ミッション終了
2013.08.06 Tuesday 09:45
テキサス大学のESLプログラム、夏のセメスター(学期)は10週間です。月・水・金は朝9時から午後3時30分まで、3コマの授業(ライテイング・グラマー・リスニング&スピーキング)、火・木は午後1時から3時15分まで、休憩を挟んだちょい長めの授業が1コマ。計1周間で16時間の授業を10週間受けることではじめて、学生ビザであるF-1ビザが降ります。





それぞれの授業では出席日数、毎日出る宿題の提出成果、毎週行われるテストの点数、その他先生ごとに設定された課題の成果によって細かくスコアがつけられて、このスコアが基準値に達しない場合は、次のセメスターを続けることができません。
なので、次学期も残りたい学生は必死に授業に出て、宿題もして勉強します。
このスコアはビザにも直結しているので、もし授業をさぼってスコアを落としたら、即ビザが失効して帰国せよということにもなってしまうので、みな必死。
私も学期の途中で、リーディングの授業があまりにも苦痛で(おもろくない&つまらんのにテストは多く、発言して参加しなくてはいけない状態がストレスフル)、授業中に顔面神経痛出るかも、、、、ぐらいの状態になったため、withdraw(放棄)してもええ? と先生にネゴしてトライしたものの、それをしたら即Visaが失効して日本に強制送還じゃよという返答がオフィスから来たため、泣く泣く授業に戻るというアホな経験をしました。
私はやわな日本の私大で青春を送ったんだけど、ほんま、授業さぼりまくってたなああ。大学に対する印象って、あの時の感じでFIXしているので、こっちに来てあまりの厳しさにしばし呆然状態が続く。
実はこちらに来て最初の段階で、ちょいとした手違いがあり。英語をノンキに学びたいと想って登録した先が、アカデミックイングリッシュのAEPというグループだった(これはちょっとした行き違いが原因)ため、クラスメイト全員がアメリカで院に進んだり、Phdを目指す人ばかり。授業も自ずとアメリカで大学や院に進むために必要な勉強が中心で、ことあるごとに「あなたの専攻は何?」と授業で聞かれまくり。
えっと、。。。。。私はただの日本のライターで、息子の留学に乗じてノンキに英語を習いに来ただけなんですが。。。。。というエクスキューズは当然通じず。
ディベートせよ、論文書け、ディスカッションせよ、発表せよという無情なオーダーの連続にメンタル壊れかけたので、オフィスに「手違いだと思うので、コースを変更してくれ」というオファーを投げ続けるも、「満員だから動けない」という返答が続く。。。。。。
という、人生でもこんだけストレスフルな状況は数えるほどしかなかったのではないかい?
という状況に放り込まれて1週間。
たった1週間だったけど、これはホントの本当に、とてつもなく消耗しました。授業受けながら涙が出てきた。顔面神経痛も出た。こんなに追い込まれたのははじめてだった。中学英語で自己紹介ぐらいしかできない状態で、自然保護と環境問題についてクラスメイトとディベートしろといわれる。えっとお、えっとお、と言ってる間に、サウジアラビアだのエクアドルだのから来た学生が、ああだこうだとしゃべって、期待を込めたまなざして私を凝視する。えっとお、えっとお。。。。。。。涙。ほいでも、そこまで追い込まれるように勉強するって、すごい体験だったなあって今では思えるけど。。。。。
つたない英語で、「プリーズチェンジ」とオフィスに毎日訴え続け、最後には私の友だちが長文のメールをオフィスに送ってくれ。
やっとこその状況をどうにか抜けだして、通常のELPクラスに変更してもろて、2週間目からなんとか新しいクラスに馴染もうと努力して、無我夢中で勉強して8週間。そしてやっと今日が最後の週の月曜日でした。
あがいていた8週間。思い起こしてみれば、以前ジャズシンガー綾戸智絵さんがインタビューで言ってた言葉がよみがえるなあと思います。
「あのな、溺れかけてる人は悩んだりせえへんのよ。悩んでる間に溺れるから。とにかく溺れんようにあがくので精一杯。せやから、悩めるっていうのは、ある意味贅沢なことなんや」
私、この数週間本当にこういう感じだったんじゃないか、って思います。悩んでなんかおれんのよ。毎日死活問題で>笑 勉強だけじゃなくって、テキサスでごはん食べて、暮らして、もろもろ降り掛かってくるあれこれのタスクを乗り切ることで、もう精一杯で。
それが、今日で最後の週のはじまりです。はああ。
なんかね、やっと今、言える気がするんです。
私、頑張ったんでね?
