傑作は東京に来てしまっているポンピドゥーでクレー展、そしてジュードポムで出会ったプラハの詩人。ありがとう、ポンピ、ポム、パリ。

2016.07.31 Sunday 00:56
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    あれ、もうパリ最終日になっちゃった。明日、Montbardに発ちます。

    今回パリ10日間。1人で、なんの予定もなくパリ10日。すでに15回ぐらい(もっと?)はパリに来てるので、もう行くとこなんかない気がすると思うんだけど、それでも、10日いてもまだまだ行きたいところがあったのに、、、となるのが、この街のすごいところだなあと思います。

     

    東京もそうなんだろうなー。いっぱい行くところあるもん。

    住んでても、まだまだ知らないところがいっぱい。

    パリなんて東京の山手線の中ぐらいの大きさなんだから、東京なんて莫大に広い気がする。

     

    ほでも、来るたびになんかしら素敵なものに出会える。

    東京にいるだけじゃ知らなかったもの、出会えなかったものに遭遇できる確立が高くて(というより、必ず遭遇する!>笑)、やっぱりまた来たいなあって思ってしまうのでした。

     

    なんか5日目あたりからやっと、からだとこころが休み出し、場に慣れて解放されて来た気がして

    (いつもだいたい、このくらいはかかる気がする)

    毎日ブログなんて自分への約束はどこかに行ってしまった。

     

    ほでも、すでに昨日何をしたのかも忘れ出しているので、とりあえず今回であったよいもの。

     

    1、ポンピドゥーでのクレー展

     

    ポンピの傑作は東京に行っちゃってる>笑

    東京では、敢えて行く必要もないのでは? と思っていたポンピドゥー傑作展、展示方法と作品のピックアップが独特で話題と聞いたので、それはおもろいかも、と行ってみたのだった@渡仏前。

     

    賛否両論あるだろうけど、私はダメだった。

    なんつか。

     

    絵のお勉強に来てるわけじゃないんですけど、という展示方法で、ひどく疲れた。

    一年ごとに一作品、ひとつの作品を見る前に、その作品の説明と作家の写真と説明が、絵とさほど変わらない大きさで並べて展示されている。

     

    途中から、壁が階段式になった。つまり、直角に凹んだ壁の左が説明、右が絵となった。

    一枚づつ、進め。

    そういう展示デザインになったあたりから、もう逃げ出したくなって、あとは適当に流して帰ってきてしまった。

    とにかく、疲れた。

     

    美術館は、自分のスピードで、自分のルートで歩きたい。

    だって、それがどんな有名な絵でも心に響かないときもあるし

    何の情報がなくても、絵が自分の中に突然飛び込んでくることもある。

     

    説明なんてさほどいらない。

    一枚づつ、勉強しながら見たくなんて、ない。

     

     

    というわけで、なんか消化不良だったので、パリのポンピへ。

    ここは相変わらず、ほんまええ場所。

    勝手に歩き回って、勝手に好きになったり嫌いになったりして

    そんでもって監視員の方々もほんま自由で、ええ。

     

    そして何度来ても、微妙に展示は変わっていて新しいものに逢えるし、企画展はいつも本当にすばらしい。

     

    今回はクレー。

     

     

    いやはやー。

    クレー天才なのは知ってたけど、ほんとすげー。

    すげーすげー、わーすげー、とつぶやきながら歩いていた謎のアジア人は私です。

     

    クレー展は8月1日まで。もう終わっちゃう。次はどこかに行くのかしら?

     

     

    もう一個やっていたのは、Beat generationって企画展。

    1950〜60年代あたりのアメリカのビートニクス系。なんか、今年は服飾博物館はバービー展をしているし、ヴィレットでは007展で、街はハンバーガーが大流行で、お店にはStar Warsグッズ満載と、パリはアメリカブームぽい。

    どうしたんだ。

     

    内容は私にはあまりピンと来ないものが多かったけど、展示はめちゃかっこよかった。

    いいなあ、こんな展示、やってみたい。空間も手法も、本当に豊か。

     

     

    パーマネント収蔵品の階も、展示替えが結構あって非常に楽しんだ。

    やっぱこれがいいー!

    誰の作品なんてわかんなくてもいいもんね。

    一枚づつお勉強みたいに見るのより、絶対楽しい。そして、このぐらい空いてないとやっぱ、あかんー。

     

     

    ありがとうポンピ。

    ポンピ、ビバ。

     

     

    2、ジュードポムのJosef Sudek展

     

    ジュードポームって、テニスの前身だって知ってました?

    この建物、ジュードポームについてはまた別に書きますわ。長くなるので。

     

    で、ここはちょい前から写真と映像専門の美術館になっているので、そこでやっているJosef Sudek展へ。

    チェコの写真家。この人のこと、私は知らなかったんだけど、街でみかけたこの写真に心がぎゅっと掴まれて、もう身動き取れなくなっちゃったので。

     

     

    アトリエの窓から

     

    という一連のモノクロ写真。

    ナチス支配下で灯の消えたプラハの街の風景、結露した窓から見える庭が、ガラスの水滴で変幻していく不思議。

     

    あとから、1976年に亡くなった、「プラハの詩人」と呼ばれたチェコ出身の写真家であることを知った。会場に流れていたビデオで、片手だけでカメラを扱っているのを見て不思議に思っていたら、第一次世界大戦へ出兵中に右腕を負傷し、のち失って片手となったのち、1920年代に写真家として活動をはじめたのだそうだ。

     

    水木しげるさんパターン。

     

    なにもかもが心にぐっとくる風景。

    闇、水、光。

     

    うわああ、ありがとうポム。

    ビバ、ポム。

     

     

    ほんで、ここでもう一つ開催されていたJoana Hadjithomas & Khalil Joreige。

    知らない作家だし、さほど期待しないで入ったのだけれど、これ! 以前森美術館で数点来ていた作品の作家だった。

     

    レバノン出身の女性映像作家で、夫と共同で映像や作品を作り続けている人。

    森美に来ていたのは、戦闘で無惨に破壊されたレバノンの街の写真をタブローにしたもので、廃墟の美に通じる、鮮烈で印象深い作品だった。ほで、そのポストカードを自由に持ち帰ってよい、という展示スタイルも同じ。

     

    そうそう、この作家さん。

     

     

    流されていたドキュメントも見たけど、レバノンの状況、難民ボートでの過酷な体験など、彼女の創作のベースにあるものが胸に迫った。ほでも、そういう過酷な現実があっても、作品は洗練されていて、過剰なナショナリズムが存在しないのが、とても好感が持てる。

     

    これ、巨大なミサイル。

     

     

    日本ではロックフェスティバルに反体制持ち込むのもだめー、って状態になってしまっているけど、音楽やアートは、こうしてニュートラルに「私たちに起きていること」を伝えられる、至高の手段だと私は思う。

     

    また出会えて、よかった。こういうのは縁だと思うので、またどこかで出会えることを願って。

    レバノンのこと、調べてみたくなりました。

     

    再度ありがとう、ジュードポム。

     

     

    3,Senellierのオイルパステル

     

    今回パリで買ったのは、ほぼこれだけかも。

    噂には聞いていたけど、びっくりぽんの描きごこち。

     

     

    オイルパステルでこんな風に絵が描けるなんて、はじめて知った。

    しかもBHVで7月31日まで、20%オフだった!!!

    日本で買ったら12色で3600円のパステルが、17ユーロちょい。

    手前のは足して単色で買った子たち。後ろにはでっかい白1本。

    ありがとうBHV.

    ありがとうセヌリエ。

     

     

    ほかにもいろいろあったような気がするけど、もうお腹空いちゃったので今日はおしまい。

    たくさんいろんなことに出会った。

     

    ありがとう、パリ。

     

     

     

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    パリのルリユールの工房と、フランス人と本との関係について。読書家と愛書家ってのは違う生き物なのかも。

    2016.07.29 Friday 06:29
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      そういえば以前、節約アドバイザーの某さんが雑誌のコーナーで、一人暮らしの女性に対して「「何の読書家アピールか知らないけど、本棚が多すぎます! どうせ1回読んでおしまいなんだからサッサと処分するべき。」と発言して、読書好きな人から総スカンを食ったことがあった。

      http://togetter.com/li/775102

       

      この時の総スカン具合は、それまでのライフハック系の御仁の「本は読んだらすぐブックオフへ」とか、「買ったらすぐ分解して自炊してデジタル化」なんて発言を読んで元気すっかりなくなっちゃうよ、って気分だった私にとっては、なんだかちょっと救われた気になったことを覚えてる。

      部屋に本があっちゃいけないのか。

      本に家賃払うのはバカモノなのか。

      読み終わった本を後生大事にもってちゃいかんのか。

       

      けっ。

       

       

       

      そんな気分でフランスに来ると、そりゃまあ、どこの家にも書棚があることに驚いたりするわけなんだけど、この書棚というのがくせ者で、私たちが普段やってるように、買った本をサイズ別に分類するぐらいで並べておくってのとはちょっと違って、どうやら書棚に並ぶ本のタイトルに大きな意味がありそうだな、ってことに気づいたりする。

       

      その本の選択に、意思を感じる。

      それもかなり、強烈な。

       

       

      どうやら、本は読む物であることのほかに、生活空間に存在させるものであり

      本という存在そのものが、アートや芸術の一部であり、自己表現である、ということみたいだ。

      「読む」ことのほかに、置くこと、愛でること、所有することの意味みたいな。

       

      このサイトとか面白かった。

      http://www.seinan-gu.ac.jp/gp/french_trip/2012/2572/

      フランス人と本。

      なかなか奥深い。

       

      どうやら読書家と、愛書家というのは、同じものではないようだ。

       

       

      休日のジョルジュブラッサンス公園の古本市とか行くと、いったい誰がこんな古い本を買うんだ? ってほどの古本がずらりと並んでいる。

      日本だとさしずめ、神保町の古書フェアみたいなことなんだけど、古書の価値が希少本や絶版本ということの他に、装丁も大きな要因となっている。

      そんだけ、こちらの古書の装丁のすごさって、半端ないなーって思う。

       

      なんてことを急に書いているのには理由があって

      今日、フランスのお友達とランチをしたら、これから製本の材料を買いに行くというのである。

      え”? え”? それって、なんとかユールとか。

      確かそういう名前の。。。。。。

       

      「そうそう、ルリユール。フランス語発音にしたら、日本人はすごく発音しにくいやつ」

      relieur。Rが2個も入ってる。ねこみたいに喉をゴロゴロ言わさないと発音できない。難しい。

       

      あまりに楽しそうなので、お願いしてついていくことにした。

      いやー、すごかったー。楽しかった、美しかった、素敵だった。

       

       

      イタリアのフィレンツェあたりでよく見かける手染めのマーブル紙。裏打ちの紙がついた専用の布。

      工具、金具、表紙用の段ボール。

      そして、何よりも意外に感じたのが、一番広いスペースを取って売られている、革の数々。

       

       

      あ、そうか。

      本の表紙って、革なんだ。

       

      日本でもルリユールの教室などがあって、たまに見たりしていたんだけど、それはどちらかというと自分好みの、自分だけの本を作りましょう的なアプローチが多くて、きれいな紙を貼って作っていることが多かった。

      ほでも、そうか、本来は革だったのか。うん。

       

