美術館の監視員さんはもっと自由でいいと思う件について

2019.07.29 Monday 00:08
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    久しぶりの一枚の写真シリーズ

     

     

    パリ、ポンピドゥー・センターの美術館で、監視員さんがあまりにかっこよかったのでパチリ。

    先日友人のFacebookで、ポンピの監視員さんのかっちょいい写真が上がっていて、思い出して探してみたら出てきた。

     

    友人が撮った写真の人も、ちょうどこんな感じで足を組んでた。

     

     

    海外の美術館では、監視員さんがスマホいじってたり、おしゃべりしていることはとても多い。

    まあ、そりゃそうだと思う。

    座っているだけの仕事は退屈だ。

     

    それでも、さぼっているように見えて、お客さんが絵の質問を投げかけると的確に答えてくれることもある。

    っていうか、監視員さんに質問をする人が海外の美術館では結構多いなあと思う。

    なんかさ、素敵じゃん?

    そうして質問したり感想を投げかけることができるお客さんも、その質問に答えたり自分の感想を言える監視員さんも。

     

    日本の美術館の監視員さんには、本当に頭が下がるけれど

    いつも、感謝の気持ちに「見ていて辛い」気持ちが複雑に入り交じる。

    座っていたっていいのに。

    スマホいじったり、お客さんとおしゃべりしてもいいよ。

    ずっと立ったまま、黙っておじぎして、姿勢をくずすこともなく

    ペンを取り出す人や、ペットボトルを出した人を見つけたとたん、すっ飛んでいって注意して

    それなのに、混雑して見えないという苦情や文句を言うわがままな客のはけ口にされてしまったり。

     

    美術館の監視員さんは人間なのに、なんだかロボットみたいで悲しい。

    なんか、昔はもっとおおらかに座っている監視員さんが多かったのに

    最近はとっても厳しいというか、直立不動の姿勢で立ち歩いている人が増えた。

    とってもタイヘンな仕事だと思う。

     

     

    私のフランスの友人に、甥が画家をしながら、ルーブルの監視員のしごとをしているという人がいる。

    絵が大好きでずっと描き続けて、個展をしたりもしているけれど

    それだけでは食べられないのでルーブルで働いている。

    大好きな絵に一日囲まれていられるから、とてもうれしいのだそうだ。

     

    今日はもう一枚発掘された写真。

    パリのモロー美術館にて。

     

     

    モロー美術館って、もうパラダイスみたいなところなんだけど>笑

    この大量のモローの絵の真ん中で座っている、かなりのイケメンがこの階の監視員さん。

     

    絵になる。

     

    彼の手にあるのは、ipad

    足を組んでなんか見てる。

    足元になんか置いてあるでしょ。

    これはスケッチブックなんだ。

    ペットボトルだって置いてある。

    日本ではありえない。そもそもペットボトルの持ち込みが固く禁じられている。

    写真はもとより、模写もだめなところが多い。

    おおらかすぎる。どうなのか。

     

    思わずパチリとしてしまったこのあと、見に来ていた家族連れが彼に話しかけて

    それからしばらくの間、彼らはモローの絵についてあれこれ談義をし続けていた。

     

    なんか、とっても平和な光景だった。

     

    いろいろ注意を払ったり監視をするのはきちんとやらなくちゃだけど、

    絵が大好きな人が、絵に囲まれて仕事ができて

    お客さんと絵の話ができて、まあ、暇なときはスケッチブックに鉛筆ぐらいでなら絵を描ける

    美術館の監視員って、なんかそういうことができてもいいように思うんだけど

    だめなのかなあ。

     

    日本では監視員さんは派遣やバイトがほとんどだそうで

    なかなかそういうわけにはいかないのかもだけど

    いろんなこと知ってて、話しやすい監視員だらけっていう美術館は、きっと楽しいと思うぞ。

     

    そして何よりも、座らせてあげてほしいし、暇なら別に本ぐらい読んだっていいよーって私などは思っちゃうんだけど

    最近の東京の展覧会は人が多すぎて、なかなかそういうわけにはいかないんだろうなー。

     

     

    スーパーのレジも座らせてあげればいいと思うし(そうすれば、車椅子の人だってレジの仕事ができる)、デパートの人も一日立ち続けるのはタイヘンだから、レジのあたりで座っていたってぜんぜんよいよーと私は思うんだけど、日本はほんとに真面目で、労働者はいろいろタイヘンじゃ。

     

     

    ところで、私は図書館司書の資格を持っていて、真剣に地域図書館の司書になりたかったのだけれど、日本の行政内では司書は専門職として雇用されることがほとんどなく、役所の人事異動のひとつで選択できないとわかって、あきらめた経緯がある。

    それでも、どうしてもやりたくて、当時地域図書館として最先端と言われていた公共図書館に、バイトでもよいのでさせてもらえないかと電話をかけたことがある(えらいぞ)。

    その時は求人はありませんと断られたけれど、半年ぐらい経ってから「産休補助の席があるけど来ませんか?」って言ってもらって、念願の地域図書館での仕事を半年ほどした。本の登録から貸出や検索業務、絵本の読み聞かせまでさせてもろて、あれはとっても素敵な経験だった。

     

    一番ステキだと思ったのは、本の場所を聞かれると、図書館の人たちは迷うことなく魔法のように本を取りにいけるし、資料検索もさくさくこなす、誇りを持ったプロ集団だったってこと。

