ヴィーガンと台湾素食は根底が同じのはずなのに、なんだか全然違う気がするのはなぜじゃ

2019.06.25 Tuesday 14:45
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    台湾の素食が好きなんであります。

     

    素食とは宗教上の理由からベジタリアンを貫く人のための料理。

    乳製品や刺激物まで除去しているので、今ならヴィーガンと自称する人たちの禁忌とほぼ同じなのかもしれない。

    台湾素食は、タイワンスーシー とも呼ばれていて、台北などに行くとたくさん素食のレストランがあるんだけど

    私が学生の頃から、東京にも国立に中一素食店ってのがありまして、ここの料理は特別に楽しい。

     

     

    これが先日食べた定食。

    味付けはほぼ中華料理。お腹いっぱい。

     

    私は乳製品はお腹を下すので、あまり積極的に摂りたくない。

    タピオカミルクティーも流行りに負けて飲んでみたけど、2口で挫折。

    ヨーグルトやチーズ類もあまり得意じゃない。

    食べ過ぎると頭痛や下痢につながるので、パスタやうどん、ピザなどは連続して食べないようにしてる。

    果物や洋菓子は、もしかしたら一生食べなくても生きていける類で、

    料理の種類としてはこじゃれたフランス料理が一番苦手だー>苦笑 食べられないものがたくさんある。

    特にシェフおまかせのような場所で、食べたくもないもの、苦手なものを出されてもまったくうれしくない。

     

    ものすごくくいしんぼで、誰かとおいしいものを食べに行くのが好きで、料理が大好きだけど

    実際には苦手なものや、進んで食べたくないものがたくさんあるんじゃった。

     

    先日も友だちに

    「いづみちゃん、すごく難しいからー」って言われた。

     

    いや、表向きはぜんぜん難しくないんだってば。

    ただ、私生活で食卓に向かうときには、無理してまで苦手なものは食べたくないから

    自然と日常の食事は低糖質で乳製品や肉類が少なく、ゆるいグルテンフリーで、野菜や穀物が中心となるので

    なんとなくこれはヴィーガンとかベジタリアンの路線でもあるのか? と思うこともあるけど

     

     

    でも、やっぱりなんだか

    ベジタリアンはまだしも、ヴィーガンはとてつもなく違和感があるんだった。

     

     

    なんでかなー?

     

     

     

    それで、台湾の素食に行くたびに、なんとなく、その理由が見え隠れする気がするので、それを今日は書いてみようと思った。

     

    もうね、いいのよね、素食(スーシー)。

     

     

    八宝菜。

    上にちょこんとエビが乗ってる。手前には豚肉のようなものが見える。

     

    でもこのエビはこんにゃくでできていて、豚肉は大豆製。

    エビなんて、ご丁寧にきれいに筋がつけられて、ほんのりと赤く着色されて、一見エビにしかみえない。

     

    食べると、うむ。

    エビではない。

    でも、まったく違うものでもない。

     

    エビだ、エビだと念じて食べれば、エビを食べてるような気になったりもする。

    味付けはたぶんオイスターソースだけど、オイスターも動物だから、もどきで作られている。

     

    殺生をしないけど

    肉もエビも魚もみんな食べたいんじゃー!

     

    というわけで、ヴィーガンなどで使うフェイクミートやフェイクベーコンの種類を遥かに超えた

    見た目イカ とか

    見た目エビ、見た目とんかつ、見た目牛肉、豚肉、鶏肉 といった

    涙ぐましい工夫の結果の食材がいっぱいあるんだった。

     

    そして、量が多く、油もいっぱい使われている。

    並べば満腹の中華料理と同じ風景で、よくあるベジ系やヴィーガン系レストランの、妙に寒々しいおされカフェ風の風景とはまったく違って、そして食べ終わったら間違いなく満腹になる。

     

    つまり、普通に禁忌食材を使って作られた食事を食べているのとあまり変わらない気持ちで

    ぱくぱくと食べられるのが台湾素食。

     

    私しゃ別にエビだってイカだって豚だって牛だって、ありがたくどんどん食べるから

    ベジ系であっても、こういう工夫が随所にあると、とてもうれしい。

     

    一方、都内のヴィーガン料理のお店なんて、高額払ってもお腹いっぱいにならんし

    なによりひと目で「ヴィーガンですからっ!」と主張するメニューや盛り付けが多くて

    ぱくぱく食べたい食欲があるときにはとてもじゃないけど、足が向かない。

    こんなんだったら家で作るわい! って思うだけ。

     

    なにかこう、独特な精神状態にするりと自分がはまりこんでしまわない限り、ヴィーガンワールドはなにか性に合わないんだった。

     

    たぶん、素食もヴィーガンも根っこは同じだと思うのに、なんか違うのはなぜなんかなー。


     