      ここで革を買って、専用のなめし屋さんに出して、本に加工できるように裏をはいでもらうのだそうだ。

      そして中の紙を糸で縫い合わせて、表紙の裏にきれいな紙を貼って、日本の水引みたいな紙の紐で上部を止め、糸の栞なんかもつけて、最後に書名を箔押しする。

      もう、なんか、気が遠くなるような行程。

       

      また、日本ではマダムの趣味の一つともなっているカルトナージュ(きれいな紙を貼って箱を作るやつね)は、本来は希少本の収納のための紙ケースを作ることからはじまったのだそうだ。ということで、カルトナージュ好きな人にも垂涎の紙類が大量にあって、紙好きの自分としては、放っておいたら大量に大人買いをしてしまう危険度抜群の場所なのだった。

       

      去年、ポスターを買い込んでしまったことにより、飛行機で持ち帰るための紙ケースを入手する必要が発生し、そのケースを常にスーツケースを引っぱりながら持ち歩かなくてはならなくなったという苦い経験がなければ、10枚ほどは買ってたかもしれない。

       

      歳を取った分理性もついたので、「大きな紙を買ってはいけない」という心の声に救われた。危ないところだった。

       

      ほんでも、そんなしょうもない事を話しながらも、ものすごく楽しいーとほくほくしていたら

      近くにある彼女が習っていた人のルリユールのアトリエを、覗いてみます? と言うので

      二つ返事でいくいく!と騒いで、連れていってもらった。

       

       

      うわああ、アトリエだー。

       

      1人で街を歩いて、こんな場所に入れることなんてないから

      とにかくもう、連れて来てもらえてありがたい(ってか勝手についてきちゃったんだけど>笑)。

      ちなみに、ルリユールの材料店も、観光客としては入れる雰囲気ではなく、やっぱり実際に作る人がいて、材料を買い求めているということで、お店の人も好意的に受け止めてくれたわけで、こちらも冷やかしでは到底入れる雰囲気ではなかった。

       

      パリには、この手の敷居が高い店がいっぱいあって、私のような気の小さい人間は、なかなか入り込めない場所も多い。

       

       

       

      私のお友達は、きちんとした職業訓練としてルリユールの学校に通って、試験を受けて証書をもらったそうだ。

      職業としてルリユールは存在しているということ。

      ただ、現在は職人として仕事をしていくには、給与は非常に安く、ごくごく一部の有名作家さんだけが、高給を取れるのだとか。

      多くのアトリエは製本だけでは生計が立たず、教室を開くなどして維持されているのだそうだ。

       

      そんで、ルリユール自体も少しづつ減っていて、昔はいっぱいあった工房も、パリでは今は50ほどしかなくなってしまった。

       

      このアトリエを主宰している女性は、手頃な値段だけれど、ていねいに、たくさん仕事をこなすことで製本1本で生計を立てているのだそうだ。この日、アトリエにいたもう1人の女性は、その彼女の作った本や、アマチュア製本家の本への箔押しで生計を立てている。

       

      今まで私が日本で思っていたルリユールというのは、「きれいな本を作る」という印象だったのだけれど

      このアトリエに並んでいたのは、文字通りのルリユール=再び、糸で綴じる、つまり修理を待つ本が多かった。

       

       

      こうした本や

       

       

      きれいい綴じ直された本が

       

       

      書棚に美しく並べられる本に蘇る。

       

       

      工具萌えにはたまらない、箔押しのための道具もたくさん。

       

       

      そして、何世紀も前から使っているというルリユールのための機械もいろいろ。

       

       

      そのままでは打ち捨てられてしまいそうな、古くて汚れたものも

      価値があるものならちゃんと生まれ変わらせる、そのための技術が延々と引き継がれているって、素敵だなあ。

      なんたって、本が大切にされているのを見るのが、私はほんとに幸せでうれしい。

       

       

      大好きな手仕事、職人さんのワザが

      大好きな本に生かされていく。

      こんな幸せな風景があるじゃろか。

       

       

       

      日本では、和綴じの本が工業化ですっかり途絶えてしまい、工業製品としてのブックデザインの立ち位置しか残らなかったとのことだけれど、読むだけじゃなくて、所有すること、生活空間に置くことに意味のある本っていう存在が、もっとあってもいいなーと思った日。最近少しづつ日本でも見直されてきているようで、製本作家さんの名前もちらほら聞くようになったから、これからいっぱい増えていくといいなー。(そしてその人たちがちゃんとその技術で、生計を立てられるといいなー)。

       

      なんでも新しく創り出すのが創作じゃないんだよね。

      修理することも、生まれ変わらせることも、クリエイティブのひとつ。

       

      私はアップサイクルって言葉が好きだけど

      そういうのともまた違う、歴史の重みがぐっと詰まったフランスのルリユールの世界を見せてもらって、ほんとに感動した。

       

      かわいい紙ですてきに製本って方向だけじゃなくって、重厚な革で金箔の箔押しの豪華でハードなタイプのルリユールって、すごくいい。すごく大人な世界。

       

      生活の中に置いておきたくなる本、手に取りたくなる本。

      手のひらにしっとりと、ずっしりと収まる革の感触、革と紙のにおい。

       

      しあわせな午後のひとときでした。

      ほくほくほく。連れていってくれたおともだちに、ほんと感謝です。

       

      ありがとう。

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      テロのあと5割のツアーが中止されたフランスで、開店休業状態の職種は国に給与を保障されるらしい。でも中国の観光客はいっぱいいるよ。

      2016.07.27 Wednesday 05:15
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        私のフランス語の先生情報によると、ニースのテロのあと、日本のフランス行きのツアーの5割が中止になったそうだ。

        身近な人にも、中止した人はいる。お金が戻ってこなくても、取りやめた人も多いそうだ。

         

        どこにいたって、危険はある。

        そう思って来てはみたけど、街はやっぱり人が少ない。

        こちらでガイドを仕事にしているお友達に会ったら、シャルリーエブド事件から徐々に減った観光客は、その後のパリのテロで壊滅的に減り、ようやく戻ってきたかな?と思ったころに、ニースでのテロが追い打ちをかけて、ほぼ開店休業状態になっているのだという。

        特に日本人はこうした事態にすごく神経質なので、今、パリに日本人観光客はすごく少ない。ツアー、ほとんど見ない。

        こんな風景は、かなりめずらしいなあと思う。

         

         

        それじゃあ、観光名所はどこも空いているのかというと

        中心部のノートルダム寺院とかエッフェル塔はざわざわと非常に混んでいて、かなり並ばないと入れない。

        多くは中国の人。

        そして、同じヨーロッパから来ている人。ドイツ語とてもよく聞く。

         

        ドイツなんて隣なので、もう、どこに行っても状況は同じってことなんだろうなあ、と友達と話していたんだけど、じゃあ中国は? というと、「私のまわりでは、中国の人はもしかしたら、あまり今の状況をニュースとかで知っていないのかも? という人もいるけど、まあ、でもたくましいんだと思います。日本は世界の中でも、かなりセンシティブって言われてます」、って。

         

        やっぱり島国であまり危機に面したことないし。

        私も今回こちらに来るときは、両親にもかなり心配された。

        田舎に行くから大丈夫! って言ったけど、今朝はノルマンディの田舎の街で、ISの若者が刃物で牧師を殺傷するというテロがあった。もう、あらゆるところが現場なんだなあ、と思う。

         

        ま、実際にヨーロッパで起きていることは現実として、

        実際に住んでる人は普通に生活をしてて、街はまったくもって平和に動いています。

        外から見るより、内側は凪。いまのところは。

         

         

         

        さて、そんなフランス、すごいなあと思ったのは

        こうして国家的な事情で仕事を失った人々に対して、(例えば観光や旅行、飲食系など)

        政府が60%給与を1年間保障するという制度があるのだそうです。

        なので、現状で閑古鳥状態の職種の人も、とりあえず1年は猶予をもらって生きていける。

        その間に事態は改善するかもしれず。ダメだったらなんかその間に考える、と。

         

        なんていうか、「働く」ということに対する国の考え方の日本との大きな違いをかいま見ることが多くて、時々ため息が出る。

        はあ。

         

         

        そんな状態のパリ、今日で6日目。

        一日にひとつ、美術館に行くと決めていたので(別に決める必要もないんだけど、なんとなく)

        そのあたり、備忘録で。

         

        月曜日は休みの美術館も多いのだけれど、モンパルナスに最近できたメンジスキー美術館という小さな個人美術館は、木曜日が定休あというので、ぶらりと出かけてきた。

        メンジスキーの作品を展示する以外に、20世紀前半のモンパルナスの風景を撮っていた写真家エミール・サビトリーの写真展をやっていたので。チャップリン、ピアフ、ブリジットバルドーなんかの素顔写真がいろいろあって、よかった。

        何より、空間がすげーいい感じで。

         

         

        こういう小さな美術館が、私はすごく好きで、来るたびに重箱の隅をつつくように、小さいところを探しては出かけている。

        メンジスキーは結構いいよ。おすすめです。

         

        しゃて、ここから歩いてモンパルナスまで、地下鉄の駅で4つぐらい。

        散歩がてら歩いて、郵便博物館に寄ってみようと考える。

        私の版画の先生が封筒フェチで(笑)、どっか行くたびに封筒買ってこいと半ば強制的にお願いされるので、聞きづてで郵便博物館のショップがいいよ、と知ったのであった。

         

        ほで、歩いた。

        みつからん。

        わかりやすい場所のはずなのに。

        でっかい郵便局があったので中に入って聞いた。

        あー、じょぼじょぼじょぼじょぼ。(聞き取り不可)

         

        後半のみ、この先の21蕃地、2番目の建物の左側にあるからと聞き取る。

        ほい、21番ね!  そうそう、21番だよ! 

        ってなことで歩く。

        歩く。

         

        みつからん。

         

        周囲ぐるぐるまわったけど、みつからん。

        おかしいなあ、ここのはずなんだけど。

         

        3回目に回ってきたとき、おっきな工事をしている建物のはしっこに小さい看板を見つける。

        …… ここじゃん。

        工事中で閉まってるじゃん。

         

        ほんで、博物館のショップのみ、ぜんぜん違う通りの21番地に移転しているという地図が出ていましたとさ。

         

        閉まってるなら言ってくれ。

        ってか言ってたのか? あのじょぼじょぼで?

        それにしても、道案内は完全に間違っていた。

         

        去年もそうだったなー。

        道案内、ほとんど期待できん。

        「あー、それメトロ駅のそば」終わり。

        で、行ってみたらぜんぜんそばじゃなかったり。

        もう、適当すぎて感動するほど、適当。

         

         

        ま、とりあえず30分ぐらい足腰鍛えたところで、郵便博物館ミュージアムショップってのだけが存在している場所はわかった。

         

         

        いや、しかしここ。

        単なる小さなお土産屋さんプラス、切手売ってる場所だった。

        ということで、封筒は買えず。撃沈。

         

        月曜日はそんな日でした。

        このあと、オペラ座のほうにまわって、i-martで日本食食材を買って帰る。

        こののち、ブルゴーニュに移動すると手に入らなくなるものもあるので、今のうち。

         

        翌日(つまり今日)。

         

        ランチをこちらのお友達と食べる約束をしていたので、その前にケ・ブランリー美術館へ。

        ここも大好きな美術館。

        一昨年、東京の庭園美術館に、ここからアフリカのマスクがいっぱい来たよね。

         

        今年は開館10周年だそうだ。

         

         

        そして、この左側のポスターが、今やっている企画展で、こりゃあむちゃくちゃおもろそうやないかい! ってことで意気込んで出かけたんだけど。

         

        いやはや。

        非常にフランス人的な?