    図書館の未来は明るい! ってあのときは思ったんだけどなあ。

    どうなっちゃったんだろうなあ、日本の図書館行政。

     

     

    子どもの手が離れて、少し自由時間ができた時に、また司書の仕事がしたくて図書館の仕事を探したら、今は派遣会社がバイトを紹介するシステムになっていて、バイトの仕事は司書業務ではなくて、本を棚に戻すなど限られたことしかさせてもらえないと聞いて、なんだかとっても悲しくなってしまったんだった。

     

     

    バイトであっても美術館や図書館みたいな場所にいる人は専門的な知識があったほうが絶対によく

    訪れる人も、そうした人をリスペクトして、同等におしゃべりしたり質問できるような雰囲気があったらいいなーって思う。

    で、こうした人材にちゃんと報酬を出せる仕組みもあってほしいなーって思う。

    働く人はもっと大事にされてよいよ。

     

    そんなこんなの2枚の写真の思い出。

    モロー美術館のにいちゃんはほんまイケメンじゃった。

    反芻して、寝る。

     

     

     

     

     

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    トスカーナのオルチャ渓谷を車で回る冒険

    2019.05.08 Wednesday 10:49
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      ジェノバの空港で友人に車を借りるのを手伝ってもらって、そこからフィレンツェまで。

      イタリアの友人が絶賛オススメしてくれたサン・ジミニャーノ、ピエンツァにに宿泊しつつ、キャンティ街道やオルチャ渓谷を回る旅。

      途中のピサ、シエナ、モンタルチーノといった街も素敵だった。

       

      オルチャ渓谷って、こういうところ

      http://tabit.jp/archives/14110

       

      私は最初名前だけ聞いたとき、日本の発想で両側に岩壁がそそり立つ川辺の風景を思い浮かべたけれど、実際には延々となだらかな麦畑や牧草地帯が広がる広大な大地だった。

      もとは粘土質の土で作物が育たないなにもない荒野だったところを、開墾してこうした場所でも育つ麦を飢え、土砂崩れを防ぐために糸杉を植えたのだそうだ。自然の風景って思いがちだけれど、ここは人の手で作り上げられた世界遺産なんだって。

       

      見事でやんした。

       

      生きてたらいいことある。

       

       

       

      10年ほど前、1週間だけ留学したフランスのブルゴーニュの小さな街で

      オフの日に隣の町のディジョンまで小旅行をしてみようということになり

      モンバールの小さな駅に連れていかれ

      「ほれ、切符を買ってこい」

      と背中を押されて一人

       

      ディジョンまでの切符一枚ください

       

      とつたないフランス語で言ったとたん

      機関銃のように何かをまくしたてられて

       

      もう、尻尾を巻いて逃げて帰ってきた。

      ノミの心臓には無理、無理。

       

      あの頃は、まだネットで列車の切符が発券できなかったり

      ホテルの予約サイトも日本語のものがなかったり

      自力で旅をするには結構スキルが必要で

       

      そんなスキルがなかった自分は、あっちこっちで恥をかいたり

      途方にくれたり、失敗したり。

       

      そんな自分を横目に、世の中にはスイスイと

      「フランスを列車で回ってきました」「トスカーナをドライブしてきました」

      っていう人たちがいて

      そりゃもう、驚愕の尊敬をしてたもんだった。

       

      ネットのシステムが普及した今は、旅をするのはずいぶん楽になったなーって思う。

       

      私は根っこがチキンなので

      行き先を決めないぶらり旅や、宿泊先を当日に探すような旅は全然気持ちが楽しめないので苦手だから

      本当の意味での「何が起こるかわからない冒険の旅」は絶対にできない。

      だから事前の準備の時間がすごくかかるわけだけど

       

      それでも、今回の旅は充分に冒険だった。

       

       

      前に、旅好きの友人の一人に

      「日本で暮らしているのと同じ生活ができないような旅はいやだ」と言われたことがある。

      英語が堪能で留学経験もあって、いろいろなことができる彼女は

      英語が通じないような場所はいやだ、清潔でなければ無理、理不尽なこともだめなのだそうだ。

       

      へー、それじゃあ何のために旅行するんだろうって思ったけど

      そうか、ある程度のことができてしまう自負がある人にとっては、すごい苦労をしたり、途方にくれるようなことは

      おもしろくはないのかもしれないなあ、などと思ったものじゃった。

       

       

      途方にくれるのは、あとから思い出すとすごくおもしろい思い出だ。

      スイスイできたことよりも、途方にくれたことを不思議と思い出す。

       

       

      フランスで、しらないうちに高速道路に入っていたことに気づき

      え”? 高速料金どうやって払うん???? とパニックになったことや

       

      アメリカで駐車違反を取られて、罰金の払い方が意味不明だったときや

       

      パリのレンタカー屋に車を返したときに、ダッシュボードにおいたカメラをお店の人に盗られたこととか

       

      いろいろ素敵におもろ。

      今回も、フィレンツェの空港でレンタカーの返す場所がわからずに

      駐車場を走り回って、結局最後にはシャトルバスの運ちゃんがアイフォンの翻訳機能を使って

      「車に戻り、運転をして俺について来い」と言って走り出すことになり

      息も絶え絶えにあわてて後を追って、

      こんな場所、どうやってたどり着けっていうんじゃい!!!! ってな場所にたどり着いて

       

      結局、戻ってから語り合うのは

      素敵な風景や親切な人々のことと同じぐらい

      いやああ、あれは大変だったねえってことだったりする。

       

