一汁一菜の雑誌記事見てひっくり返った&日本のごはんはどこから複雑化したのかについて考えた

2017.10.15 Sunday 11:12
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    さて、賛否両論多いごはんネタだよ。

     

    今回のテーマは「一汁一菜」。

     

    最近大いに語られることが増えた一汁一菜。私は土井善晴さんの本に感激した。

    ありがとう、そう言ってくれてありがとう。そうだよ、それで十分。なぜいままでそうならなかった?

     

    ただ、あの提案がこの時代にすんなり受け入れられたことに対する、なぜ? という気持ちもあった。

    だって、まあ、こんなちっぽけな存在ではあるけれど

    私もずっとずっと、

    ごはん頑張らんでいいでしょ?

    毎日同じものでもいいでしょ?

    みたいなことを考えて続けていて

     

    そういうことは海外に出ると本当に強く、しみじみと思うわけなので

    (だって、毎日こんな複雑な食事を主婦が作っている国に行ったことがない>笑)

    そんなことをブログに書いたりすると

    一定数の「そうだよねー」というコメントと一緒に

    いや、和食のすばらしさは世界に誇るものだ とか

    パンじゃなくてごはんじゃないと無理だ とか

    和食より洋食がおしゃれに見えるだけなんだろう とか

     

    そういうちょっとした反発感というか

    抵抗感というか

     

    そういう感情が引き出されて来る、ということを何度か経験してきたから。

     

    まあ、私がフランスに行くことが多くて、向こうの食事が楽だと考えたり

    アメリカで毎日同じメニューでも大丈夫となったらものすごく楽になったとか

    その手のことを書くので

     

    だからそういう言い方が反感を買うんだよ

     

    と言われたこともあり、

    ああ、そうなのか。海外のことを引き合いに出したらいけないのだな。

    テレビ見てたりするとさかんに

     

    日本人でよかった

    日本に生まれてよかった

     

    と和食を食べながらコメントする場面が出てくるし

    いずれにせよ

    食事と、食事作り(ここ大事。外食文化と、家庭でごはんを作るという話題は別のものなんだよね)って

    ものすごくいろんな感情を引き出してくるんだなあ、と思うことが多かった。

     

    だから、土井善晴さんの一汁一菜を読んだとき

    これがなぜ受け入れられたんだろうというと

     

    彼が男性だから

     

    そして彼は料理のプロで、しかも伝統的和食のサラブレッドだから

     

    その上で、一汁一菜であってもごはんを丁寧に炊き、だしを取り、素材の美味しさに気を配って

    「愛情をこめて」つくればそれでいいのだ

     

    ということを基本においているからなのだ、と改めて思ったのだった。

     

     

    「フランスの食卓楽だよ、

    そういうこと、日本のごはんだってできるんじゃない?

    朝は炊飯器でタイマーごはん炊いて、納豆や佃煮をトレーに乗せて冷蔵庫に入れておけば

    あとは誰かがそれを出して、それぞれ自分でよそって好きに食べていけばいい。味噌汁インスタントだっていいし」

     

    なんて言い方ではだめで

     

     

    日本の食はすばらしい伝統があるからそこに立ち返り

    丁寧においしく炊いたごはんがあれば、そこに具沢山の味噌汁を加えてあげるだけでいいんです。

    愛情をこめて作れば、一汁一菜でも十分ですよ、みな忙しいんですから。

     

     

    と、和食のプロの男性が言うことの

     

    なんかすばらしく大きな違いがあるなあ、と思ったのだったよ。

     

     

     

    タイマーごはんでインスタント味噌汁

    なんか1品つけとけ、納豆でもめかぶでも。市販品でいいから

     

    ではやっぱり誰も納得しないのだと思う。

     

    そこに横たわっている、なにか大きな「精神性」みたいなものというのが

    日本の家庭ごはんの形に、いろんな影響を与えているんだなあというのが、最近の関心事なのだった。

     

    でも本当にありがとう。

    土井善晴先生。

    どんだけの人の気持ちが救われたか。

     

    ごはんと味噌汁だけの食卓でいいよ。

    それが逆に今はおしゃれで流行よ。

    栄養価だって満たされているから安心して。

     

     

    救われる。

     

     

     

     

     

     

     

    すごくいいなあと思う気持ちでいたところ

     

    先日こんな雑誌の特集を見て、なんだかひっくり返ってしまった

     

     

    ごはんづくりに”疲れたら” 一汁一菜でもいいらしい。

     

    表紙の写真、一汁一菜なん?