         

        もう、なんと言えばいいのか。

         

         

        書き出すと長くなるのでやめとくけど、フランスって、ほんと芸術とファッションの国なんだけど、一歩間違えるとこうなっちゃうんだよねえ、なんで? 

         

        もう、ぜんぜんわけわかんないだよ、せんせー

         

        って気分で歩いていた中で、一番シュールでかっこい作品が! と思ったのがこれなんだけど

         

         

        これ、作品じゃなくて、収蔵品の収蔵庫がガラス張りになってて、そこで修復士の人がお仕事をしている風景でした。

        いや、映画の一こまみたいで超かっこよかった。

        ライティングがすばらしいね。

         

         

        ケ・ブランリーには広いお庭もあって、素敵なカフェとレストランもあるので、半日はぶらぶら遊べると思う。

        私は予定があったので、その後マレでおいしいビールとランチ。

        久しぶりにおしゃべりを楽しんでから、サンミッシェル界隈からパンテオンまで散歩して帰ってきた。

         

        そんな一日でした。

         

        明日は写真美術館が5時から無料の日。

        行ってみるべ。

         

         

         

         

         

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        アートは日常の内側にあるものなのか、外側にあるものなのか。世界一美術館に行くのは日本人、というデータからパリで考えてみた。

        2016.07.25 Monday 17:54
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          パリ、月曜日になりました。何して過ごしていたんだか。

          ほでも一日にひとつ、美術館に行くってことはやっている。金曜日にマレのギャラリーとブランクーシのアトリエ。土曜日にmaison rouge、日曜日にはパリ市立近代美術館に行った。

           

          金曜日は入場はすべて無料。maison rougeは10ユーロ。市立近代美術館は無料。

          ただし、近代美術館で開催されている企画展には入場料がかかる。今回やっていたのはPaula Modersohn-Becker、Albert Marquet。前者は31歳で出産を機に亡くなってしまったドイツの女流画家で、ダダイズムなどの近代美術の萌芽を感じる重要な画風、後者はモネなどの印象派を彷彿とさせるにもかかわらず、どちらかといえばイギリスのターナーと関係付けられるかなり独特な作風。

          私は二人とも、名前さえ聞いたことはなかった。でも、2つあわせて15ユーロの入場料を払っただけの意味があった。すんげーよかった。ありがとう。

           

          ほで、こんな展覧会が非常に賑わっていた。

          日曜日、ということもあったけれど。

           

          当然、こげなものに観光客はあまり来ないので、だいたいが地元の人で、1人で来ている人も多かった。

          ちなみに市立美術館の常設展は常に無料で、誰でもタダで入れる。

          セーヌの対岸にはエッフェル塔も見えるし、IENAの駅で降りて、向かい側にあるガレリアの庭園でごろごろして、美術館でトイレ寄って、ついでに絵を見てく、なんてのはお金を使わない素敵な午後の過ごし方だと私は思う。

          IENAには水曜と土曜日にマルシェが立つので(んで、これがすごくいいマルシェなので)、そこでサンドイッチでも買ってごろごろしていれば、一日遊べる。

           

           

          タダでも、この美術館のすごいところは、その収蔵品の多さ、クオリティの高さ。

          壁面いっぱいのマチスのダンスも、巨大なデュフィの「電気の精」の部屋も、お金払わず見せていただいていいんですか? と恐縮したくなる気前の良さだ。名だたる巨匠の作品も、コンテンポラリーもいっぱいあるし、たまに展示も変わるから、何度きても楽しい。

          キリコのコレクションなんて、汐留のパナソニックギャラリーに入場料払って見たものより、充実してる>笑

           

          そして、常によい企画展をしている。

          去年はヘンリー・ダガーが見れた。すごくクオリティが高かった。

           

          土曜日のmaison rougeでは、EUGEN GABRITSCHEVSKY(なんて読むのかぜんぜんわからん)っていうロシアの作家のタブローと、NICOLAS DARROT(フランス)のインスタレーションが企画されていて、これがもう、面白くて面白くて、かなり長い時間をだらだらと美術館の中で過ごした。

           

          それで思うんだけど、生活圏でただうろうろしているだけで、知らなかった作家、思いがけなく素敵な作品にどんどん出会える場所なんだなあ、パリって。なんか、ちゃんと提示してくれるっていうか。

          昨年も、これまで知らなかった作家の存在をたくさん知った。それが、ごく普通に、美術館だけでなく、公園や駅や、あらゆる場所で目に付くところに存在しているなあって思う。そして、それをゆっくり観賞できる。おしゃべりしながら。

          同時に、たいがいの家には誰かの作品の額が飾ってあって、「絵を手に入れる」ということに対しても、すごく自然な国だと思う。日常に、アートが内包されている。

           

           

          ここまでは、昨日までの備忘録。作家の名前忘れないように。

           

           

          さて、ここで本題なのですが(遅い)、

          日本って、美術館の来場者が世界一多いって知ってました?

           

           

          知らんかったよ、私は。

           

           

          ま、今年の若冲展の狂喜乱舞ぶりを見たら、さもありなん、とも思う。

          若冲なんて、5月10日に20万人来たそうだ。5時間並んで満員電車状態でなぜ行く?という質問は愚問かもしれないのでやめとくけど。

           

          ほか、歴代の入場者数は、NYやパリの数字を上回るそうで、近年では阿修羅展とかオルセー、マルモッタン、ルーブルあたりが上位に入ってる。最近は日本のいいもん的な方向が流行っているので、薬師寺や長谷川等伯なんかも記録を残してる。いずれも、大行列になr並んで見る、という状態は同じ。

           

           

          うーん、でもさ、と思う。

           

          みんな、そんなにアート好きだっけ?

          私の周りには、「あー、ピカソぐらいなら聞いたことがあるけど、あと知らない」とか、「ミロっていう人知ってる? え、知ってるんだ。さすが、すごいね!」なんてことを言う人もいて、なんか取り立てて絵が好きっていう人がいっぱいいるようには思えない。

          そして、作家にとっては受難の地で、絶望的に絵は売れない。私のやってる版画なんて、特にもう、だめぽ>笑

          それでも、美術館の入場者は世界一。

           

          わけわかんね、と思っていたら、

          学芸員の友人が面白いことを言った。

           

          「展覧会というのは、日本人にとっての”見せ物”文化に近いところがあると思う。

           珍しいものが好きで、見せ物に集まってしまうというのは、江戸時代からあったこと」

           

          うん、つまりはなんか物珍しいものがやってきて、そこに人が集まっているから、出かけてみている、ということ。

          行列はむしろ、「見る価値があるもの」のサインだから歓迎すべきもの、ってことになるのかな。

          もちろん、純粋に見たくて来るひともいっぱいいるけれど、どこかのゾーンに達した時点で、「見せ物」としての立ち位置が確立すると、あとは黙っていてもそこに人が集まってくる、ということなんだろう。

           

           

          もちろん、パリでもNYでも、企画展に人が並ぶことはある。

          ほいでも、大きな違いはそうした並ぶ企画展以外にも、常設展や小さい企画展がきちんと成立していることで、私の今回のパリのように、特別アグレッシブに動かなくても、ちょっとしたいいもんに巡り会えることが多いってこと。

          日本だと、かなりアグレッシブに探して歩かないと、なかなか新しいものには出会えない。

          最近は小さくてよい展覧会が増えたなあって思うけど、それでも普通に暮らしていたら、目に入るのはよく見知った「ブランド」展覧会がほとんどで、それがあるゾーンに達すると、異常に人が殺到するという現象が続いている気がする。

           

           

          それ、どうして??

           

           

          って思ってるんだけど

          それはどうやら、日本の展覧会がメディアの後援を受けて成立しているところにも理由の一端があるようだ。

           

          大きな展覧会には、新聞社やテレビ局、広告代理店などの後援がつく。

          それ、海外では存在しない、戦後から続く日本独特のシステムなんだそうだ。

          読売新聞契約すると、野球のチケットだけじゃなくて美術展のチケットもらえたりね。

          あとグッズの売り上げも後援側に入る仕組みもあるそうで、結果的に集客が収益そのものに結びつく仕組みになっているんだと。

           

          そういう仕組みがあるから、メディアは自分の得意分野でがんがん特集記事や番組を作る。

           

          それを見て、人が殺到する。

           

           

           

          結局、ある種の展覧会の軸が、メディアという経済軸と大きく関わっている、ってことなんじゃないかと思う。

           

          日本ではアートが生活の内側に含まれているというよりも

          暮らしの外側で、イベント=見せ物 として現れることが多くて

          だから、絵を買うとか、新しい作家を応援してみるというようなことよりも

          テレビや新聞がいいよ! って言ってて、どうやら人もいっぱい集まっているらしいという場所にでかけていき

          ああ、これがあの、みんながいいよって言ってたものだ、、、と確認する

           

          というスタイルになりがちなのかもしれない。

          個人の価値感より、集団としてのメディアの価値感が主体となって

          ケである暮らしの外側に、ハレとして存在するもの。

          そういう存在そとしての展覧会が、イコール、アート。ってこと???

          わからんけど。

           

          展覧会の入場者が世界一って、誇れる事だと思うけど

          うーん。どうなのかな。

          美術、アートって、個人個人の価値感を最大限に自由にしてくれる分野で

          だから、ちゃんと、自分の内側にアートの軸を置いておかなくちゃいけないんじゃないかなー、なんて

          せちがない最近の日本では、よく思ってる。

          こちらの美術館で、絵を前にしていろいろ批評し合ってるような姿を見ると、なんか純粋に、うらやましい。

          どんなにメディアや権威が「よいものだ」と言っていたとしても、それを「嫌いだ」という権利は、私たち一人一人の中にある。

           

          同時に、ぜんぜん知られておらず、評価されていないものを、「大好きだ」と特別な場所に置く自由も、私たちの中にある。

           

          ちなみに、いまギメ美術館では、アラーキーの展覧会やってるよ。

           

           

          ものすごくいい展覧会。

          美術館の4階には、田辺小竹さんの竹のインスタレーションも今、展示されてる。もうすぐ会期終わりかな。

           

          日本人として、すごく誇りに思う。

           

           

           

          今日は月曜日だから、美術館はお休み。

          唯一空いてるポンピドーでは、クレーの展覧会やってるようです。

          さて、どうしようかなー。

          クレー、大好きだけど。

           

          のんびりごはん食べながら考えます。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          category:Paris ひとり暮らし | by:武蔵野婦人comments(2) | - | -

          「2分の動画で十分です」の時代に、実速度の制作動画を流すルイ・ヴィトン展で考えた悲喜こもごもなこと

          2016.07.24 Sunday 18:51
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            すごいよ、毎日10時間ぐらい寝てる。どんだけ疲れてたのか。

            「パリ」という名前の空気の温泉に浸かっていると思えば、温泉療養という気がしてきたここ数日。

             

            今日はバカンス突入後の日曜日、さらにはツールドフランスの最終ゴールがシャンゼリゼで行われる日。

            アヴィニヨンの演劇祭に行っている友人によると、昨夜お祭りがある場所での爆破予告があって一時騒然としたそうだ。

            「楽しそうに人が集まっている」ところをテロリストは狙っているんだ、という。

            だから、敢えてそういう場所を選んで出かけない、と思っているんだけど

            でも、そんなパリで昨年同様、セーヌ側沿岸がParis Plage になっているのはある意味すごいなあと思う。

            日本だとすぐ「自粛」となりそうで。

             

            ただ、パリでのテロのあと、現地の友人から

            「日本人が常に地震の恐怖と隣り合わせなのと同様、私たちもテロの恐怖と共存していかなくてはならなくなりました」

            と言われて、へ、それって同じものだったん? と思ったこと、改めて思い出した。

            東京、いま地震多いし。

            うーん、でもそうなん?