そうだよね、頑張ったよねえ、って。
なんかやっと今、これまでのことをほっと一息、振り返れるような気がしています。
といことで
夏のセメスター、ほぼ終わり。振り返って、もともと、なぜお前はテキサス大学なぞに来たのじゃ? という原点に戻ってみようかな、と。
もとは、息子の進路が理由でした。
日本の学校に馴染めて、集団生活に順応して、親の期待するような将来像を描きながら、それなりの成果を出して、部活や課外活動などにも積極的でそれなりの成績を取り、自分から日本社会でなんとかやっていけそうな将来像を選択する、。。。。
というようなタイプの子どもだったら、おそらく私はもっとノンキで、同時に子どもに対して厳しい眼差しを向けていたのかも、と思うことがあります。
ずっとずっと自分の子供をも見守り続けてきて、悩んで苦しんで葛藤して。私はこの子はとってもいい感性を持っていて、うまくいけば素敵な未来が待っていて。それでも、今いる日本の学校社会の中でどうしても適応しずらい感じの彼を見ながら、どこかで、広い世界を見て欲しいとずっと切望してきたんだと思うのです。
世界は広い。
東京のたったひとつの学校の中で起きていることを、世界だと思わないで欲しい、と。
黙っていても「こうしたい」という将来像が学校の中で探せる子だったら、そのまま彼の言うとおりにしていたと思うけど、どこまでいっても「どうしたら?」という疑問符が続く彼を前にして、私にできたことは、とにかく広い世界を見ておいで、ということぐらいしか思い浮かばなかった。
人生は長い。
18歳ぐらいの時点で、生来の職業なんて、決められなくて当然だと私は想っていて、そんなのは甘い親だと言われてしまうのかもしれないけれど、進路相談で常に「何になりたいのか」と問われ続けるたびに、「そんなのわかるわけないじゃん、18歳で」と私は想っていた。
だって、50歳すぎたって、何になりたいのかなんて何もわかってないんだから、私は。
親として、やりたいことなんて10代で見えるはずはない、悩めるところまで悩んで、迷走して、トライ&エラーを繰り返してみれと思う一方、そんな甘いことを親が言ってはいけないのではないかという思いも交錯し。
当初は単身で海外に放り込もうと想って、周囲にも相談して歩き。結果的に一番信頼している人に、「子どもにもいろんなタイプがある。一人で放り出してよい結果が出る子と、プレッシャーに負けて戻ってきてしまう子と。すごく繊細なこの子の場合は、おそらく後者で、放り出したところでメンタルがやられてすぐ戻ってくる。その経験が役に立つ場合と、後々尾を引く人がいて、彼の場合は後者。大変だと思うけど、あとちょっとのサポートが必要だと思う」というアドバイスを聞いて、私自信も思うところあり。
ああ、だったら。
私が人生でやり残したと思ったいたこと。
「海外に留学して勉強する」
という大きな夢だったことを、息子の夢を借りて実現させてもらおうかな、と思った。
というのが、今回のテキサス入りの大きな理由だったのでした。
テキサスという場所を選んだのは、私がずっとずっと尊敬している友人の存在があったから。彼女を頼って、テキサスへ。
ちょうど、彼女の家族が海外に出て不在の時期に、彼女の家に滞在させてもらって、親子で大学生をやってみる、というのが今回のプロジェクトだったわけです。