     

     

     

    めくってもめくっても

    出て来るのは

     

    ごはんと味噌汁とおかず という写真で

     

    しかもそのおかずには

     

     

    たとえばお肉を炒めたようなものの横に千切りのキャベツのようなものが添えられて、プチトマトが彩りに。。。。

    みたいな(具体的によく覚えていないけど、いわゆるそういう風景。大戸屋の定食みたいな)一皿で

     

    なんか

     

     

    土井さんの提案は、ごはんと具沢山の味噌汁 を一汁一菜と考えていいですよ というはずだったのが

     

    「ごはんづくりに疲れたら一汁一菜ごはんでもいいですよ」と提案されているのは

     

    ごはんと

    味噌汁と

    おかず

     

    に増やされていて

    さらにそのおかずは

     

    一菜 ではなくて、主菜に2つぐらいもう、副菜が盛りあわされているという、

    もうてんでらくちんでもなんでもないものになっていた。

     

     

    それで、ネットで一汁一菜ごはんと画像検索してみたら

    出て来るのは、やっぱり、立派なごはんと味噌汁とおかず(副菜盛り合わせ)というようなもので

     

     

    ああ、そうか。

     

     

     

    一汁一菜というのは、もとは土井さんがいうようなごはんと汁物ではなくて

    ごはんと汁ものとおかずだったんだっけ、と改めて思い出したのだった。

     

    そんじゃ、なぜ、ここまで立派な食卓なのに、それを「ごはんづくりに疲れたら、こんな一汁一菜の食卓だってぜんぜんかまわないんですよ」なんてことを言ってもらわなくてはならないのか(ってか、これすごい状態だと思うよ。ここまでやっても、従来はダメだったってことなんだから。それを”いいですよ”って言ってもらわないと楽になれないってことなんだから>ふえー)

    その前提には

     

     

    一汁三菜

     

     

    という家庭料理の基本のようなものが存在しているからで

    それ

    改めてグーグルで「一汁三菜」で画像検索してみて、さらにひっくりかえった。

     

    すんばらしい。

    並んだ画像に圧倒された。やってみて。

     

    結局、日本の家庭料理の基本として私達が叩き込まれてきたのはこういう風景だったんだなあと改めて。

     

    https://www.yamaki.co.jp/knowledge/dashi/recipe.html

     

    勝手に画像ひっぱってきてはいけないので、リンクで。

    ありがとうございます、かつおぶしのヤマキさん。

     

    あと、ふたりぶんの素朴な朝食という画像もみつかった。

    https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=20027004616&GroupCD=0&no=96&brandrm=True&brandrf=True

     

    素朴だそうだ。

    皿数すごい。

     

     

     

    それで思い出したんだけど

    ちょっと前に、ある団体が出している媒体に土井さんの本を引用して「一汁一菜」が話題ですよね、という記事を書いた。

    ちょっとした工夫で、炊きたてごはんさえあれば準備は簡単でいい、と。

     

    そしたらそれはボツになった。

     

     

     

    なぜかというと

     

     

    「わたしどもは家庭料理は”一汁三菜”を基本に常々情報を発信しておりますので、一汁一菜は困ります」

     

    ということなのだった。

     

     

     

    こうしたちょっとした媒体や

    病院でもらうパンフレットや

    日々目にするいろんな料理レシピや

     

    まあ、そんな場所から、どうやら気づかないうちに私らは一汁三菜を指導されてきたかもしれない。

    理念として勉強しなくても、日々目に入って来る視覚記憶のイメージみたいなものも大きいし

    あとは

    育ってきた家庭で見てきた食卓の風景を基本に考えていることも多いのかもしれない。

     

     

    ごはんとおかずを出したら

    「これだけ?」と夫に言われたとか

     

    ワンプレートだと手抜きに感じるとか

     

    いろんな場面での「視覚の記憶」みたいのは結構大きいからね。

     

     

     

     