             

            わかんない。

            とりあえず今日はあまり出歩かない。パリ温泉で療養する。

            朝から絵を2枚ほど書いた。

            吉本新喜劇を見た。

            洗濯をして、冷蔵庫の中のものを食べた。

            すごく、幸せだ。

             

             

            さて、そんなすっかりゆっくりな時間の中で

            こちらに来るちょっと前に見た展覧会の事を思い出している。

             

             

             

            パリのグランパレで開催されたのち、紀尾井町に来たルイ・ヴィトンの展覧会。

            入場無料。

            でも、そのクオリティの高さに息をのんだ周囲の人たちは多かった。

            いや、すごかったよ。素直に、すごく感動したー。

             

            私はブランド品にほとんど興味はないけれど、ここ数年東京でも開催されているDiorやHermesの展覧会などを見ると、世界的な地位のあるブランドが、文化に対してどういう姿勢でいるのかがよくわかる。

            一部の日本の企業のように、創始者が自分の趣味や税金対策のために買い集めたお宝を並べて入場料を取るようなもんとは根底が違うな、と思う。

             

            パリにあるFoundation Vuittonの美術館は入場料を取るけれど、若手のコンテンポラリーアート作家に広い支援をしていて、それはすばらしいことだなあ、とよく思う。ヴィトンのバッグはぜんぜん好きじゃないけど、やってることはすごい。偉いぞ、ヴィトン。

             

            で、そんなヴィトンの展覧会で、私が一番好きだったのが、最後の部屋にあったビデオの数々だった。

             

            最後の部屋では実際にヴィトンの職人さんが作業している姿を見ることができるんだけど、その横でさまざまなバッグが作られる行程が、ビデオになって流れていた。ただ、延々と職人さんの手元を、俯瞰カメラで撮ってるやつだ。

            物作り大好き人間にとっては、たまらない。

            え、皮そうやって貼る? そこ折り返す? あー、その順番で組み立てる?

             

            もう楽しくて仕方ない。

             

            すっかり動けなくなって、座り込んでずっと見てた。

             

             

             

            それで、やっと気づいたんだけど。

             

             

             

            このビデオ、すべて実速度なんですわー。

            人が作る速度で、ただただ延々と撮られてるの。

            なので、10分ぐらい座り込んでみてても、バッグぜんぜんできないの。

            片側の皮を折り返して貼る、ってところまでがようやく見えるぐらい。

             

            えー? それで最終的にどうなんの?

            完成型はどのバッグになんの?

            なんもわからない。

            いったいいつまでここに座ってりゃいいんだ、と思うと気が遠くなる。

            どっかではしょられるのか、と思って見てるんだけど、ぜんぜんその気配がない。

            とにかく、ただ、作る速度で撮られている。

             

             

             

            いやああ。

             

            感動したね。

            これでいい、と思っているということに。

             

             

             

            これ、おそらく日本の何かの展覧会で、動画撮る会社に依頼したら

            「倍速か4倍速にしないと誰も見てくれないですよ。途中無駄な行程ははしょりましょう。とにかく見てもらうことが大事ですから」

            となるに違いない、と勝手に思う。

            ってか、もうネット上の動画のほとんどがそれでしょ?

             

            「料理レシピ読むの面倒だし、用語わかんない。動画のほうがよくわかる」

            的な。もう、スピードめちゃ早いけど、そんなかでもちゃんと伝わる、みたいな。

             

            いや、それもすごくいいツールだなって思うんだけど

            なんか一事が万事そういうことになってきて、自分の立ち位置が何かよくわからなくなっちゃったな、ってこのところ思ってたから。

            だからヴィトンの動画はうれしかった。

             

             

            私は、「書く」ってことを基本にずっと仕事をしてきていて

            インターネットが普及しだした1990年代後半、それまでの紙媒体での発信ではなかなかできなかったことが、ネットに「書く」ことで大きく広がったことを身を以て体験した世代だった。

            私が選んだテーマは「働きながら育てること」。

             

            なんだか生きにくい、肯定してもらいにくい、とにかく時間なくて大変。

            そんなハードルを、書いて発信して、情報交換し合うことで少しづつ低くして、

            なんかそんなに頑張りすぎることなかったねー

            同じような人いっぱいいたねー

            なんだー、こんな自分のままでいいんだねー

             

            なんてことを確認し合いたかった。

            ただ、そんな思いで「書く」ことを始めたけど、

            そんな自分が社会からありがたいことに認められ出したあとは

            「家事の時短」ってところだけが大きくフォーカスされてしまって

            私は「時短のプロ」になった。

             

            そもそも、「時短」って言う言葉が嫌いだった。

            伝えたいのはそういうことじゃなかったから。

            allaboutのガイドをするようになって、そのコーナーの名前に「時短」がついて

            時代も相まって、なんだか家事のライフハックが専門みたいな捉え方をする人もいて

            そして畢竟

            ライフハックは「アイデア」にほかならないので

            私の仕事は「書く」ことよりも、「アイデアを出すこと」に偏っていくことになった。

             

            仕事をさせてもらったのはすごくありがたくて楽しかったし

            それで子どもも育てられたし

            アイデアを考えるのは嫌いじゃないけど、でも

            どっかで違うところ歩き出してないか? ってよく自問自答してたところに

             

            少し前に来たのが

            「家事の動画コンテンツサイトを立ち上げるためのベースになる動画を作ってくれ」というお仕事。

            いまどきの人は、文字を読みません。

            情報は動画の時代がやってきました。

            でも、動画は見てもらえても2分、最長でも5分が限度です。まあ、5分だと途中で飛ばされます。

            2分前後で完結する時短家事コンテンツ動画を50個ほどお願いしたいです。

            ももせさんがベース作ってくれたら、あとは真似して主婦が自分の情報をアップしてくれるので

            ……。

             

            えっと、家事って両手を使いますよね。

            アクセサリー作りみたいのならわかるけど、掃除や洗濯の動画を、主婦がどうやって撮るんですか。

            そんで、その投稿された動画の著作権や使用権はどう取り決めてあるんですか。

             

            いろいろわからんことが多かったので、お断りしたけど、

            その時心に重く残ったのが

             

            「もう誰も文字読まない。動画も2分が限度」

             

            という言葉だった。

             

            なんか、もうそういうことだったら、いいや、と思った。

            早回しで2分で伝えればオッケ、という動画を撮るためのアイデアを出すことが自分の仕事なら

            もう、いい。

             

             

             

            ここんとこの、そういういろんな気持ち。

             

             

            ヴィトンの映像見て、なんかすごく癒されたんだよ。

            実速度でいい。

            何も解決しなくていい。

            だって、ほんとにその速度でやってんだから。

            で、その速度に意味がある仕事をしているから

            早回しなんてしない。

             

            いろんな意味で、心が動いた。

             

             

             

            そんで、そんな風にしみじみ動画を延々と見ている私の後ろには、何組かの人たちが入れ替わり立ち代わり

            同じ動画を見ていたんだけど

            最初に耳に入ってきた会話が、また、すごくよかったんだ。

             

            「あー、私、今これ見て自分の仕事、すごく反省してる!」

            「なんで」

            「早さが価値じゃないんだよ。この速度でゆっくりと、丁寧に確実に作る。それが大事なんだなーって」

            「ああ、なるほどねー」

            「日本の縫製工場ってさ、もうどんだけ早いかが一番なの。ミシンも早さ競争みたいになっててさ。

             そういうことじゃないよね。あー、もう私今すごい自分のこと反省中ー」

            「うんうん!」

             

            アパレル系の若い女性2人だった。

            いい。

            すごくいい。

            そうだよね、そういうことだよね。

             

             

            しばらくしたら、後ろから聞こえてきたのはこんな言葉。

             

             

            「なんか、すごく効率の悪いつくり方してんだな、ヴィトン」

             

            40代ぐらいの男性だった。

            同じもの見て、感じる内容の違いが面白い。

             

            最後に聞こえたのは

             

            「あ、これあの形のバッグでしょ。これいくら? 30万ぐらいで買えるやつ? 私ちょっと欲しいかも」

             

             

             

            いろいろ、安心する>笑

             

             

             

            だからといって、私、家事や暮らしを「丁寧に時間をかけて、確実にやりたい」と思ってるわけじゃぜんぜんない。

            そもそもが、女性に対してそういうことを言いたがる、形のないプレッシャーに対して

            「そういうことじゃないよね」と「言葉」で伝えたかったのがスタート地点だ。

             

            結局、私がやりたかったことは、時短家事のアイデア出しじゃなくって

            もっと女性が自由に、自分らしく生きるにはどうしたらいいのかな? ってことだったんだと思う。

            家事や育児に対する価値感を、外側から規定されるんじゃなくって

            自分なりに編集して、そしゃくして、やっていけるといいなって思ってるんだと思う。

             

            2分の動画じゃ、それは伝えられない。

            そして、価値感も、早回しでは変えられない。

             

             

             

            そんなちょっと小さくくじけ続けていた自分にとって

            ヴィトンの展覧会はすごく、元気をもらえる展覧会だった。

             

             

             

            おまけだけど、息子がみつけてきた、カメラのライカの動画。

            カメラ本体を磨く作業が、延々と40分の動画に収められている>笑

            「早回し」で伝えられないことを、どうやって伝えていくのか。

             

            それ、動画時代のこれからの大きな課題だな、って思ってる。

             

             

             

            そんなことパリで考えてる日曜日。

            こんなブログを、なんだか読んでくださっている方がいて

            そんな人たちの存在を思うと

            もう、いい、

            って思ってた「書く」という作業を、まだ続けていってもいいのかな、ってちょっと勇気をもらってる。

             

            ほんと、ありがとうございます。

             

             

            今日の朝ごはん。

            何度も言うけど、ほんとに朝ご飯がラク>笑

             

            こないだ講演先で話したら、「やっぱり日本人はごはんじゃないと。私はパンじゃ無理です」

            っていう方がいらしたけど、私はパンでいいので、ほんとラク。

             

            パン、うまい。

             

             

             

             

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            北マレのギャラリーからアンファンルージュを回って、ゲテリリックへ。そしてこの街で一番かっこいい場所へ。

            2016.07.23 Saturday 04:43
            0

              年明けからいろいろあった上、春からは週2日美大に行くようになって、なんだかいろんな変化についていけなくって、去年に比べて今年の私は、何年かまとめて歳を取ったような気がしてた。

              人生って、たまに転機ってやつがあるもんなんだな。

              んなわけで、今年のパリは、昨年のパリと同じようでいて、ちょっと違う気がします。

              私が違うだけかと思っていたけど、テロの連鎖のあとで、街もちょっと違う。

              観光客少ない。

              街は日常だけど、やっぱり、何かが違う。お互い。

               