       

      毎日の暮らしと異質のものとつきあうのはエネルギーがいるけれど

      そんな小さな冒険に向き合え続けるだけの好奇心やおもしろがれる力みたいなものを

      いくつになっても忘れたくないなあって思った旅だったのでした。

       

       

      なんか単なる備忘録。

      トスカーナバンザイ。

      一緒に楽しんでくれた人、助けてくれた人、みんなありがとう。

       

       

       

       

       

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      がんばっても報われない世界と報われる世界の間で

      2019.04.16 Tuesday 07:42
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        パリのポンピドゥーセンターの横に、ひっそりと小さな建物がある。

        ブランクーシのアトリエ。

        モンパルナスにあった彼のアトリエを再現した場所で、ここはもう随分前から私のお気に入りの場所なんだけど

        そんなあたりをうろうろしてたら、突然こんな写真のような風景が現れた。

         

        ポンピの前の広場は世界中から観光客が集まってくる、華やかな一角だけど

        このおっちゃんはボロボロの手押し車に鳩の餌を積んでよろよろとやってきて

        しかめ面のまま餌をまき、阿鼻叫喚の鳩の群れを作って

        そして去ってった。

        ポケットからiphoneを出して、無我夢中で撮った。

        ほんの数秒の出来事だけれど、恐ろしくドラマチックで、強烈に美しかった。

        お気に入りの写真。

         

         

        東大の入学式の祝辞で、上野千鶴子さんが語った内容が話題になったんだけど。

        https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni?fbclid=IwAR0rF42XsDqyKIkrXJycPo7ofdWUlxwlFKzz-I6EJuMQ43viY2k_tEiznRg

         

        私の周囲では感動を込めて語られたけれど

        冒頭のフェミ系の発言にアレルギー反応を起こした人もいたし

        実際に入学式に参列した人の話だと、学生は「は??」ってな感じでピンと来ない風情だったらしい。

        そりゃそうだ。努力と栄光で勝ち取った場所で、この話は響かないだろうと思う。

        特に後半のあたりの話は、一番聞かせたいのは永田町あたりにうろうろしている人生後半戦の人たちかもしれない。

         

         

         

        私はもしかしたら、がんばったら報われた世界の出身なのだと思う。

         

        地元の子がみな行っていた小学校には行かず、受験をして国立の付属の小学校に入った(というか入れられた)。

        付属だからそのまま大学まで行けるのかと思ったら、待っていたのは熾烈な受験戦争で、根が真面目なので下手に受験を頑張ってしまい(いまの私なら答案を書かずに帰ってくると思う)、東大に大量に合格者を出す高校に入ってしまった。

         

        私はそこからゆるやかにドロップアウトしていったけれど

        おそらく

        そこはがんばったらその分、何がしらかは報われる世界だった。

         

        試験前には、机の中のノートがなくなった。

        誰かのために自分の時間を割いて、損をして、助け合うという発想なんてなかった。

        そうして頑張れば、報われるはずだった。

        熾烈だった。

         

        以前

        同じ高校で一緒だった子と子供連れででかけたら、小学生の息子に

        「お勉強しないと、あのおじさんみたいになっちゃうのよ」というのを聞いた。

        指さしていたのは工事現場のおっちゃんだった。

         

        高校生の子どもの進路の話で

        「うちの子、本当に勉強できなくてバカだから大工になるしかないと思う。

         あ、でも不器用だから大工にさえなれないわ。あははは」

        と話されて、私はムキになって、大工さんはバカじゃない! と反撃したものだった。

        なんだよ、その発想。

        ってか、そんな発言を本当にする人が集まっている場所があって

        がんばったら報われる世界の果てには、そんな人が量産されていたりもした。

         

         

        冒頭のブランクーシのアトリエ前の写真が出てきて

        そんなことを思い出したのだった。

        子どもには、こんなに美しい風景の中に別の価値観を探し出すような人になって欲しくない。

         

         

         

         

        がんばれば報われる世界に育った子たちは

        がんばれば報われると思い続けて生きていく。

         

        大人になって、がんばっても報われない世界の中でもがいたとしても

        自分のこどもには、やっぱりがんばれば報われる世界へのパスポートを与えたいのだと思う。

         

         

        ここ数年

        小学校のとき同じクラスだった子と会う機会が増えたんだけど


        子供時代の楽しくて温かい思い出を語るというより

        私達はちょっと、

        過酷な時間を生き抜いてきた戦友のような話をする。

         

        社会的に完璧に見えている、がんばったら報われる世界の家庭は

        見えない場所で壊れていることも多かった。

        隠されている分、そのおかしさに気づきにくく

        助けも求めにくかった。

         

        幸福は、がんばれば手に入るというものでもないように思う。

        がんばって手に入れたものを、がんばらずに手に入れている人がいたら、嫉妬するしざわつく。

        全然がんばっていない人に、自分の取り分を分けたくないと思うのは仕方ないような気がする。

        だから、がんばりすぎないほうがいいなー。

         

        がんばってる子どもたちには、がんばらなくても手に入るしあわせがたくさん訪れますように。

         

         

        ==================ーー

        ブランクーシのアトリエはポンピドゥー・センターの横の目立たない場所にひっそりとある。

        https://paris.navi.com/miru/293/

         

        14時から18時までしか開いていないので、存在を知らない人も多いけど

        中は超絶に美しい。(と私は思う)。

         

        どんな場所からも、完璧なコンポジションで作品が重なって見えるように

        ブランクーシ本人が厳密に置き場所を決めたのだそうだ。

         

        実際に使っていた工具類もそのまま展示されていて

        工具萌えにもたまらないのでありました。

        大好き。

         

         

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        ブルゴーニュの運河の風景は栃木と同じなんだろか?