    そういうの、習慣的にごはんを作っていたら当たり前になっていることも多いけど

    考えてみたらすごいことだなあ、と本当に思うのだった。

     

    主菜のお肉や魚の横にも、なにかしら付け合わせをつけて

     

    そのほかに小鉢を2種類ほど作って

    そのすべて調理法が違ったりするから、いろんな味付けや調理法を繰り返して

    皿数を増やしていくってことになるわけで

    簡単に済ませようと思えばそれもちゃんとできるけど

    手をかけようと思ったらもう、再現なく手をかけることもできちゃう。

     

     

    日本食が一番だと、日本礼賛される方からみたら、またそれか、お前は、と思われるかもだけど

     

     

    フランスで誰かの家で普通に夕食を食べようというとき

    作り手が作るのは、ほぼ1種類の調理だけということが多い。

    肉煮る、焼く、みたいな。

     

    あとは指示がとんで

    「レタスあらってボウル入れてオリーブオイルとバルサミコかけて出しておいて」とか

    「パン切って」

    「チーズ出して」

    「皿とフォーク出して、あとワイングラス」

     

    みたいなことでたいてい済んでしまう。

     

    3種類以上の調理が必要な料理がずらりと並ぶことはあまりないし

    それをさらに一人づつに小分けにして出すこともあまりない。

     

    ある日のフランス友人宅の夕ご飯。作ったのはこれ一皿、ふたりぶん。これで終わり。

     

    そんで、欧米に移り住んでいる友人たちと話をしていても、たいてい聞こえて来るのは

    「日本の主婦すごすぎる」という話ばかりで

    海外でもごはんや日本食を作って食べてはいるけど、日本にいたときのような作り方はしない、

    ごはんの横に肉じゃがのっけて一皿で終わり、という形でもぜんぜんみんな喜ぶみたいなことをいう人が多い。

     

     

    だから日本の家庭料理はすごいな、えらいな

     

    ってことかもしれないけど

    そのすごさって

    ほんとにそこまで必要なのかなあって私は思ってしまう。

    いや、苦もなくやれて、やりたい人はどんどんやればいいんだけど。

     

    (と、かくいう私もひとりでもいろいろ調理好きで作ったりしているので、ほんと

     やりたいひとはどんどんやればいい。ただ、それを規範としなくていいんじゃないの? ってだけで)

     

     

     

     

    んで、

    どうしてこの一汁三菜ということになってきたんだっけ?

     

     

    というあたりを遡っていくと

     

     

     

    結局一汁三菜というのは、おもてなしの懐石料理の基本形態なのだよね。

     

    華美なもてなしをシンプルにミニマムにしていく提案としての、ひとつの膳に乗せたもてなし料理。

    これは利休が提案したりもしてて、当時としては斬新だったんだろうと思う。

     

    これが、高度成長期の専業主婦人口がいちばん多かった時期に

    家庭料理の完成形みたいな形で、料理研究家たちがこぞって取り上げて、なんだか

    「日本の伝統的な家庭料理」の形と混同されるようになってしまった。

     

    なんつか、

     

    伝統に基づいて日本人がずっと維持してきた家庭の食文化

     

     

    というよりは

     

     

     

    もてなしの懐石料理をヒントにあとから作られた理想形

     

     

     

    が規範とされてしまっているので

    まあ、そりゃあ現実と少々乖離していて

    ハードル高くて作るのは大変でしょう? と本当に思う。

     

    で、それを基本に立ち返って

    ごはんと汁ものだけでもいいですよ、そこにつけものでもひとつ足せば立派なごはん

     

     

    といくら提案されても

     

     

     

    グラビアとして視覚に訴えようと思う場所では

    それでは絵にならんので

    料理のプロの専門家や撮影の専門家は

    いろいろ足して、絵になるものにして複雑化してしまうのかもしれない。

     

    そうやって

    私たちの習慣や精神性って

    普段なにげに目にするイメージや資格の記憶にも大きく左右されているのかも、って思う。

     

     

     

     

    ということで

     

    一汁三菜

     

    これもう幻想だから>笑

     

    気にしなくていいと思う。

    (と言うとまたいろいろ言われそうだけど>笑 私はそう思うので仕方ない)

     