              ちょっと元気がない、とも言えるけど

              逆に言えば、私自身は肩に力が入っていなくて、いい塩梅に自然体になった。

              ソルボンヌの文明講座に通うんだー! なんていう去年の意気込みも今年はないし

              去年に行きたい場所はだいたい頑張って行ってしまったので、今年はその穴埋めをして歩くか、おさらいをして歩く。

              ともだちにちょい逢う予定を入れたぐらいで、なんの縛りもないから

              一日2時間ぐらい出歩いて、あとはアパートでぶらぶらしている。

              パリ温泉宿にいるようで、それはそれで、なんかとても贅沢だ。

               

              ということで、今日は昨年見逃したゲテリリックに行く予定を立てた。

               

              んが。

               

              予定立てるって、頭使うんだねー。改めて考えると。

              どの駅から乗り換えて、どこ歩いて

              ほで、そのついでにどこ回ろうかとか

              定休日じゃないよね、時間は何時から? とか

              そんなこと考えるのがとても楽しいときもあるけど

              今回はちょっとめんどくさい。

               

              あれ、結構エネルギー使うんだなあ。

              去年はようやったなあ、自分。

              脳みそが活発に動いていたんだろうな、去年。

               

               

              ほなもんで、とりあえずゲテリリックは午後14時開館ってのだけ確認したので

              それまでの時間、大好きな北マレのあたりのギャラリーを冷やかして散歩してから行こうと思った。

               

              マレ地区はるるぶ的な観光マップで「若者のおしゃれな街」となっていることが多いけれど

              路地が多くて、人が多いのに小さくて入りにくい店がごちゃごちゃと集中していて、私は結構苦手。

              でも、北に行くと、外側からわかりにくい建物の中庭なんかに

              おそろしくおしゃれな洋服屋やギャラリーが隠れていて

              すごく楽しい。

               

              マレはピカソ美術館の南側より、北側が断然おもしろいです。

               

              このあたりは、若い作家たちの個展があちこちで開かれていて、東京で言えば銀座のギャラリー街みたいな感じ。

              東京のギャラリーも入りにくいけど、パリのはさらに入りにくい>笑

              いや、堂々と入っていけばいいんだけど

              やっぱり、なんだか敷居が高くて腰が引ける。

               

              こんなところを、スマートにアテンドしてくれる初老の紳士などがいたら

              さぞかしよかろう、、、、という妄想ワールド満開で歩く。

               

               

              ドラム缶ひろげて貼っただけ? ってなタブロー。

              車つぶしただけ? ってインスタレーション。

              今年は写真の個展が多かった。

               

              中でもかっこよかったのはこれかな。

               

               

              右下がりだけど。

              右側の白ののみのタブローがかっこよかった。白、好きだ。

               

              途中みつけた、「ひげの床屋」。

              口ひげ、あごひげ整えますって書いてある。いい、なんかとっても、いい。

               

               

              入り組んだ路地をギャラリーを見て歩いているうちに、お約束通り、迷う。

              迷いながら、とりあえずの目印にしたアンファンルージュの市場になんとか到着。

               

               

              ここはパリで最も古い市場で、中には野外レストランみたいなお店がいっぱいあって、ランチできたりして結構楽しい。

              アンファンルージュって、「赤い子ども」って意味で、隣が孤児院だったからそう名付けられたそうだ。

              今日は何も食べずに通り過ぎる。

               

               

              パリのマルシェでは、たいてい誰かが話し込んでる。

              地下鉄でスマホやってる人も少ない。電話持ってたら、たいてい、誰かに電話して話し込んでる(電車の中でも、だ)。

              フランス人はすごくおしゃべりで、コミュニケーションが大好きで、でも、話していることは結構他愛ないことが多い。

              こっちでフランス人と結婚した友人が、

              「男は寡黙なのが一番ですよ。もう言葉はたくさん、しゃべらない日本の男のほうがいいです!」

              って言ってたの思い出す。そんくらい、男もよくしゃべる。

               

              途中で喉が渇いたのでコーラを買った。

              スーパーのレジの女性と、私の前にいた黒人の男性が、私が買ってる間もずーっとしゃべってて、それを横目にお金を払って出て来たけど、でも、そんなのもパリのよい風景だな、と思う。

               

              アンファンルージュを抜けて、去年はバカンスで閉まっていたゲテリリックに、なんとか歩き着く。

              ここは2011年に作られたフランス初のメディアセンター。古い劇場を改装したもので、中を見てみたかった。

               

               

              中はラボや図書館があって、若者が自由に使ってる感じ。

              いいな、こんな場所で、勝手に色々作ったり、勉強したりしてる。「場所」があるって大切なこと。

               

               

              残念ながら、展覧会はもう終わってた。

              来週月曜日からまたバカンスに入って、9月初旬まで閉鎖される。とりあえず、中見れた。よかった。

               

              ほんとなら、ここからまた北マレに戻って、帰宅路線途中にある顔料屋さんで買い物をしようと思っていたんだけど

              ゲテリリックで展覧会が見れなかったので少々不完全燃焼となり

              このまま南下すれば、この街でいちばんかっこいいと思っている場所に行けることを思い出し

               

              ぷらぷらと歩くことにした。

               

              途中で、フレブルの看板犬に遭遇。

               

               

              かわいい、やばい。

              ちょこちゃんに会いたい>笑

               

              ごちゃごちゃした中国系のバッグやアクセサリーの卸問屋を冷やかしながら

              このへんてこな建物を目指す。

               

               

              ボンピドゥーセンター。

              中の逸品は今、東京に来ちゃってるよ。

               

              でも、お目当てはこの美術館ではなく、

              この美術館の片隅にひっそり立っている、ブランクーシのアトリエ。

              こちらは入場無料。

               

               

              ブランクーシかっちょいい。

              まぢ、ほんとに、かっちょいい。

              なんだろう、これ。

               

              乱雑に、無造作に置かれているようで、実は精密に計算された配置になっている。

              ブランクーシが、こだわりにこだわって、配置を決めたのだそうだ。

              どの角度から見ても、完璧な配置になってる。

              来るたび、ため息が出る。

               

               

              工具萌えとしても、たまらない。

              本当に、何もかもが、かっこいい。

              そぎ落とされた形。ミニマムな色。

              ブランクーシの名前をはじめて知ったのは、確か高校時代だったと思うけど

              それ以来ずっと、やっぱりこの人の作ったものはいつ見てもかっこいい。

               

              そういえば、北マレで出会ったタブローも白だった。

               

              ブランクーシの白に見入りながら、

              ちょっと前に、そういえば、オランジュリーにあるモネの睡蓮を見たときにも

              ほかのどの色よりも、白が自分に語りかけてくることに驚いたのだった。

               

              いま、ちょっと、自分は「白」の時代なのかもしれない。

               

               

               

              帰りの地下鉄の駅にたどり着く前に

              BHVのデパートにつかまり>笑

              70%オフというとてつもない誘惑の服と靴の売り場で1時間ほど時間を浪費して

              それでも買わないぞ、と決意して帰った自分は偉いと褒めながら

               

              なんか疲れたので、顔料のお店には寄らずに帰った。

               

               

              何したのかようわからん一日だったなーと思ったけど

              夕暮れの地元駅の広場で

              昨日気になっていたスタンドに寄って、アイスクリームを買って食べた。

               

              Un single de Vannille,SVP.

               

              選んだのは、真っ白いバニラでした。

               

               

               

              パリの夕暮れ。

              いま、夜9時40分。

              まだ陽は沈まない。

              空は、白いです。

               

               

              やったことリストだけの日記になっちゃった。

              備忘録ってことで。

              おやすみなさい。

               

               

               

               

               

               

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              大事なのは「できるかな」って考えることじゃなくて、「やるの? やらないの?」ってことだけ。やるって決められたらあとはどうにでもなっちゃう、ということについて。

              2016.07.22 Friday 16:37
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                再びパリにおります。10日ほど滞在してから、今年は田舎に移動する予定。

                去年のいまごろのもくろみでは、今年はパリに観光ビザが許す最大限の期間で滞在と思っていたんだけど、さすがにテロの連鎖で予定を変えた。世界が動いている。なんだかあまり、幸せではない方向へ。

                 

                まあ、それでもひるんでこもっていては何もはじまらないので、できるうちはできることをしておきたいな、って思う。

                 

                以前にも書いたけれど、子どもを1人で育てるために、とにかく働かねばならなかった時代には、こうして1ヶ月であっても日本を離れるなんてことは、考えることすらできなかったことだ。

                会社員だったら、「休めない」が第一の理由なので、フリーランスならいくらでも自由に時間を調整できるでしょって思うかもしれない。でも、ぜんぜんそうじゃないのよ。

                ただでさえ不安定な収入だから、想定外の出費でお金を無駄にはできないし、なんといっても「仕事を断る」ことは、フリーランスにはあってはならないこと。それはそのまま、「仕事を失う」ことにつながっちゃう。会社員時代に有給取ってた感覚とは、もうぜんぜん違うーってことが、フリーランスになってから痛感した。

                仮にこういう時に子どもを預かってくれるありがたい両親がいたとしても(…と、簡単に書いているけど、こういう関係が作れるようになるまでは、紆余曲折の本当に道のりの長いバトルと葛藤は、あった)、打ち合わせに出られない、イラストが送れない、取材に対応できない、なんてことは、あってはならないことだった。

                 

                えいや! とハードルを飛び越えたのが、2009年の1週間のフランス留学。

                子どもは中学生だった。いやあ、この時は思い切ったよ。1週間! 家空ける、仕事休む! 大変な決意だった。

                今思えば、なんぢゃ、1週間って、、、ってことなんだけど。

                それからぽちぽち出かけるようになって、大きなハードルだったのが2013年のビザを取ってのアメリカでの長期滞在。

                こん時も思い切ったね。えいやー! って感じだった。

                人生大転機! とまで思った。決意して友人に話したとき、手が震えた。

                それなりの理由があってのことだけれど、最初はアルプスの双璧のように見えた「海外に長期滞在」というハードルは、飛び越えてみたら陸上競技のハードルの高さになり、物事によっては、かまぼこの板ぐらいの高さしかなかったんじゃない? って風になったりもした。

                 

                いろいろおもろい。

                 

                 

                 

                そうして自分の居場所を、えいや! って思いながら変えていくと

                小さく、小さく、いろんなことが変わり始めた。

                自分の考え、価値感、暮らしのスタイル。

                周囲の目。

                そして、人間関係。

                 

                かまぼこ板の前で、「こんなものが飛び越えられるはずがない」と思っていた時代には

                考えもしなかった友人が海外にできたり、そこからはじまる新鮮な体験もたくさんあった。

                 

                「居場所を変える」って、すごいことだと思う。

                どんな双璧でも、飛び越えた側から見たら「かまぼこの板」だったりするんだ、ってことも、大きな発見だった。

                子育てと仕事に頑張っていたとき、子どもを連れて単身で海外赴任した友人の言葉は、今も私の座右の銘になってる。

                 

                「物事を決めるときに必要なのは、それが自分に出来るんだろうか、と思うことじゃない。

                 やるのか、やらないのか。

                 ただ、それだけです。

                 ”やる”と決められたのなら、やってみればそれは、できてしまうものなんです」

                 

                そんなこと、果たして自分にできるんだろうか。

                自分にそれだけの能力があるんだろうか。

                 