        2019.04.04 Thursday 23:08
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          2009年に始めて、ブルゴーニュの運河というものを知った。

          ゆっくりと流れるこの運河を、船を借りて夏の間バカンスで下っていく。途中の街で気が向いたら降りて観光をしながら、あとは日がな船にゆられて読書をするのだ、と家主のClaudineは言った。

          なんぢゃ、その夢のような企画。

           

          私は船は借りられないので、自転車を借りて休日に運河沿いをあてもなく走った。

          往復一時間のゆるりとしたサイクリングの間、会ったのは釣りをする一人のおじさんと、何もない運河の果てから突然現れて歩いてきて、すれ違いざま「ボンジュール、マダム」と微笑んでいった6歳ぐらいの男の子だけだった。

          おじさんはとうもろこしの缶詰の空き缶に餌をいれて釣り糸をたれていたけど、帰り道に覗いたバケツの中には、相変わらず魚は一匹も入っていなかった。

           

          話し声も、音もしない。

          あるのはただ、静寂という音だけ。

          両脇に広がる牧草の丘陵には、この土地にだけいるという白い牛たちがのんびりと草をはんでいた。

           

          私はすっかり

          ブルゴーニュのとりこになった。

           

           

           

          それから何度か同じことを繰り返し

          7年目のある日。

           

          そうだ、ここに友達を呼ぼうと思い立った私は、滞在の後半に古い友達を呼び寄せて、しばしのブルゴーニュの休暇を楽しんだ。

          彼女に一番見せたかったのは、この運河の風景で

          何よりも一緒にしたかったのは、運河のサイクリングだったから

           

          私たちは晴天の初夏のある日、自転車を借りて運河をただただ走った。

          初夏のブルゴーニュの運河を、パニエに水とサンドイッチを入れてのんびり走り、気が向いたら小さな村に寄り道をする。

          完璧だ、と私は思って、興奮気味に「ずっとこんな感じなんだよ、いいでしょう?」と彼女に呼びかけた。

           

          あー、と彼女は答えた。

           

          「うちの田舎の栃木とおんなじ感じね」

           

          え。

           

          栃木?

           

          いや、違うよ、ここ、ブルゴーニュだよ。ブルゴーニュの運河だよ。

           

          「田舎ってどこも同じ風景なんだなーと思って。咲いてる花も同じだし」

           

          草花好きの彼女はそれから、日本にも咲いているという知ってる花を見つけては写真を取り続け

          いたく満足して帰ってきたけれど

          日本とまったく違う風景を見せてあげられると思っていた私は肩透かしをくらったまま、なにかとてつもなく新鮮な体験をしたような気になったもんだった。

           

          ああ、そういえば

          それからパリに移動して、パリが初訪問という彼女に「エッフェル塔と一緒に写真撮ろうか?」と言ったら

          「いい、いい。毎日スカイツリー見てるから」と答えられ

          「セーヌ川のほとり歩かない?」と言ったら、「隅田川と変わらない」と言われて

          さらに、なんだか新鮮きわまりない気分になったのだった。

           

          眼の前に見える景色の中に、知っているものを探すのか、未知のものを探すのか。

          そして、人はやっぱり、自分に興味のあるものにしか関心は向かないのじゃなあ、と。

          もしかしたら私達はものすごく違うのかもしれないけれど

          それでも一緒に過ごした時間は、存分におもしろく楽しかった。

           

          この写真は、そんなことを思い出した一枚。

           

          ブルゴーニュの運河は何度でも行きたい。

          誰もいない運河のほとりを自転車で走っていく。

          思い出すだけで、ごはん3杯ぐらい、いける。

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          ダークサイドからの復活@テキサス

          2019.04.01 Monday 01:29
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            2013年。Austinにあるテキサス大学に通って英語を習った。

            4ヶ月。

             

            この写真は、そんなわけで、50歳過ぎてるのに大学なんか入っちゃったもんで

            授業で完全にダークサイドに落ちてどうしようもなくなったときに

            片っ端から検索して近所でなんか楽しそうなことないかと探して

            車で30分ぐらい走った先にあったアクセサリーのパーツショップで開催されていたワークショップに参加したときのもの。

             

            申込みは電話で、とインフォメーションにあったけど、電話での英語のやりとりに自信がなかったから

            もう、直接飛び込みで申し込みに行った。

            対面なら、ジェスチャーと笑顔で、しゃべれなくてもとりあえずなんとかなる、ってことはなんとなく学んでいたから

            あの頃の私は、なんだかもう、ずっとそんな感じじゃった。

             

            ネイティブの弾丸トークの場の中で、会話についていけず、ただ笑顔でいただけの前半だったけれど

            アクサセリーを作り出したら、場の空気が解けて

            その色はいい、そのビーズはどこにあった? 私の見てよ、、、とどんどん会話がはじまり

            ああ

            手仕事のちからはすごいなあと思ったもんだった。

             

            日本はこの手の講座は平日の昼ばかりだけど

            ここでは多くが夜だった。

            夫が戻ってから、子どもを夫に託してやってくる。

            うしろに立ってるおっちゃんは、奥さんの送り迎えについてきて、時間中楽しそうにみんなの作業を見ていたし

            終わり近くなると夫が迎えに来るという人もいた。

            なんかよかったなー、そんな感じ。

             