    最近ちょろりと思うのは

    素食は動物の殺生を禁じ

    ヴィーガンは動物の搾取に反対しているわけなんだけど

     

    それぞれの人達と話してみると、なんだか視線の向いてる先が違うのかなーって思ったりしてる。

     

     

    先日なんて、ミャンマーから来た人と話してたら

    「日本で一番恐ろしい食べ物は、いくらだ」と言うのだよ。

     

    えー? なんで? と聞いたら

    「いくらは一粒一粒がいのちです。私達は牛を一頭殺したら、それをみなで分けて、皮や内臓まで残すところなくいのちをいただく。

    いくらをスプーン一杯すくって食べたら、何十、何百という命を一度に食べることになる。恐ろしくてできないです」

     

    じゃあ、しらすやたらこも?

     

    「しらす!! 一匹一匹の目が私を見ている。食べられるわけがない!」

     

    と。

    おもろだー。

     

    そうなんだ、動物はいのち。

    いのちは感謝して、無駄なくいただく。

     

    その前提があって、敢えて殺生をしない選択をした人たちが

    「おいしい動物」を一生懸命真似をして、いろんな疑似食材を作り出して、普通と同じ食卓を作ろうとしてる。

    私が素食が好きなのは、たぶんそんなところなんだと思う。

     

     

    ヴィーガンを自称している人たちの中には

    ダイエットだったり、健康視点でアメリカの学者さんがエビデンス出しているとか

    エシカルとか環境保護とか

    あまり根底に一本筋が通ってる安定感がなく

     

    そして、「搾取反対」の哲学を貫く人の視線の先には

    搾取をしている人間や企業への敵意や、否定感が見え隠れすることが多い。

     

    たぶん、その敵意や否定感のようなものが、私は苦手なのだと思う。

    東京で、ヴィーガンで食べようとしたら、おそらく一日中 No と言っていないと成り立たない。

    それだけ、日常が否定形で埋まることに、私はどうしても違和感があるんだろなーって思うんだった。

     

    ま、好きな人はやってくれていいし

    東京で素食視点で貫くのも同じように、まあ、しんどいといえばしんどい。

    結局は、食に過度の制限を持つこと自体が、あまり幸せではないよねえ、ということなんかもしれない。

     

     

    という、なんのとりとめもない話。

    ただ、素食がうまいのよ、という。

     

    デザートもあるよ。うまいよ。これは甘いお豆のスープ。

     

     

    高いお金を払って並ばなくても、マンゴーのかき氷とか普通にあるし。

    中一 、最高。

    https://tabelog.com/tokyo/A1325/A132503/13006007/

     

     

    ちなみに、私にはココナツのアレルギーがあって

    それもヴィーガンに絶対なれない理由のひとつ。

     

    以前

    「ごまクッキー焼きました」と出されて、食べたら数分後にアナフィラキシーになった。

    何を入れましたか? と聞いたら

    キラキラお目目で、

    「バターのかわりに、ココナツオイルを使ったんですよー!」と。

     

    やめて、死ぬから。

     

    お付き合いで入ったヴィーガン料理のお店のランチがココナツ入りだったのでお断りし

    何も食べないのは悪いので、たった一つあった飲み物「チャイ」を頼んだら

    なにか味がおかしい。

    何を入れましたか? と聞いたら

    キラキラおめめで

    「健康を考えてココナツオイルを入れているんですよー!」と。

     

    死ぬから。死ぬ。

     

    会食のデザートがパンナコッタとココナツのアイスクリームだったので

    アイスはやめて、パンナコッタを選んだ(こちらはアーモンドミルクだからね)。

    食べたら具合が悪い。

    あのー、これパンナコッタですよね? と聞いたら

    キラキラおめめで

    「はい! 今日はココナツミルクでパンナコッタをお作りしています」

     

    書いて。せめて。

     

    ほんと、ヴィーガンのお菓子って、バターも牛乳も生クリームも小麦粉も使ってません! って言う割に

    かわりに何を使っているのかの表示がないことがあって、

    それは恐ろしくて、食べられない。

     

    アレルギーに配慮したお菓子って謳い文句のお店で

    ナッツやココナツは普通に使っていることもある。

    ちょっと怖いというか

    なんだろ、この

     

    動物搾取という哲学以前に

     

    乳製品、バター、肉

     

    の悪者感>苦笑

     

    あ、最近はカレー屋さんやカレーうどん屋さんで、隠し味にココナツミルクをこっそり入れているところが多く

    表示もされていないお店もあるので

    (先日は、Campってカレー屋さんでココナツ入っている? って聞いたら

     それは本部に確認を取らないとわかりませんと言われた。ベースは缶詰かレトルトってことだよね、うん)

    知らないお店でカレーを食べるのはとても怖い。

     

     