                そういう思考回路じゃなくて、あんた、結局のところ、やるの? やらないの? と自分に問う。

                一度、やる! って思えたら、もうそこで半分はできたも同然。

                あとは飛び込んでみれば、ほとんどのことがなんとかなっちゃう。

                いやこれ、ほんとにそうだべさ。

                 

                 

                 

                ってなことで、いろいろ「やってる」。

                なんとか、なってる。

                ありがたい。

                 

                 

                 

                さて、そんな風にいろんなことが小さく変化する中で

                仕事もちゃんと、変化したわけです。

                どういうことかというと、私が距離を置いた分、相手も距離を置き始めた。

                これはものすごく面白い、でも同時に、あったりまえのことだと思います。

                 

                いないんだし。

                 

                たぶん、私が小説家とかアーティストだったら、相手は距離を置かなかったと思う。

                でも、私が仕事をしてきたのは、超実用の世界なわけで。

                子育てと仕事でアップアップしている私が、なんだか海外にでのんべんだらりとしており

                そして私がいなくても超大量に同じ事をしてくれる優秀な方がいっぱいいらっしゃるわけなので

                いない分の仕事はそこに流れていく。当たり前のことです。

                (言い方を変えれば、フリーランスは休んではいけない、と思っていた私の考えは、

                 ほんとのほんとに、正しい、ということになります)

                 

                 

                そんでね。

                稼ぐという意味ではこれは大きく問題なんだろうけど

                子どもも成人したし

                言い訳でもなんでもなくて、これは私は望んでいる流れの中にいるって、このところよく思っています。

                なんつか、流れを変えたいんだな、自分の人生の。

                 

                急激に舵取りをすると転覆するけど

                少しづつ、少しづつ、無理なく行き先を変えられるように、自分でも無意識のうちにいろいろやってきているんじゃないかって思うんです。で、どこに行きたいのか? って問われると、まだぜんぜんわかんないんだけど。

                私はシングルだから、家に稼ぎ手はほかにいなくって、息子の世話になんて絶対ならんと決めているから、自分の食い扶持をなんとかせねばならないというミッションは大きいんだけど。。。でも、ずいぶん長い間、「私のやりたいこと」は、仕事と直結していて、そういう枠の中で、自分の目指すものを考え続けてきたから。そこから少し、自由になりたいな、と思う。

                なれるのかどうか、うまくやっていけるのかどうか、ぜんぜんわかんない。

                でも、できるのかな? って思ってても何にもならんということを学んだので、とりあえずは、そうする、と決めてみたわけなのだった。

                 

                 

                去年、パリに来る前に、なんだか1ヶ月以上1人でパリで暮らすなんて、やっていけるのかな。。。って、大事な友達に弱音を吐いたとき

                (「そんなこと、自分にできるかな」って罠にはまっていたわけですね、決めたあとに>笑)

                「じゃあ、毎日ブログ書きなさい、私、毎日読むから。それで、応援するから。だいじょうぶ、いづみちゃんはちゃんとできるから」

                 

                って、

                なんだかとてつもなくすげーすばらしいことを言ってもらって

                それで、去年毎日パリでの出来事をブログに書いたんだ。

                 

                友達はちゃんと読んでくれて(ほんとにいいやつだ)

                でも同時に

                友達とは違う場所にいた人たちも読んでくれて

                それでなんだか、いろいろうれしいことがたくさんあった。

                 

                 

                小さなことでも、「やる」って決められたら、あとはなんとかなっちゃう。

                そして、必ずちょっとしたいい「おまけ」がついてくる。

                 

                いろんな人たちに、人生の大切なことを教わって、いま、ここにいる。

                 

                 

                今年は毎日書けるかどうかわかんないんだけど

                「大丈夫、ちゃんとできるから」って言ってもらえたあの気持ちを忘れないためにも

                ちょこちょこと、また書いていきたいと思います。

                 

                パリ、今朝はちょっと寒いです。

                それでもアイスクリームのスタンドはいつも行列です。

                 

                 

                 

                 

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                「お前の母親はいったい何をしてるんだ?」と言われたけど、それ、フランスではどうなの?

                2015.09.19 Saturday 01:13
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                  パリから戻って10日経ったけど、なんだかもうすっかり日常に戻ってしまった。
                  2ヶ月近く東京を離れることは、フリーランスの私には以前はもう、怖くて怖くて、このまま仕事がなくなってしまうのではないか? その期間は仕事ができません、なんて一回でも言ったら、仕事は他の人に回ってしまい、以降、二度と戻ってはこないのではないか? なんてことを考えていたこともあったな。なんかなー、頑張ってたな、あの頃、私。
                  会社員だった時にはまったくわからなかった感性だけど、一度でもフリーランスで仕事をしたことがある人なら、わかってもらえると思う。

                  特に、私は子どもが10歳の時にシングルになったから、とにかくこの子をこの腕1本で育てなくてはならない、という変な使命感みたいなものもあって、なおさらだった。
                  今思えば、こんな不安定な仕事で、まあ、よくも子どもと二人、なんとか食ってくれたもんだと思う。
                  奇跡に近い。
                  ほんと、ありがとうございます(なんかわからないけど、とにかくここまでやってこさせて下さった人々に)。

                  そんな「頑張らねばあかん」気負いが年齢とともにだんだん薄れはじめてきて
                  子どもが20歳をすぎて
                  ああ
                  もう私は
                  自分のためだけに働けばいいんだと気がついて

                  そして、身近な人が、まだ逝ってはいけない年齢で旅立ってしまったり
                  ある日突然、実は重篤な病気かもしれないという宣告を受け(そしてそれは、2週間後に大ボラふきの誤診だったということが判明して、腰が抜けたけど、まあ、本当によかったよお@涙)…なんてことになったり
                  気がつけば両親がもういつぼけても倒れてもおかしくない年齢で、明日突然ひとり娘シングルである私の日常が激変するとも限らないという現実が見えたとき

                  やりたいと思ってたことは
                  とっととやっておこう
                  とすんなり思えるようになった。

                  働き盛りの時代はよく働いて、遊ぶのはその後にしようとか、
                  仕事を持続するための保険じみた努力は必要だよな、とか
                  老後の蓄えしなくっちゃとか

                  そういうことのために、今を先送りにしても
                  今日と同じ明日が、必ずやってくるわけじゃないじゃん、と
                  そんな当たり前のことに、やっとこ気づいて。

                  それから、物事は時期と運と縁が重なったときには
                  先送りにせず、とっととやっちまうべきだと思うようになった。



                  *セーヌ河畔のボートハウス。パリの砂浜「人生は美しい」って書いてある。

                  子どもが産まれて会社復帰したあとに、独立しようと決めた時とか
                  離婚しようと決めた時とか
                  そして、子どもに便乗してアメリカの大学に入ろうと決めた時とか

                  どの時も、なんだか壮大な決心をしたような記憶があるんだけど
                  やってみたら
                  別にそれは普通のこととなって
                  ただその先に続くことを粛々とやっていくだけのことで
                  何も特別なことではなかった。
                  でも、後になってからそう思えることで
                  どれも、ああ、あの時にそんな心のハードルみたいなものを飛び越えておいてよかったなあ、と
                  今になれば、しみじみ思ったりもする。


                  今回のパリも、ささやかだけど、そんな「とっととやっとこ」案件の一つだったわけだけど
                  ほんとに、とっととやっといてよかったー。
                  そして今、本当に毎日、パリが恋しい。
                  世の中に、そんなに好きな場所があって、ほんとによかったなあ。
                  また行きたいなあ。
                  行く前と行ってきた後と。
                  自分の中で何が変わったんだろう。
                  それ、興味あるなあ。おもしろいなあ。




                  あれ、今日は何を書こうと思ってたんだっけ?
                  すっかり脱線してるし。


                  ああ、そうだ。
                  タイトルの通りだ。



                  とにかくなんとか食っていかねばならぬ! という私の原動力になっていたのは
                  ひとり息子の存在なんだけど
                  その子どもが産まれた時、私は会社員で
                  その部署ではじめての育児休業を取って、育児時間短縮を取って
                  応援してくれるかわいい後輩に支えられながら
                  でも、時短で帰ろうとすると
                  「子どもができたら早く帰れるんですね。いいなあ、私も子ども産もうかな」
                  なぞと言われたり
                  「あなたみたいのを給料泥棒って言うのよえ」
                  なんて言われたりしながら

                  まあ、いろいろ苦労はしたのさ。
                  あの時代。
                  それより前は、育児休業も取れなかったんだから、十分恵まれていたんだけど
                  でも、子どもいるけど働くって状況に周囲が慣れていなかったから
                  いろんな出来事は、あった。

                  あれから20年近くたって、そんなのすっかり壊滅しているんだと思ってたら
                  以外とそうじゃないらしい。いや、素敵に変わってきたこともいっぱいあるんだけど
                  心ない言葉をかけられてしまうことは、未だあるって聞くと、とても悲しい気分になる。

                  そういうの、今はマタハラっていうの?




                  なぜこんなことを急に思い出して書いているかというと
                  パリにいたとき、部屋を貸してくれていたNicoleと夕食を食べながらいろいろ日々話していた中で
                  仕事と子育てをしていく上での男女の役割みたいな話が結構出て

                  そん中で、日本はやっぱり男女の役割分離がまだあるよねえ、ってことはしばしば話題になった。

                  で、私は自分のことだからもう20年近くも前のことだけど、こんな体験談をしたわけ。

                  「育児時間短縮を取っていても、会議が夕方から始まったり、大事な仕事が夜あったりするから
                   ベビーシッターを頼んで出席したら、上司が”子どもはどうしたんだ”と言う。
                   シッターに預けましたと言ったら、驚いた顔をされて
                   ”お前の母親は一体何をしているんだ!?” と言われた。
                   
                   一瞬何を言われているのかわからなくてキョトンとしてたら
                   ”普通はお前の母親が面倒を見るものだろう”って。

                   だから、”私の母も今、会社にいますから”って答えた。
                   フランスだと、娘の子どもをその母親が面倒見るってのは普通なの?」

                  彼女の答え
                  「昔や、地方ではそういうこともあるけど、まあ、今は普通はないわね。
                   子どもは夫婦で見るべきもので、必要ならシッターを頼めばいいんだから」

                  そっかー。
                  あ、それとね

                  「日本では、しばしば仕事が終わったあとに、同僚や上司と送迎会や飲み会があって
                   そこで親睦を深めたり、仕事の話なんかも出たりする。
                   私は子どもを産んでから、当時の夫がまったく育児を手伝わなかったので、そういう会は一切出られなかった。
                   でも、長く仕事を続けてきた私の母が、それも仕事の一部だから出なさい
                   私が子どもは見るから、行ってきなさいと言ってくれたので、忘年会に出たんだよ。

                   そしたらね。
                   後輩の女の子が、
                   ”どうしたんですか。帰らなくていいんですか。だんなさんの食事はどうするんですか?” って聞く。
                   上司も
                   ”こういう日はだんなの夕食はどうしているんだ”って言う。

                   だから、”彼は大人ですから、自分の食べるものは自分でなんとかできます” って答えたの。」

                  そう話したら、びっくりしたようにNicoleは言った。

                  「食事をどうするのかとか、それはプライベートな話でしょう?
                   それを聞くのはすごくおかしい。フランスではそんなこと、絶対に話題にしないけど」