            この街の人達はみな本当に明るくて親切で

            滞在中に一度も嫌な思いをしたことがない。

             

            空が抜けるように青くって

            そして、ただただ、夏はすばらしく暑かった。

             

            この場所にはそれから3度ぐらい通って

            そこで会ったアーティストさんが別のアトリエでやっていたワークショップにも2回ほど行ったように思う。

            アクセサリーを作ったり、絵を描いたりすることが好きだと

            なんだか

            世界中どこに行ってもなんとかなっちゃうんだなーって

             

            なんかそれからふっと気持ちが軽くなって

            ダークサイドを無事に脱出できたんだった。

             

            私の英語は、今でもまったく役に立たないポンコツのままだけど

            ヘンなアジア人をニコニコ迎えて、優しくしてくれたこの時の人たちのことや

            私の滞在に力を貸してくれた人たちには

            本当に感謝してるんだ。

             

            今でも、この場所からバイバイと手を振って帰った時のことや、帰り道のあったかい気分が

            昨日のことみたいに思い出せるよ。

            Thank you Austin.

             

            ============================

            Austinってこんなところ

            https://www.austintexas.org/

            ご機嫌さね。

             

             

             

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            笑う

            2019.03.29 Friday 11:07
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              毎週金曜日に立つBioのマルシェで

              有機野菜を売っているおじちゃんにカメラを向けたら、満面の笑みで答えてくれた。

               

              こんな笑顔ができる年のとり方をしたいなーって

              誰もが思えるお手本のような笑顔だ。

              自分の作る野菜が大好きってこともわかる。

              こんなおいちゃんの作る野菜は、本当においしいのだった。

               

               

              笑顔って、実はすごく難しいもんだ、って最近よく思う。

               

              私は26歳の頃、バブル最盛期の六本木のインテリジェントビルの最上階のショールームに再就職して

              それはもう、最高レベルの「接客研修」を受けた。

              VIP接客のプロ養成だから、それはそれは厳しかった。

              で、最初に受けた洗礼が、「笑顔」だった。

               

              試験に受かった12人の同僚みんなが、手鏡を持たされて、「はい、笑って」と言われる。

              前職で接客をしていたという子は、いつどんな写真を取られても同じ笑顔を作れるというすごい特技があったけれど、図書館などに勤務していた私は、「笑顔」の作り方がよくわからなかった。

               

              広角を上げろ、歯を見せろ。

              言われた通りのことを何度も繰り返して、ようやく世間が「笑顔」と認めるものが作れるようになって

              最後の試験で笑ってみせたら

              「あなた、目が笑ってないです。目も笑うようにして」と言われた。

               

              目も笑え。

              なんだその、さくっと投げられる高度な要求。

               

              それから延々、手鏡を前に目が笑うという修行に勤しんだけれど、結局最後まで何がなんだかわからなかったよ。

               

              今ならよくわかる。

               

              幸福な人の目は、自然と微笑む。

              あの頃の自分の目が、微笑みと無縁だったのは、もう仕方のないことなのだと思う。

               

               

              先日、チャリティでポートレイトを撮る仕事をレフ板持ちながらお手伝いしたのだけれど

              何をしても「ほどけるような笑顔が撮れない」って人がいた。

              写真を撮るときの「笑顔」は、慣れと技術もあるので、

              ちょっとしたサポートがあれば、こぼれる笑顔の一瞬を拾えることがある。

              好きな食べ物や風景を思い浮かべてもらったり、好きな色をイメージしてもらったり、いろいろして

               

              素敵な写真は撮れたけど

              最後に「目が微笑む」のには、なにかこう、笑顔の技術とは別のものが関わっているのだと思う。

               

              年を重ねると、さらに、

              そう思う。

               

               

               

              モンバールのビオのマルシェのこのおいちゃんのように

              とっさに出る笑顔でまわりの人が一瞬で幸せになるような

               

              そんな時間の重ね方がこれから、できたらいいなって思うんだった。

               

              ==================================

              フランスではBioのマルシェがあちこちにあって、みんなBioが大好きで関心もすごく高い。

              BioってAgriculture Biologique(アグリクルチュール ビオロジック)の略のこと。

              日本だとオーガニック野菜とかいろいろ言われてるけど、実は日本は食品添加物の数が先進国でもダントツに高くて、日本食は健康にいいって思ってるけど、そのあたりにはいろんな問題があるわけで

               

              Bioの認定を受けるにはとても高いハードルがあって、その分価格もちょっと高いんだけど

              それを選ぶことで安全を手に入れられるっていう安心感がある。

              パリではモンパルナスの、ラスパイユ通りに立つマルシェ・ラスパイユが有名です。

               

              https://paris.navi.com/shop/5/

               

              毎週日曜日。

              行ってみてー。

               

               

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              過去は変えらるの? 変えられないの?