    おいしく食べられれば一番。

    ただそれを規範に作りたい人は作ればいいし、忙しくて苦手な人は、毎日同じようなメニューでもいいし

    ごはんと具沢山の味噌汁とつけものでもいいし

    なんか1品市販品や総菜屋で買ってきたもんがくっついてりゃそれでなんとかなる。

     

     

    それだけじゃ豊かさがないという人は

    週末にごちそうを作って、家族や友達と一緒に楽しめばいい。

    (フランスはそんな感じ。普段は質素だけど、週末はなんかおいしいものを揃えてピクニックをしたり、友達を呼んだりする)

     

     

    前から同じ様なことばかり言ってるなあと思って昔のブログを久しぶりに見たら、

    ほんと、同じこと言ってた>笑

     

    ▪毎日同じメニューを食べるということ

     アメリカで

     

    ▪夕ご飯より昼ごはんがごちそう

     フランスで

     

    外から眺めてみると、なんか自分が拘泥していたことに気づいたりする。

    外の世界が日本よりいいと言いたいわけじゃぜんぜんない。

    ただ、気づくことがある、ということ。

     

     

    ごはん話題、ほんとおもしろい。

     

    最近よく見る、和食が一番

    ってあたりの精神性についても、またこんど時間があったら書いてみたいなーって思ってること。

     

    その一方で、テレビや雑誌から見えてくる美しい理想形の食卓とは乖離した

    食の崩壊の問題も大きい。このあたりは家庭料理という切り口とはまた別の目でみなくちゃいけないこと。

     

    食は本当に奥が深いです。

     

    長くなったのでこの辺で。

     

     

     

     

     

     

     

    category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(6) | - | -
    Comment
    うちは、本当に具だくさん一汁もしくは一菜と、ご飯でokなのでありがたいです。
    一菜が野菜だけだとちと不満そうですけど。
    私もフルで仕事してるし、検索で出てくる画像なんか、芸能人と同じ扱いですよ!
    • う。
    • 2017/11/20 9:47 AM
    私は毎日ごはんをつくるのが苦痛でした。献立を考えてから後片付けまで。
    ごはんに関することをしなくていいのなら日本の主婦はもっとその時間を好きに使えるのに。。と思ってました。
    ただ、どうしても出来合いに頼ると添加物まみれになるので、なるべく簡単においしく出来るものもっと日本にないのかなぁ。。。
    • あらいぐま
    • 2018/01/13 10:52 PM
    >う。さん
    すっかり遅いコメントですみません。
    検索で出てくる画像は、ほんとにびっくりでした。家族の反応というのも大きいですよね。子供時代からどんな食卓だったか、というのも大きく影響するような気もします。おいしく豊かに食べられれば皿数はあまり関係ないですよね!
    • 武蔵野婦人
    • 2018/01/18 1:03 PM
    >あらいぐまさん
    先日お会いした方が、「はっきりいって家事が嫌いなんです。本当に嫌いです。たぶん、好きにはならないと思います。そういうのもあり、じゃないかと思います」とおっしゃっていて、本当にそうだと思いました。
    出来合いに頼らず、でも時間をかけずにおいしく健康に食べられる知恵、とても必要ですよね。
    • 武蔵野婦人
    • 2018/01/18 1:05 PM
    本当!アメリカに住んでるとき楽だった〜。帰国してから、めっちゃ忙しい。
    洗濯もその日その日に毎日しなきゃだし。掃除機も毎日。なんだろ、旦那も今日ご飯なに?とか聞いてくるようになった。
    服とかもそうだし、ご飯に関しても見えない何かに縛られてる!

    あー、和食面倒くさい。。。

    あー、今日、何作ろうか。。。
    • みほ
    • 2018/02/23 11:00 AM
    >みほさん
    わー、うれしい。「和食のほうが簡単」という人も一定数いらっしゃって、ごはんさえ炊いてちゃちゃっと味噌汁作って1品おかずがあればいいだけだ、という意見もあるんですが、その「ちゃちゃっと」という不思議言葉が示すものというのも、いろいろなシチュエーションで違うよねえといつも思います。「見えない何かに縛られている」。ほんと、そう思います!
    • 武蔵野夫人
    • 2018/02/24 9:10 AM








       

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