夏のセメスターが終わったら彼女たちが帰ってくるので、息子を託して私は帰る。その間の2ヶ月半の助走期間に、私にとっての未完の夢を叶えさせてもらおうかな、と。
だってそうでしょ。
息子のために一緒に海外についてきて、ごはんを作ってパンツを洗って家で待ってる、なんてかあちゃんはいないほうがマシなのです。
私はただ、私が英語を学びたいから来た。
私が、大学に通いたかったから、来た。
たまたま、それが息子と同じ大学だった。
それだけのこと。
9週間が過ぎて。
本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。
英語をいくらやったって、全然話せる用にならないじゃんよ!!!とか。
アメリカってほんと、変でおもろい国じゃん! とか。
ごはんがどうしても合わん、なんとかならんの???? とか。
勝手気ままにあれこれ書いてきたけれど、結局はすべて
「私が来たいから、来た」
ことだし
「私が学びたいから、学んできた」
こと。そう想って、頑張って頑張って、大学も休まず通い続けて、膨大な量の宿題をこなし、わけわけめの会話に必死についていき。
同時に、毎日の食事を作り、それだけでは頭がおかしくなりそうなので、必死におもろそうなことを探し、友だちを作り、アクティビティを探して息子とでかけ、こちらの人と交流し。
9週間たって、今日。
なんかね
ああ、ミッション終了でいいんじゃないかな、って。
そう思ったんです。
もう、ここまででいいよね。私、頑張ったよね?
って。
本来ならすべての授業が終わり、フェアウェルパーティがある時点で、すべてを終えた達成感でそう思えるのが一番なんだと思うけど。
でも、もうあとはいいや。今日が最後って。
そう思った。
今週は授業が最後の週なので、授業も自ずとエンディングを目指して構成され始めます。
ずっとずっと退屈だった文法のクラスは、今日は「映画を観る」でした。
授業の最終日は、この映画を見てピックアップした例文をみんなで発表しあって終わり、ということらしいです。
見始めた映画は、戦争映画でした。
戦闘機の爆音と、爆撃で死んだ人の顔のアップ。人種差別がテーマなので、黒人のブロークンイングリッシュが続き、アメリカ空軍の話題が延々と。
ごめん、もう勘弁してと心が叫び始めます。爆音も戦争も、死んだ人の映像も見たくない。この手の映画は、人生で避けて避けて通ってきたもので、教室にいるのも辛い。
ほいでも、先生も生徒も、夢中で映画に釘付け。
ああ、もう次の授業は出なくていいや、と思う。
スピーキングのクラスはジョークでした。
アメリカンジョークを披露しあう。
そして、最終日はお楽しみの「マフィアクイズ」で幕を引くと言います。
若いほかの学生たちは、楽しい楽しいと言い合っているけど、私はごめんなさい、これは私の感性と対極あるもので、1mmも楽しめない。
頑張って頑張って9週間。
だってそれは、息子のためでもなんでもなく、ただ私がやりたかったから。
そう言い聞かせて、「悩む」ゆとりもなくとにかく追いつくことで精一杯でやってきた日々だったけど、なんとはなく今日、
ああ、もうミッション終了でいいですか?