              2019.03.24 Sunday 16:38
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                土曜日、午後1時

                メトロ9番線のイエナ駅を降りてすぐの通りに立つマルシェ・プレジデント・ウイルソン横の

                ガレリアの中庭。

                 

                このマルシェは水曜日と土曜日に立つ。

                ガレリアではちょくちょくおもろい展示をしているし

                対面にあるパリ市立美術館は、入場料がタダじゃ。

                少し高台になっていて、美術館のバルコニーからはセーヌ川とエッフェル塔が見えたりする。

                 

                なんでも高いパリのど真ん中で

                なるべくお金を使わずに気持ちよく長い時間を過ごすのに、いつも居心地がよかったなーって思う。

                 

                この写真は初夏の午後に、マルシェで買ったパニーニを食べようと寄った、そのガレリア横の中庭で撮った。

                 

                カップルと小さな子ども。

                くぐもって聞き取れないフランス語の囁き声。時折交じる笑い声が、土曜日の午後の日差しの中で

                ゆっくりと、ゆっくりと時計を回して、私もすっぽりとそんな時間の流れ方の中に溶け込んでしまったんだった。

                 

                私には、子供時代の記憶があまりない。

                 

                暖かい日差し、幸福なぬくもり、かわされてきた親密な会話。

                記憶の底から引きずり出そうとしても、そんな記憶の断片がどこにもみつからない。

                 

                家庭は、緊張と恐怖の場所だった。

                いや、でも、本当はもっと違ったのかもしれないと思う。

                幸福な時間はたくさんあった。

                 

                でも、私が記憶していないんだった。

                記憶するのを、やめたのかもしれなかった。

                 

                 

                それで、タイトルに戻るんだけど

                 

                過去は変えられないけれど、未来は変えられる

                 

                って言うよね。

                それは希望の言葉なのかもしれないけれど

                そこそこ年を重ねてみると

                 

                それはなんというか

                ちょっと切ないような気になる。

                未来を変えられるといえるようなエネルギーや時間が少しづつ減っていく人生の後半戦では

                私のような子供時代の過去を持つ人間は、もう何の変わりようもないのだと言われているようで。

                 

                だから私はちょっと前に、脳科学者の人に教わった

                 

                過去は変えられる

                 

                って言葉を信じていたりする。

                人の記憶なんて、その人の脳に刻まれた断片的なものに過ぎなくて

                そして人の脳は、

                さして多くのことを記憶はできない。

                 

                人生の、覚えておきたいことだけを編集してストックしているだけなら

                編集を変えれば、記憶の見え方が変わって、過去は書き換えられる。

                 

                もし、編集できる元写真もないようなら

                自分で新たに、しあわせな記憶を書き加えればいいだけのことなんじゃないか。

                 

                 

                それ、先日 みうらじゅんが「死ぬ時に人は自分の人生を走馬灯のように思い出すっていうから

                じゃあ、自分が理想だと思う自分の映像をどんどんインプットすればいいんだ」って。

                勉強できてもてて、走りが早くて留学やスポーツの華麗な映像をNHKに作らせて

                「これを何度も見て、頭にたたきこめ」って言ってるの聞いて(笑)、

                なんか、ぽたんと膝を叩いたんだった。

                 

                大切な自分の記憶領域をネガティブな記憶で占領してしまうぐらいなら

                ファンタジーであっても、幸福な風景に塗り替えていけばいいだけのことで

                それ、別に自分の記憶じゃなくたっていいんじゃね?

                って

                 

                そう思えたら、なんだかすっかり気分が楽になったんだった。

                 

                 

                思い出したくない過去とか

                辛かった思い出は

                忘れていたいと思っても、ひょんな場面で突然湧き出してきて

                頭や心を占領していく。

                この年になっても、子供時代の苦難は鮮烈に蘇ってしまうことも多い。

                 

                人の脳にさほどの記憶容量がないというのなら、そんなものが凌駕している場所を

                別の幸福な記憶の風景で満たしていけばいいだけのことじゃ。

                しあわせな写真という試みは、そんな気持ちも混じっていて

                だから

                最初の一枚のこの写真は

                たぶん、私の幸福な子供時代の写真なのだと思う。

                 

                 

                イエナのマルシェは水曜日と土曜日の朝7時から。

                水曜日は14時すぎにはしまってしまうから、早めにね。

                 

                https://www.paris.fr/equipements/marche-president-wilson-5510

                 

                 

                 

                category:Photo series | by:武蔵野婦人comments(2) | - | -

                こころに刺さる色と出会うーモネの睡蓮の前で

                2019.03.22 Friday 12:52
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                  パリのオランジュリー美術館で、ふと目に入った風景を撮ったらこんな写真になった。

                   

                  人物も、絵画も、すべてが色に溶け込んでいて、なんだかとても不思議な光景だけど

                  オランジュリー美術館のモネの部屋は、どんなに人が多くても、部屋の中のどこに移動しても

                  こんな風な色の洪水に満ちているなあ、と思う。

                   

                  モネの睡蓮については、書き出すと長い長い話がある。

                  どっかに書いたはずだと思って探したけど、みつからない。

                  でも改めて、また書く元気がない。ってか、もう何度も話しちゃった気がして申し訳ない気分になる。

                  要は、10代の頃大好きだったけど、その後銀行のカレンダー画家と思うようになり

                  ちょい軽視しながら26歳ではじめて現物を見て、あまりのショックで動けなかった、というような話だ。

                   

                  あれから、もう何度オランジュリーと、ジヴェルニーにあるモネの池に足を運んだかわからない。

                  なんだか、モネとか印象派が好きだなんていうと

                  渋谷のBunkamuraあたりにたむろっている文化おばさんの風情になりそうで(すません)

                  あまり公言できないでいるんだけど

                  でも、

                  この場所はすごい場所なんだった。

                  私の人生の中で大切なことを何度も教え続けてくれている場所なんだった。

                   

