留学3−2 プラネーのアニー

2009.08.31 Monday 21:48
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    7月21日(火)−2

    滞在3日目、レッスンのあとに出かけたのは、プラネーという小さな村に住むアーティスト、アニー・シャゾットさんのお宅だ。アニーはイラストレーターであり、さまざまな暮らしの道具のデザインも手がけているのだ、とクロディーヌ。暮らしの本を出している私には興味深いだろうとセッティングしてくれたらしい。
    日本にも何度も来たことがあり、フェリシモというカタログショップのグッズデザインもしているのよ? フェリシモって知ってる?

    おお、知ってる、知ってる。
    有名よ、フェリシモは。へー。
    この時、てっきり私はアニーというのはお皿とかエプロンとか、その他雑多なインテリアグッズのデザイナーさんなのだと思っていた。例えばトールペインティングされたティッシュボックスとか、そんな感じのもの。

    予備知識がまったくないまま誰かの家を訪れる。あとになって、それはもしかしたらたいそう失礼なことだったのかもしれない、と思う。プラネーで私たちを待っていたアニーは、とてつもなく魅力的な絵を描くアーティストだった。




    アニーのアトリエにあった絵は、この地にいるからこそ描かれたのだと思える色彩と、穏やかさに満ちている。そしてアニーの家も。



    アニーの娘さんは、ELLEやVOGUEなどの雑誌を手がけるジャーナリスト。親子でいろいろな活動もされているそうで、この家も多くの雑誌のグラビアを飾っているのだそうだ。
    なんといえばいいのだろう。
    こんな風景は、確かに雑誌で見たことがある。でも、それが突然目前にリアルで現われると、突然現実感を失っていく。海外の雑誌の中に存在する一種のファンタジーのようなものの中に、突然自分が放り込まれてしまったような不思議な感覚だ。ほんとにあるんだ、こんな世界が。

    昨年訪れたモロッコのように、何もかもがはじめてみる風景というカルチャーショックもさることながら、海外の雑誌で何度も眼にしてきたこんな風景が、ほんとの本当に目の前にあるというカルチャーショック。



    撮影用に整えられているわけでもない、普通の日常に突然足を踏み込んだだけなのに、このある種完成した世界。傍若無人にカメラのシャッターを切ることがはばかられて室内の写真は撮らなかったが、室内のインテリアの美しさも素晴らしかった。アニーの家はそんな驚きに満ち溢れていた。

    私たちはこの家の裏手に広がるアニー家の農園でランチを取ることになった。農園には色とりどりの季節の花、無農薬で育てられた野菜やハーブたち、その重みで枝が地面につくほどにしなった黒すぐりやあんずの木がにぎやかにひしめいている。

     

    「ようこそ、彼がこの家とこの農園の管理人よ」
    “そう、彼はひどく腕のいい庭師なの”

    庭の手入れをしていた初老の男性がこちらを振り向く。アニーの夫だ。
    「君たちはここにいていいよ。僕が料理を持ってくるから」
    彼が家の中に引っ込むのと入れ替わりに、女たち3人で庭のテーブルに陣取り、ひとしきり彼女の畑の話を聞く。陽射しは強いけれど、日陰に入れば涼やかな風が吹き過ぎて、そんな風の行き先を追っているうちに、周囲がにぎやかな鳥の声に包まれていることに気付く。ここはなんとゴージャスなレストランなんだろう。



    フランス人は青空の下で食事をするのが好きだ。9時過ぎまで明るい夏の間は、ディナーのためにピクニックをする家族もいる。食物は、太陽がないと何一つ育たない。そんな食材をおいしく食べたいなら、太陽の下が一番美しいに決まっている。ピクニックは、ごはんをおいしく食べるための偉大な方法なのだと思う。

    ほら、さっきそこで取ったアルファルファ。これは日本にもあるでしょう? きゅうりもうちの畑のものよ。



    アルファルファは根がついた状態でただ洗って皿に盛ってあるだけだ。その根の先には、発芽したあとの種の抜け殻がごっそりついている。普段なら避けてしまいたくなるそんな根っこの先は、たった今土の中から抜け出してきた生々しい風情で、太陽の下でぷっくりと宝石のように輝いて見える。
    ただ採りたてのアルファルファを何もつけずに食べたのに、びっくりするほどジューシーで絶品なのだ。あまりにうまそうに食べたらしく、「残りは全部いづみにあげる」と残りの皿が回ってきた。




    ルッコラ、チャイブ、その他いろんな葉物を合えたサラダも、お日さまの下できらきら輝いている。野菜本来の力は、こうしてお日さまの下で発揮されるんだなあ。こんな景色の中にいれば、新鮮なものをシンプルに食べるのが一番の贅沢なのだと思える。どんな照明より、お日さまのちからは偉大なんだ。



    メインはラム肉のローストだ。たくさんの豆や野菜と一緒に蒸し焼きにされている。
     


    フランス料理は量が多くて、バターや生クリームを使ったしつこい料理が多いと思ってきたけれど、家庭料理はこんな優しい味付けの、あっさりしたものが多い。こんなしあわせな料理を、こんなしあわせな風景の中でいただく。時間が、ゆっくりゆっくり流れていく。