                  今も日本では、そんなこと言う人いるの?
                  私、あまりもう、会社員の時みたいに、いろんな人と話をすることがないのでよくわからないや。
                  それでもね
                  その後
                  いろいろ形を変えて、そういう「子どものいる母親は○○するのが普通」っていう
                  目に見えない枠組みみたいなものに当てはめられているなあって思うことはよくあった。

                  「プライベートなこと」

                  っていう概念が、日本にいると、気づかないうちに
                  なんかものすごく均一なんだなあって、思う。



                  お互いいろんな問題はあるので
                  日本とフランス、どっちがいいのかは別として

                  私が今回の滞在で一番衝撃だったのは

                  「世帯」

                  の概念が、あまりに自由だったこと@フランス。



                  大学の授業で、世帯ごとの課税とか、優遇措置とか、その手の話を聞いているときに
                  「あ、世帯カップルは、別に男女である必要はなくて、男性同士、女性同士の組み合わせも普通だからね」
                  と、しゃらんと言われる。

                  「だって、ここはフランスだから」
                  と、パチリとウィンクされたりして。

                  そして、夫婦も婚姻関係を結んでいることが前提ではなく
                  婚姻しているカップル
                  契約だけをしているカップル
                  契約もしていない同棲カップル

                  があって、それぞれ保障とか違うんだけど、もう、男女も一緒にいる形も組み合わせがありすぎるから
                  そのプライベートなところは、あれこれ詮索しても仕方ないってことになるんじゃろうなあと思う。


                  男女、男同士、女同士の組み合わせの話でいえば
                  大学が終わってから遊びに行ったモナコで、お友達が
                  「こっちは結婚をする前に、この結婚に意義がある人は申し出ること、と教会にしばらくの間
                   二人の名前が張り出されるんだけど、たまに見に行ったりすると、それ
                   男女の組み合わせのほうが少ないときがあったりするよー」って。


                  もうね、なんだかこのあたりの前提があまりに違いすぎて
                  日本で「お前の母親は何をしているんだ」「だんなさんの夕食はどうするんですか」
                  なんて言われたことの想い出なんて、吹っ飛んでしまった。



                  とはいえ、フランスも1970年代までは、非常に色濃い男女の格差が存在していて
                  特に昔から自由だったわけではない。
                  このあたりも非常に面白いので、また時間があったら書いてみます。

                  とめどなくなったけど、やっぱり異文化の中に入ってみるって
                  とても面白くて、刺激的だなあと思う。




                  まだまだ、知りたいことが、世界にたくさん。
                  もうちょっと、仕事もちゃんと頑張りながら
                  いろいろ歩き回ってみたいなと思ってます。



                   
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                  人は見慣れないものを怖がり、排除したくなるんだなあと、パリで改めて思ったこと

                  2015.09.09 Wednesday 19:04
                  0
                    ただいま。戻ってきました。
                    約2ヶ月、7週間の滞在でした。

                    いやあ、まだまだ足りないね。もうちょっといたかったな。

                    とはいえ、東京でやらなければいけないこと、やっていきたいこともいろいろあるわけなので、まあ、徐々に日常に戻っていこうと思います。
                    こんなしょうもないブログですが、滞在中の更新を楽しみにしていたと言ってくださる方が結構いらして、ほんま、ありがたい。
                    無駄に長くなってしまう日記ですが、読んでくださって本当にありがとうございました。



                    最後の10日ほどは、近隣に住むお友達の家に遊びに行ったり、地方都市に出かけたりとあちこち動いてしまったので、まだちょっと書きたかったなーということなどを、ぼちぼちと書いていきたいなと思います。


                    さて、今回の滞在で、私が何よりも一番 !!! な気持ちになったのは、滞在していたアパートのあるMoutreuil という街のことです。

                    Montreuil は、パリの地下鉄9号線の終点の周辺にある街で、以前は土地も家も物価も安く、庶民の郊外の住宅地だったのですが、昨今、パリ市内の地価高騰に伴ってアーティストたちがまとまって移住してきたこともあり、新しい街として結構脚光を浴びてます。

                    パリ市内では、こうした傾向がbelleville 19区あたりでもかなり前からはじまり、以前は移民区域で治安も悪く、印象の悪かったこのあたり一体の雰囲気を、大きく変えました。
                    今じゃ、流行に敏感なおしゃれ人種や、意識の高いファミリーなんかはこのあたりに住むのがいっちゃんええよ、ってことになって、BOBOなんていう新しい言葉も生んどりますわー。
                    BOBOってbourgeois bohemian=ブルジョワーズ ボヘミアン ってこと。
                    金持ちヒッピーみたいな揶揄もあるけど、まあ、そんな感じ。
                    余談だけど博多ッ子は絶対普通の顔してこの言葉は使えねーよな。ま、そんなことは置いておいて。

                    東京の下町がどんどん開発されておしゃれ地域になっているようなもんで、パリ市内も開発され尽くし気味で、そんなんが郊外にも出没しはじめているってことなんす。


                    そういえば、Sex & the city っていうテレビシリーズで、主人公の女性たちが「マンハッタン以外なんて絶対住めない」と言って、結婚してブルックリンに移るというミランダを必死で止めようと説得する場面がありました。
                    ああいう、「ここに住んでこそ」の特権階級みたいのは、歴然とパリにもあるんだよね、やっぱりね。すごい階級社会だしね、ここ。
                    なので、まあいろいろ問題もありなんだけど、アーティストが大挙して移住ってことと、その駅周りを開発してきれいにして、なんとか悪印象を払拭しようとしている動きってのは、あるわけです。

                    そういうMontreuil。

                    駅周りはちょい、青葉台とかそんな感じ。
                    おっきなカルフール、おしゃれなブティック、チョコレート屋、ナチュラル食材専門店、大型シネコン。





                    でもね。



                    私、最初にこの街にひとりでやって来た時、やっぱりちょっと怖かった。



                    地下鉄の駅を降りたとたん、アフリカの民俗衣装を着たような人たちが、とうもろこしを焼いて売っている。
                    「マイス、マイス、マイス、マイス」(とうもろこしのこと)と、アメ横の乾物屋のおじさんみたいにまくしたてる人がいっぱい。

                    アパートに部屋にいると、窓の下の道でアフリカの人たちが5、6人たむろして、大声てなんか話してる。


                    え? なんか集まってる。ちょっと、こわい。


                    一度怖いと思ったら、なんだか身構えてしまい、さらにざわつく。



                    そんな私の気持ちが徐々に変わっていったのは、やっぱり周りの人たちの話。
                    家主のNicoleは、ここはアフリカのマリからの移住者が世界でも2番目に多い街なんだ、と教えてくれる。

                    「Izumi, アフリカの人たちは、穏やかで親切で、本当にいい人が多いのよ。私はこの街に住んで15年になるけれど、一度も怖い思いをしたことがないし、まわりで何か犯罪が起きたという話を聞いたこともない。
                    休日になると、みんな集まってカフェでダンスをするの。その美しいこと! マリの女性たちは、本当に神々しいほど美しいのよ」


                    そして、大学で会ったパリの人に話しても、ここらあたりは本当に評判がいい。
                    自然があって、静かで、安全で、パリ中心地より物価も安く、アーティストいっぱいで、家族には住みやすいって。



                    Nicoleがバカンスで不在の間、アパートの1Fに住むマリの男性が、門番のようにいろいろ家の世話をしながら、親切にしてくれた。
                    毎日会って挨拶しているうち、だんだん慣れてきて、何を怖がるべきなのか、何を怖がってはいけないのかが、ようやく私にもわかるようになってきたなーって思う。


                    それで、なんだかちょっと恥ずかしい気持ちになった。



                    最初、見ただけで怖いと感じてしまった自分を。
                    でもね、それはたぶん偏見というものではないと思うんだ。
                    ただ、「普段の生活の中で見慣れていない」だけ。
                    そして、何も「知らなかった」だけ。

                    そういう「見慣れない存在」に対して、心のどこかが警戒をして、距離を置いて離れようと考えるのかもしれない。
                    その意味では、日本に住んで日本人として生きているという、ただそれだけのことが
                    どれだけ「見たことがないもの、見慣れないもの」を自分の周りに生み出しているのか、と思う。


                    *モントルイユの駅前にある壁画。エメ・セゼールはマルチニークから来た詩人で、長くモントルイユに住んで、植民地主義などを批判してきたことでも有名。地元の誇り。

                    そういえば以前
                    小学生の娘さんと二人でパリ旅行をしたという人が
                    「地下鉄に乗ったら真っ黒な人ばかりで、娘が怖がって怖がって、地下鉄に乗りたくないと言って大変だった」と言ってたな。
                    彼女が予約していたホテルのある場所が、パリ屈指の移民密集地で治安が悪い場所で
                    どういう考えで、小さい子ども連れでそんな場所に宿を取るのか理解に苦しんだけれど
                    怖がってしまった子どもの気持ちは、ちょっとわかる。
                    大事なのは、怖がった子どもに何を話して聞かせるかじゃないかな、と思う。

                    彼女は「そんなこと言っちゃだめ! と怒った」と言ってたけど
                    私はなんだか、言うなと怒ることはある意味「区別」につながることで
                    もうちょっといい違う言い方があったんじゃないかなー、と思ったりしたもんだった。


                    まあ、そんな風に
                    日本では到底体験しないことに、海外では遭遇することがあって
                    そういう経験は、自分の知見を広げる為にとても大切なことだなあと思う。




                    でもってね、奥様。

                    マリの人たちの衣装がさあ。


                    これがほんとのほんとにぶったまげたよ。
                    きれいで。
                    美しくて。

                    地下鉄で、よくぼーっとしてた。


                    なんだろう、この
                    神様が生み出した神々しいような美しさは、と。


                    若い女性の見事なプロポーション。
                    漆黒の肌の色に映えるマリの色彩豊かなプリント柄。

                    でもって、男の人たちもこれまた、かっこいい。

                    自分が考えてきた「かっこいい」「きれい」の概念を見事に覆してしまう
                    まったく新しい美しさ、かっこよさを毎日堪能できて、私しゃ本当にこの街に住めてよかったと思う。

                    カメラ向けるのは申し訳ないので、写真はないけど、へたくそだけどスケッチしてみた。





                    アメリカに住んでたときも、いろんな国から来た人たちはいた。
                    ムスリムの国の人たちは、ヘジャブや民族衣装を着ていたけれど
                    アフリカ系の人が、アフリカの民族衣装を着たまま歩いている姿には、会ったことがなかった。

                    ヨーロッパは今、難民問題が大変なことになっているけれど、
                    古くから移民(難民と移民は違うので、このあたりの言葉の使い方はセンシティブだけれど)を受け入れてきた場所にいると
                    いろんな価値観が根底から揺るがされることがある。


                    日本だったら、難民を受け入れるんだろうか。
                    政府の対応がどうのこうの言う前に、人々の心が、肌の色も習慣も違う人たちを受け入れることができるんだろうか。
                    もちろん、ヨーロッパだって個人の見解は人によって全く違う。
                    でも、日本の場合は見解の議論自体が、成立するんだろうかという場面に遭遇することも多い。
                    それ、日本人に偏見があるってことよりも
                    ただ
                    見慣れていない、よく知らない


                    ってところに立脚しているだけということも、あるような気がする。
                    見慣れないものは、不安を呼ぶから、排除したくなる。
                    そういものが、自分の身近にはあって欲しくない、と反射的に思うことが、いろんな言動につながっていく。
                    それは世界のどこにいても同じかもしれないけれど、

                    でも、グローバリズムを目指すなら、やっぱりもっともっと、多様性に「慣れる」ことが大事で
                    その意味では日本人は
                    「違う存在を自分とは違うものとして認め合う」
                    ってことがとても苦手だなあって思うことが多い。

                    なんか、みんな一緒じゃないと安心できないというか。

                    一緒であることからはみでるものを許したくない、というか。


                    *モントルイユはパリの東に位置する郊外住宅だけど、こちらは南の13区に隣接するIvery sur Seineの先のあたりで、パリ市内のチャイナタウンの延長線上にあるので、ここは中国人移民の巨大な街になっています。この手の団地は、パリではあまりよいイメージの住宅とはいえなくて、ちょい荒れた感じのところが多いけど、路線が変わったとたんに、人種ががらりと変わるのは、パリの面白いところだと思います。


                    突然、なんかぜんぜん違う分野かもしれないけど、たとえば夫婦別姓。


                    あれね、私、ほんとに不思議なの。
                    ぜんぜん理解ができないの。


                    なんで反対するの?