                  いろいろ思いはあるけれど

                  それを飛び越えて

                   

                  この場所にある色の洪水は

                  その時、目の前にたつ自分の状態で、さまざまな色を取り出して見せてくれる。

                  それはたぶん、この部屋とモネの睡蓮の絵画と自分のすべてが、楕円形の居室の中に閉じ込められていることで

                  モネの子宮の中に取り込まれたような錯覚をもたらしてくれるからなのでは、と思ってる。

                  絵と対峙するのではない。

                  絵の中に取り込まれてしまう。

                  その巨大な絵は、すべて、画家が小さな筆で一筆一筆、描き重ねたもので

                  自ずと、その空間はモネの生きた気配や、画家の眼差しに満ちたものになって

                  だから、自分は思いもよらない場所に、いつも連れて行かれてしまうのだ。

                   

                  最初、シンフォニーのように迫りくる青の色に圧倒された私は

                  その5年後

                  その中に埋もれているピンク色の光に包まれて

                  それから6年後のある日

                  イコンにつながるような白い光に打ちのめされた。

                   

                  そこからまたいろんな人生を経て、

                  この写真を撮った。

                  また、違う色が、私に向かって飛び出してきて、また私は美術館の真ん中で動けなくなったんだった。

                  この写真の中にこの少女が紛れ込んできたのは、たぶん、偶然じゃないように思う。

                   

                  モネの絵画の中には、その人の人生の一片を引きずり出してくる色の洪水がある。

                  だから、また

                  何度も行きたくなる。

                   

                   

                  あなたには、何色が見えますか?

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  この時、私にははじめて、青や白や緑に埋もれた

                   

                   

                  が見えた。

                  少女の服の中に、モネの青と赤が混在していることに

                  いま、これを書きながら気がついて

                  ちょっと

                  はっとしているんだった。

                   

                   

                  ========================ー

                  オランジュリー美術館

                  https://mikissh.com/diary/orangerie-museum-paris/

                   

                  ジヴェルニーのモネの家

                  https://francetabi.com/giverny_claudemonet/

                   

                   

                   

                   

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                  タイムスリップしたコルマールの街角で

                  2019.03.19 Tuesday 00:17
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                    もうほとんどドイツの国境に近いフランスの小さな街、コルマールに2泊。

                    ぼんやりと街歩きをしていたら、こんな風景に出会った。

                    絵本に出てくるようなレストランと

                    その前で話し込む二人。

                     

                    おとぎ話のような甘い風景がかろうじて現実に見えるのは

                    どこか屈強なこの二人の男性のリアルなたたずまいのせいなのかもしれないけど。

                    それでもやっぱり

                    現実なのか非現実なのかよくわからない不思議な空気がこの街には流れていたなあ、と思う。

                     

                    なんの気なしに立ち寄ったこのアルザスの運河沿いの小さな街が

                    ディズニー映画「美女と野獣」やジブリ映画「ハウルの動く城」の舞台となっていたということを知ったのは

                    滞在がもう終わり近くになってからのこと。

                    「美女と野獣」の冒頭、主人公のベルが本を片手に訪れる街並みと

                    「ハウルの動く城」の主人公ソフィーが働いていた帽子屋のモデルとして有名な館があるんだって。

                    言われてみれば、たしかにそうかもしれない。

                     

                     

                    ヨーロッパを旅していると

                    本当におとぎ話の中に迷い込んだような街並みに遭遇することがある。

                    日本でも飛騨高山の町家の風景や、京都の路地の風景にだって素敵な場所はいっぱいあるけれど

                    なんというか

                    景観を維持しようと努力して作り上げたというような生半可なものではなく

                    もうその街自体がすっぽりと、タイムトラベルしてしまったような

                    激しくどっぷりと、すっかり別世界というような場所が、ヨーロッパには本当に存在したりして

                     

                    コルマールというのは、そんな場所のひとつだと思うー。

                     

                    同じようなどっぷり別世界の場所として、私はベネチアが大好きなのだけれど

                    以前、ベネチアを旅してきたという人が

                    「ディズニーシーみたいな場所だった」と言うのだった。

                    驚愕した。

                     

                    どっちがオリジナルなんじゃよ。

                    をい!

                     

                    真似をして風景を切り取って作り上げた場所と

                    もうその次元全体がタイムスリップしているその元となる場所と

                    そのぐらいちゃんと見分けをつけて欲しいよって思ったんだけど

                     

                    コルマールに思いの外若いオタクっぽい日本人カップルが多かったのは

                    ここにハウルの城をみつけに来たからなのかな。

                    それ、あとになって気づいたんだけど

                    コルマールを「ハウルの城! ハウルの城!」って思いながら旅をするのも悪くはないのかな。

                    ハウルの城、見てないけど。

                     

                    ちなみにコルマールの観光の中心は「Petite Venise」=リトルベニス って言われている。

                    でも、頼むからディズニーシーみたいだなんて言わないでね。

                     

                    コルマールはパリからTGVで2時間半。まずはストラスブールに行ってから、そこからTERに乗り換えて30分。

                    私はブルゴーニュ経由で行ったので、デジョンからてくてく北上していった。

                    フラムケッシュっていうピザみたいなうまい食べ物があるよ。

                     

                    =================================

                    コルマール

                    https://wondertrip.jp/78679/

                     

                     

                    category:Photo series | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

                    パリの街角で、バスを待ちながら

                    2019.03.15 Friday 10:27
                    0

                       