    食事の間中、アニー夫妻とクロディーンは絶え間ないおしゃべりに興じている。フランス語でのおしゃべりは、とにかくスピードが速い。そのくぐもったような発音から、フランス人は物静かにしゃべるように思われがちだけれど、実際には多くの人がマシンガントークを繰り広げる。相手の話が終わらないうち、言葉をかぶせるように次の人が話し出し、一体何をそんなに話す中身があるのだと思うほど、延々と絶え間なく会話はつながっていく。
    私は、ランチが始まってからすぐ、そんな会話の連鎖の中に入り込めなくなってしまった。うまいものを食べることに意識が集中している。会話がどこに流れていくかを追いかけているだけの気力も、時間もないのだ。一度意識の集中が途切れると、あとはもう何も聞こえなくなってくる。フランス語はどこか向こうのほうでこだましている雑音のようになっていく。

    「それでね、いづみ。私たちは去年富山を旅したのですよ」
    突然アニーに話しかけられる。!!? へ? あ、はい。富山?
    ういうい。富山ね。ういうい。

    「サクラの季節で、それはそれはきれいだったわ」
    ああ、サクラ。そうね、4月はサクラの季節ですよね。うんうん。
    ういうい、サクラ、ういうい。

    ういういといいながらにこにこしているうち、話題はすぐ次に移っていく。フランス語があまり話せない日本人に向けた話題でなくなったとたん、話されている内容はもう意味がよくわからない。お手上げだ。

    帰宅してからクロディーンにこういわれた。
    「フランス人とのコミュニケーションはスピードが大切だと言ったけれど、もうひとつ大切なことがある。それは質問をするということ。今日、あなたはアニーに富山の話を聞いたでしょう? そういう時は何でもいいから質問をして。たとえば富山のほかにどこに行ったことがある? 日本では何を食べた? 寒かった? 難しい質問じゃなくていいの、当たり障りのないことをとにかく聞く習慣をつけてみて。
    質問があれば、この話題があなたにとって興味を引くものだという確認になるの。今日のあなたのように、にこにこしてうなずくだけでは、これはあなたの興味を引かない話題だったということになり、すぐ次の話に移っていく。フランス人の会話ってそういうものなのよ」

    質問をしないのは無礼にあたる。つまり、この日の私はにこにこ「ういうい」なんて言い続けていたけれど、それはある意味無礼だったということになるのか。
    とにかくなんでもいいから聞け。それが相手への関心の証。これはちょっとした目ウロコのお話。とはいえ、私の語学力ではとっさに質問をすることはとてもハードルが高いのだけれど。

    デザートが出た。



    庭で取れたというフランボワーズで作ったパイを切るアニーは、それだけで一服の絵になるような美しさだ。切り分けられたパイも、海外の雑誌の一こまを見るような色彩で、思わず息を呑む。



    クロディーンとアニーは、しばしパイの作り方のコツについて話に興じている。アニーが何やら言って、クロディーンが爆笑しているが、何を話しているのかはてんでわからない。ぽかんとしていたら、クロディーンが説明してくれた。
    「このフランボワーズはすっぱいからお砂糖をたくさん使った。これを食べると太るわよ。一口食べたら私のこっちのおしり、二口目がこっちのおしりになるってこと」
    自分のおしりをペンペンするアニーはとてもチャーミングだ。

    最後に彼女は自分のアトリエを案内してくれて、そこで次の個展のために準備をしているという絵を私たちに見せてくれた。
    また、彼女はいま永田萌さんと絵本を作っているらしい。そのための一枚目のイラストを昨日仕上げたばかりなのだという。
    「誰かに見せるのは今日が始めて。この絵を見たのはあなたが一番よ」
    彼女が引き出しから取り出したイラストボードには、プラネーの村に日本人の女の子がリュックをしょってやってくるところの絵が色鮮やかに描かれていた。

    いつか、私もこんな風にまたここに来たいと切に思う。そのために、フランス語をもう少ししゃべれるようになりたい。話に迷子になってしまわないぐらいに、ちゃんと質問を返せるようになるぐらいに。

    2時間ほどの滞在を終えてアニーの家を後にした。
    おとぎ話の中のような家の玄関で、おとぎの国の住人のようなアニー夫妻が手を振っている。私たちが角を曲がって見えなくなるまで、ずっと、ずっと。



    私は何か、とてつもなく大切な体験をしているのだ、という気持ちに突然襲われる。この風景を忘れないように、必死にシャッターを切る。二人が見えなくなったところで、クロディーンが口を開く。

    「あのね、いづみ。アニーは料理教室もしてくれるの。ただし、彼女は語学の先生ではないからそれを受けたいならフランス語がある程度できなくちゃだめ。もしあなたがフランス語をちゃんと話せるようになったら、彼女に料理を習うといいわ」

    自分の人生に、そんな選択肢があったのか、と思う。もし実現したら、それはかけがえのないほどの経験になるような気がする。日本の小さな生活の中で見えなかったことが、勇気を出して踏み出した一歩からちょっとづつ広がることがあるのかもしれない、と思ってみる。
    そんなアニーの家での2時間。大切に心のアルバムにしまっておきたい風景に出会えた貴重な2時間だった。
    category:フランス留学 | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -
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