ってストンと思えました。
今日、セメスターが終わってあちこちに散っていく学生たちにまじり、息子は友だちのアパートで開かれるピザパーティに一人車で出かけていき、それを見送って一人家に残ったところで、何か自分の堰が切れて、
もういいよね
これでお役御免でいいよね
私、すごく自分と違う場所で、頑張ったよ。
頑張った。
自分で自分を褒めるよ。
って思った。
東京にいたとき、もう子育ては終わり、手を引くよっって思って、でも結局は子どもは家に住み、私に頼って甘えて本当の自立とは程遠いところにあって、現実と思いの乖離の中でどうしたらいいんだろうって思っていたけど
ああ、これでもう私
この子を残して一人で帰って、東京で一人で暮らしていけるな、って。
なんだか、ストンと割り切れた気がします。
で、こちらに来たときに時差ボケで眠れなかった時に買ってそのままだったバーボンを、ソーダで割って、夕食の代わりにドーナツをかじって、ほいでもってテレビつけてベッドに寝そべったら、とめどなく涙が溢れてきました。
センチメンタルとか、そういうんじゃないんです。
とにかく、疲れた。ほんとに、疲れた。
ミッション終了。
やっぱり、どっか無理をしていたのかも、とも思います。
でも
かけがえのない体験をさせてもらえた、とも思います。
とりあえず、残りの授業はもう出ないと決めました。
戦争映画の感想を言い合って、セメスターの終了を祝い会うのも
ジョークとマフィアクイズをして盛り上がるのも、
もともとの私とは激しく違う場所にあるのは確かで、
そういうことにもう、無理して合わせなくていいよね、ってはじめて思えた今日。
唯一、作文の授業のみ、書き残したことがあるのであさっては授業に出て
それで私のミッションは終わり、って思うことにしました。
自分が終わりだと思えた時点で終われるのが、大人の特権のはず。きっと。
ほいでも、こんな風に無理矢理な感じで新しい体験ができたのも
子どもがいてくれたおかげと思えば
なんだかそれはすばらしいことだなあって思います。
ほんとにほんとに、ありがとう。
息子にも
テキサスのYukoちゃんにも
そして仲良くしてくれたオースティンの人たちにも
心の底からお礼が言いたいです。
だって、そうじゃなくちゃこんな体験できなかったもん。こんな写真も、こんな笑顔も、撮れなかった。世界は本当に広く、私は何も知らなかったまま50年生きていたんだってことが、改めてわかった。

大学だけじゃ辛いなあって思って、ネットで必死に探して参加した料理教室と現地のアクセサリーのクラス。ここで出会えた人たちも、かけがえのないものでした。
英語を学ぶクッキングクラスで。

英語話せないけどいい? って勇気を振り絞って参加してみた、地元のアクセサリー教室。そこでかけがえのない出会いをしたなあって思う、アーティストのAyannaと。

(スタイルいいなあ、Ayanna....)
日本ですごく仲良くしてもらってる友だちの後輩が、どういうわけかAustin在住のアメリカ人と結婚して住んでるよー、と紹介してもらって知り合ったNorikoちゃん。おうちに招いていただいたり、ダーリンのGigに何度も誘ってもらって、本当にお世話になりました。音楽の街、Austinの滞在を楽しくしてもらえたのは彼女のおかげ。

そして、クラスメートの台湾から来たPinちゃん。ごはん行ったり買い物したり、楽しかった! 本当にいろいろありがとう。こんな友だちができただけでも、本当の本当に幸せだなあって思う。

ほかにも、チューターをしてくれたJimさん、着いたばかりで戸惑っていた私をイベントに誘ってくれたVicky、Austinをあちこち案内してくれたAnna, Shuan,Gahart(ホストファミリーであるYukoちゃんが申し送りしていってくれた人たち。何よりもYukoちゃんに感謝)、みんなほんとにありがとう。10週間で、あり余るほどの体験をさせてもらいました。
こうしてかあちゃんがじたばたしている間に
息子はここでいろんなことを学んでいて
昨日来てくれたチューターさんによると
「彼の英語はすごい進化してるよ!」ってことらしいし
コミュニティを作ってでかけていく様子を見るにつけ
かあちゃんはもう日本に帰るね。
いろいろ経験させてもろて、ほんまありがと。
って。
素直にそう想って
ほいでもってバーボンを飲んでいる今日でした。
お疲れ様、私。
さて
そろそろ自分に戻るよ。
笑。
感激した。
留学、勉強大変お疲れさまでした。
そして子育ても。
帰って来たらおいでねー
みんなで慰労?するわ〜( ´ ▽ ` )ノ
いづみかーちゃん、ほんとうにおつかれさまでした