                    別に、あなたに旧姓名乗れって言ってるわけじゃない。
                    旧姓のまま仕事をさせてください、という人は、そうさせてあげればいいじゃない? ってだけ。
                    で、その人にはその人の事情があって、それは別にあなたと同じ事情である必要はない。

                    自分とは違う価値観のところにあるものを、想像力を持って「なるほどね」と認めて
                    あとは自分とは違う存在として切り離しておく。
                    別に、価値観が違う人は、あなたを脅かしたりしないから、って思っちゃうんだよね。
                    GLBTなんかも、そう。




                    それがしずらいのは、日本が単一民俗の単一国家であることのほかに
                    「見慣れないもの、違うものが自分の存在を脅かす」と感じてしまうメンタリティにもあるような気がする。

                    結構努力や汗にまみれて、実はさほど幸福じゃなかったかもしれないけど、でも、そういうもんなんだ、みんなそうしているんだ、という一体感に守られて、頑張ってどうにか築き上げ、守ってきたものを、

                    さらりと

                    我慢や苦労もなく横からするりと実現されたり、横取りされたり、なかったことにされちゃうんじゃないか、ってことへの

                    強烈な抵抗感みたいなものって、ないか。


                    え、それは反則でしょ?
                    ってかそれができちゃったら、今までおいらたちが築いてきたものはどうなるん?
                    そんなの許せるわけないじゃん。

                    ある種の自分を守るための防衛本能、みたいな感じ。
                    場合によっては、「自己」というのはかなり脆弱な場所に立脚していたりするので、普段は視界に入ってこなかった他者の出没で、ざわついて脅かされてしまうことって、あるように思うんだ。

                    でもさ
                    だいじょうぶだいじょうぶ。
                    あなたは何にも脅かされないよ、って私は思う。


                    あなただって、居場所を変えたら立派な「見たことない人」で、
                    そのまわりには多種多様の、あらゆる見慣れないもの、馴染みのない価値観が山積みだから。
                    それが、世界だから。



                    誰だって、はじめての見慣れない人たちが地下鉄にいっぱい乗ってきたら、最初は、怖い。
                    でも、それはとても大切な、世界を知るための一歩だ。

                    怖いなんて言っちゃダメ、と言うだけじゃなくって
                    よかったよかった、もっと会おう、いっぱい会おうと思える
                    そんな一歩を、子どもの時代からたくさん経験して欲しいな、と私は思う。
                    で、私ももっと、そういう体験を積み重ねていかなくちゃなあ、って思う。


                    いやあ、それにしてもマリの人が、本当にきれいだった。
                    あの衣装を絵にしたい。
                    心のシャッターだけでは、撮りきれなかった大切な風景を
                    Montreuilでたくさん経験できたこと。

                    それが今回の旅の、大きな収穫だったかもしれないです。



                    (とはいえ、パリは治安が悪いところは多く、移民居住区の夜の一人歩きなどは危ないことも多いので、そのあたりは十分注意してくだされ。最近は特にいろいろある模様。ひったくりとかね、もう多発してるしね。
                    大事なのは、何を怖がるのか、何を怖がらなくていいのか、ってこと。そのためには、「知る」ことと、多様な価値観に「慣れる」ことが大事なんだなあ、と今回しみじみ思いましたです)。
                    category:Paris ひとり暮らし | by:武蔵野婦人comments(5) | - | -

                    私がパリで一番いいなと思う美術館は、山田五郎さんもパリで一番だとテレビで言ってた

                    2015.08.29 Saturday 06:00
                    0
                      8月28日。今日で授業は最後です。
                      試験の成績と出席が合格点を満たしたので、修了証明書が出ました。ちょいうれしい。

                      適度に力を抜きながら、最後まで楽しんで学ぶことができた1ヶ月でした。
                      何事も、眉間に皺を寄せて努力だけをしても、私の年齢ではもう無理なんだなー。楽しいことじゃないと覚えないなー。
                      ということが改めてわかった日々。まあ、また東京でも頑張りますわー。

                      ということで学校終わったのであとはバカンスのみ>笑
                      しばらくあっちこっち動くので、この日記も毎日書くのは今日が最後です。

                      今日は授業が終わって羽が伸びたので、お友達とごはんを食べてから、ぜひまた行きたいと思っていた美術館で午後を過ごしました。

                      今回の滞在中複数回通った美術館は、この2つ。

                      ひとつはモンパルナスのブールデル美術館。
                      ここは本当にすばらしい。
                      なにしろ無料だ。
                      でも、静謐な空間と、ブールデルの彫刻のある庭とアトリエが入り組んで、一日いても飽きないし、どんな風にいても許される場所。

                      スケッチブックもって何度も来た。



                      デッサンのための彫像が山盛り。描きたい放題。
                      東京に連れて帰りたい。毎週でも、一日中、いたい。大好き。

                      そしてもう一個。

                      ここは特別な場所。



                      モロー美術館。
                      モローが生前に、何一つ変えてはいけないと遺言しているので、モローが住んでいたときのままに残されている美術館。
                      ここ、なんだか特別な場所で、大好きだなあと思っていたら
                      テレビで山田五郎さんも、パリで一番いいよ、穴場だよってテレビで言ってた。

                      穴場。



                      もう、天井から床まで、ぎっしりと隙間なくモローの絵が飾られていて、真ん中の椅子に座っていると、四方からサロメやアフロディーテやキリストや、もう何から何までごったまぜになった神話の世界の人物が、私を睨みつけて来る。

                      真ん中に見えるのは、いわゆる美術館の監視員の人。

                      日本の美術館とすごく違うなあと思うのはね、いろんな美術館で
                      来館者がかなりの確率で、こうして座っている美術館の監視員の人と、話し込んでいるってこと。
                      絵の質問をしていることがとても多い。
                      あとは感想を伝えて、雑談がはじまることも多い。

                      そういう風景、日本では見た事がないでしょ、あまり。
                      展覧会の中で椅子に座っている人と、そこにある絵について語り合う?
                      絵の質問する?

                      なんか、美術館に座っている人は、ただの監視員としてバイトしているぐらいに思っている人もいるような気がする。

                      私は、海外の美術館で監視員の人と話し込む来館者の姿を見るのが好き。

                      今回Correzeで出会った画家さんは、平日はルーブルで守衛の仕事をしているそうだ。
                      絵が好きで、絵を書き続けて、仕事はルーブルの守衛。
                      すごくいいな、って思う。そういうの。


                      そんなこと考えながらのモロー美術館再来。
                      いままでは旅行者として通り過ぎる訪問の仕方しかしてこなかったので
                      今回はここにじっくり座って、壁中に収納されているスケッチのファイルを、パタパタとひがなめくりながら、スケッチしたりしながら見てみたかった。

                      それ、今日できてとても楽しかったな。


                      日本の美術館では、写真を撮ることが許されていなかったり
                      ゆっくり座ってスケッチをしたり
                      ジグザグにあちこち自由気ままに歩き回ることができない場所も多いので
                      美術館で勝手気ままに、写真を撮ってスケッチをして、ベンチに座り込んで考え事をして
                      2時間でも3時間でも過ごすってことができるのは
                      なんだかやっぱり、海外のほうが居心地がいいなと思うことが多い。

                      日本の美術館、なんで写真禁止なんだろう。
                      著作権の問題なのかな?

                      ネットで調べてみたけど、明確な答えがみつからない。

                      贋作の禁止の為というのもあったけど、でも画集は簡単に手に入るわけだし。
                      国や美術館によってルールが違うので、個別対応できないから原則禁止なのかな、とも思う。


                      でもこんな風に、自分の創作にヒントになるような写真を好きな時に好きなように撮っていいというのは、本当にすばらしいよ。



                      一番見たいところを写真に撮って、スマホで拡大していくと、詳細な筆致まで見える。
                      これはほんと、スマホのすごいところで、今回何度、そんな撮影に助けられたかわからない。
                      美術作品は公共の財産という考え方により、フランスではほとんどの場所で撮影自由という説もあって、そうだとしたら、本当に素敵だなと思う。

                      ブールデル美術館でも、彫像の衣類の皺のところだけ撮影して持って帰って
                      家でじっくり、皺の影を描き込む練習だってできる。

                      あ、でもそういうので
                      パクリになるからだめ! ってことなんかなー@日本>笑
                      創作のためのエチュードとして使わせてもらうということと、パクるということはぜんぜん違うことなんだけどなー。
                      うーん、やっぱり写真撮影がダメな本当の理由はわかんないや。


                      日本は今、ほんとに世界からすばらしい作品がいっぱい来てて
                      東京は特に、東京にいながら世界の美術品が見れてすばらしいなーって思うけど
                      撮影したりスケッチさせてもろたり、っていう創作のために絵を見るってことはちょいしずらい。

                      モロー美術館は、大人の為のスケッチやドローイングの講座もあるし、カンファレンスもあるし、子どものためのアトリエもやってて、いいなー。今度、そんなのも参加してみたいなー。


                      来週は、ルーブルの入場券を数枚、その画家兼、ルーブルの守衛さんからいただいたので
                      ルーブル三昧といきたいと思います。


                      という、なんだかどうでもいいことばかりの日記ですが。


                      今回は本当に、美術館三昧の日々を送ることができてしあわせでした。
                      こんな贅沢なことはないです。ほんとです。
                      まだまだ、ちょい回ります。

                      そのうち、コンテンポラリーアートの美術館についても、まとめてみたいと思います。


                      では明日の荷造りがあるので、今日はこれにて。
                      しばらくさようなら。



                       
                      category:Paris ひとり暮らし | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

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                        武蔵野夫人
                      • 「あの人ちょっと変わってるよね」はフランス語でどう表現するのか。個性、オリジナリティという言葉はどういう時に使われるのか、日本人の価値感のあり方を改めて考えた。
                        piyosuke
                      • 「やらなかったこと」について 「やっていればきっとこうだった」と考えることの意味についてー円柱12時間のその後
                        武蔵野夫人
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                      • 「やらなかったこと」について 「やっていればきっとこうだった」と考えることの意味についてー円柱12時間のその後
                        武蔵野夫人
                      • 「やらなかったこと」について 「やっていればきっとこうだった」と考えることの意味についてー円柱12時間のその後
                        ふわ
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                        武蔵野夫人
                      • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
                        武蔵野夫人
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