                       

                      旅先でたくさん写真を撮るけれど、自分が写った写真はあまりない。

                      これは珍しく、パリでバスを待っている間の写真。

                       

                      ぼんやり写真を探していて、ちょっと小さく感動したので掘り出してみた。

                      これはたぶん、2017年に撮った写真だ。

                      場所はこの時滞在していたアパートの近く、Cardinal Lemoineのあたりだと思う。

                       

                      ちょうど昨日、Facebookさんが6年前に書いたものだよと、ひとつの投稿を通知してきた。

                      子育てと仕事で、長い時間旅をすることは夢のまた夢で、

                      そんな中で少しづつ、少しづつ積み重ねた旅の思い出。

                      6年前の私は、今回はこれまでずっと行きたかったダゲール街やモンパルナスの墓地、ヴェルビルやメニルモンタンのあたりも行きたい。ゆっくりと街歩きをして、バスにも乗りたいなんてことをたくさん書いていた。

                       

                      そうだった。

                      何度行っても時間切れで帰ってきてしまうパリの街で

                      自在にバスに乗るとか、中心から離れたところにあるなんでもない場所

                      (たとえばそれが、大好きなアニエスヴェルダの映画のワンシーンに出てきた風景のある場所であったり、金子光晴の「眠れ巴里」の中でたった数行出てきた安ホテルのある場所だったり、といったような)

                      を、時間を気にせず放浪するなんてことは、やっぱり夢のまた夢だったのだと想う。

                       

                      そういえば、ちょうど10年前にこんな記事を書いていた。

                      http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243616

                       

                      10年前の私は、こんなことを言っていたんだった。

                       

                      ”その50歳プロジェクトの筆頭にあるのが「フランス語を話せるようになる」だ。
                      人生が終わる前に、一度でいい。流暢にフランス語をしゃべる自分を体験してみたい。フランス人とジョークを言って笑い合う自分の姿を見てみたい。なんの目的があるわけでもない、たったそれだけ。でもそれは、20代のときから私が心のどこかで夢見たまま、何一つ努力をしてこなかったことだ。50歳までにその最初の一歩でもいいから踏み出したいと思った。”

                       

                      それでね。

                      今朝、冒頭の写真を見て、なんだかちょっとはっとしたのだった。

                      自在にバスに乗れるようになった。

                      メトロとバスの定期券NAVIGOもちゃんと自販機で買えるようになったから、何を気にすることもなく

                      行き先を確かめてバスを選んで、待っているのだ。

                      本屋に行くようになった。

                      なぜなら、フランス語が読めるから。

                      アパートを借りるのも普通にできるようになったし、日常のやりとりに困ることもなくなった。

                       

                      6年前にぜひ行きたいと思っていた場所のあれこれは

                      今ではもう勝手知ったる馴染みの場所で

                       

                      10年前に「一度でいいからフランス人とジョークを言い合って笑ってみたい」と思っていた私は

                      今は、フランスの友人がたくさんできて

                      ガハガハと笑いながら雑談をしている。

                       

                       

                      どれも小さな夢だったから、日々の生活で「夢を叶えた」なんて思うことはなく

                      でも

                      気づいてみたら、やってみたかったことは着実に

                      ひとつづつ、現実になった。

                      そんなことを、この写真1枚が教えてくれたような気がして。

                       

                      そんな自分の思いを見透かしたかのように、10年前のブログにコメントをくださった人がいた。

                      一歩踏み出すにはどうしたらいいんだろう、と。

                       

                      返事を書きながら、またまた今度は、25年以上前に、友人がかけてくれた言葉を思い出した。

                       

                      叩かない扉は開かない

                      でも、叩き続ければいつかは必ず開くんだよ。

                      もしあなたが扉を開ける勇気がないのなら

                      私が背中を押してあげる。

                       

                       

                      そうして小さく背中を押されて会社をやめて今の仕事をはじめた。

                       

                      その先の、今。

                       

                       

                      人生って長いようで、短いんだなあって思う。

                      でも短いから、扉は叩いたほうがいいし、一歩は踏み出したほうが、いい。

                      やらないよりは、ずっといい。

                      パリの街角で、バスを待ちながら。

                      そんなことを言える自分が、いまここにいるのは、なんだかとっても不思議だなと思うー。

                       

                      今年もまた旅をしたら

                      新しいことをなにか

                      できるようになりたいなと思います。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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                      • 孤独のグルメから「きのう何食べた?」、そしてはるみさんのこと。未来の小さな灯りをさがして、今年もよろしくです
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                        武蔵野婦人
                      • 孤独のグルメから「きのう何食べた?」、そしてはるみさんのこと。未来の小さな灯りをさがして、今年もよろしくです
                        ニート男性
                      • 孤独のグルメから「きのう何食べた?」、そしてはるみさんのこと。未来の小さな灯りをさがして、今年もよろしくです
                        あっか
                      • 離婚して一人で子育てをして、しんどくなったことについて。自由に生きることには大きな責任が伴うってことについても。
                        武蔵野夫人
                      • 離婚して一人で子育てをして、しんどくなったことについて。自由に生きることには大きな責任が伴うってことについても。
                        ゆうこ
                      • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
                        武蔵野夫人
                      • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
                        はろ!
                      • 毎年この季節になると服を作っている。大人の手作り服ってどうなの。たまにはそんなこと。
                        武蔵野夫人
                      • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
                        武蔵野夫人
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