巨大な通りと、無意味に大きくそっけない建物群に入り混じり、近代的なビル群が軒を連ねるようになった。写真はベルリン中央駅。どうだ、すごいじゃろう。

     この鉄とガラスの巨大な建造物。スマートなのか無骨なのかわからないデザイン、意味をもたない巨大な吹き抜けの空間。それでも、そこにあるだけで異様な存在を誇示する、街の新しい顔。
     こんな駅が、何もない広場と公園の真ん中に突然出没する街、ベルリン。ドイツのこうした無骨で飾り気のない気質は住宅にも現れており、この駅から郊外に向かう鉄道の車窓からは、広大な平地の牧草地と箱のように味気ない家々が延々と続いていくのが見える。建物も直線、風景も直線。無秩序な曲線を徹底して排した国ドイツ、ドイツ、ああドイツ。ここはまぎれもないドイツなのだよ。


     1時間ちょっと列車に揺られているうちに、そんな直線の風景が、微妙に変化をはじめるのがわかる。蛇行する河に寄り添うようにそそり立つ丘陵地。景色は突然曲線を帯びはじめ、整然とした町並みに漂う空気感が、湿り気を帯びはじめる。

     どこかなつかしいこの皮膚感覚は何だろうと思っていると、車内に流れていたドイツ語の放送に、突然聞き覚えのない言葉がかぶさるようになった。平行して流れる英語をどうにか聞き取ってみると、どうやらあと数分で国境はドイツを越えて、チェコに入るらしい。

     ドイツ語、チェコ語、英語の3重構造で繰り返される放送は、これから先の運行はドイツの鉄道会社からチェコの鉄道会社に引き継がれることを語っている。空港で厳重なチェックを受けなければ国境を越えられないとインプットされている島国頭には、こうしていともかんたんに新しい国に入っていくことに、なかなか慣れることができずにいつも緊張してしまう。国境線はどこなのだろう? と確かめるように、窓外の景色を見つめるまなざしもいつになく念入りになる。


    チェコは1989年からの「ビロード革命」によって共産党体制が崩壊し、2004年にはEUへの加盟も果たしたが、今でもユーロではなくフリント通貨が流通する、旧体制の色合いを残した国だ。それでも、首都のプラハはブダペストやポーランドの剛健な色合いに比べ、どこか享楽的で国際色が豊かな不思議な街。
     そんなチェコへまぎれもなく足を踏み込んだことを知ったのは、飾り気のない紺尽くめの制服を着た車掌が突然、コンパートメントのドアを開けて「パスポート!」と手を差し出したときだった。

     イタリアやスペインなどEUの国境を越えるときに、鉄道でパスポートを要求されたことは私の経験の中ではない。笑顔のない紺尽くめの車掌の威圧感に、思わず緊張してしまう。検閲を受けてる気分になるけれど、チェコの入国スタンプをポンと押してくれるのを見て、思わずにこにこ微笑えむ。つられて、こわいと思っていた車掌も、にこりと微笑む。ポケットモンスターのスタンプラリーじゃあるまいし、スタンプ1個で大人が喜ぶのもどうよとも思うけど、普段のEU間の移動ではもらえないスタンプがパスポートに増えるのは、なんだかちょっとうれしいおまけのような気分だ。


     プラハの町並みは、曲線と無秩序と湿気をはらんだ、おとぎの国のにおいがする。直線の国から曲線の国へ。窓外の景色がかわり、言葉がかわり、空気感が変わって、新しい街への期待がふくらみはじめるのがわかる。突然空港に降り立つのも素敵だけれど、こうして小さな発見を繰り返しながら続いていく鉄道の旅が私は好きだ。そんな鉄道の旅、そして不思議の国チェコのお話は、また今度にあれこれ続きます。
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