    というわけで、中一の素食はうまく

    私はココナツアレルギーですというお話でした。

     

    とりとめない。

    またなんか思いついたら書きます。

     

     

     

     

     

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    思い通りにならなかったと思ってたことが、実はちゃんとできてたことがわかり泣いた。人生捨てたもんじゃないね。

    2019.06.04 Tuesday 14:51
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      尊敬する人に、大谷翔平くんが書いていたという72アクションのアプリがすごくいいよ、と教えてもらう。

      無理しても全部埋めてみるといいというので、やってみたら、とっちらかって何が何だかわからなくなってしまった。

      行き先の時間がどんどん短くなって、フットワークも悪くなっている私のような年代の人間には、72個も空白を埋めるのは、やることが多すぎて道に迷った。

      ほいでも、やってみた甲斐はあったので、そのことを今日は書いてみる。

       

      書き出してみて、改めてほうほうとわかったのは

       

      まあ、なんというか

      長く生きてきて贅肉や無駄な知恵がついて

       

      自分がいちばん自分ってものをわかっていなんだなあってことじゃった。

      結局、何をしたいかということよりも

      私はいったい何者なのじゃ、というところに焦点が移って

       

      贅肉を削ぎ落とした骨格のところにある「自分」みたいなものを探す作業にいつしかなっていった。

       

       

      制作とかしていると

      ほんと

      知恵と贅肉で動きが鈍って、邪念ばかりが生まれて路頭に迷うことが増える。

      もともと、私って何が好きなんだっけ? とか

      何をしているときがしあわせなんだっけ? とか

      初心に戻って、思うがままに書き出していくのは本当に面白かった。

      いや、書き出すってほんとに大事。

      実際はしごくシンプルなことを、うだうだと悩んでいたり、勝手にオーバーフローしていたりする。

      書き出せば、元の核は豆一粒(真珠一粒、のほうが素敵か)ぐらいのことじゃん、ってことがよくわかる。

       

      それでふと思い出したのが

      私の絵の原点ともいえる2冊の本だった。

       

      これと、これね。

      アマゾンでまだ買えます↑

       

      こちらもまだ買えるよ! すごいなああ、いいなあ。↑

       

      私はこの2冊の本を、自分のイラストのバイブルのように大事に大事に眺めて過ごしていた時期があって

      ここ20年ほどは、ずっとトイレの飾り棚に2冊だけ置いていたんだった。

      本棚の中は見えないけれど、トイレの中ならいつでも目に入る。

       

      20代の頃の私は、こんな絵を描く人になりたかった。

      キッチンの絵や、料理の絵、子どもや動物の絵を色鉛筆と水彩とパステルで描き続けていて

      会社員をやめて独立したあとは、ちょろっとそんな絵でホテルの機関紙に料理や食材の絵を描いたり

      一度はホテルの外壁のバンナーのイラストを任されて、私の絵が都内のホテルの壁にでっかく掲示されていたこともあった。

       

      美大に行ってアートを学ぶことができなかった自分は

      イラストレーターにならなれるんじゃないかと思ってたんだった。

       

      いや、何にでもなれたんだけど、いろいろ無知だったからそんなふうに思って生きていた。

       

       

      結局、紆余曲折を経て思いがけず文章を書く人になり

      まんがみたいな挿絵を描く人になり

       

      当初思ってた夢みたいなところからそれてしまったなあ

      そんで、今ではもうこの本のような画風にはまったく興味がなくなったなあ、ってずっと思っていたけど

       

       

      今日、72個のマス目を埋めながらこの2冊の本を思い出してトイレから持ち出して

      そりゃあもう、ものすごく久しぶりに中を開いて

       

      そんで、なんかわからんけど、ごうごうと泣いてしまったんだった。

       

      一番好きだったこの本の中には

       

      Illsutrated by Angela Barrett

       

      キッチンから見える食卓や外の景色の絵がたくさんあって

      それは先日、東京の台所で大平一枝さんが書いてくださった、自分の子供時代の思い出にきれいに重なった。

       

      https://www.asahi.com/and_w/20190227/123817/

       

      食卓や外界に背を向け続けていた若い頃の私は、たぶん、この本の中の風景を夢見ていたのかもしれないんだった。

       

      もう一冊の本の中にも、そんな風景がたくさんある。

       

      Illsutrated by Leslie Forbes

       

      台所が好きで好きで。

      でも台所にいる自分が辛くて。

       

      イギリスやイタリアのキッチンの風景を、必死で真似して描いていたのかもしれない。

       

      結局、こんな絵を描くイラストレーターにはなれなかったけれど、でも改めて

       

      Illsutrated by Angela Barrett

       

      こんな世界にまつわる家事の本を書いて出版することは、少なくともできたんじゃないか。

       

      本当はもっと、文学的なことや、芸術的なことがしたかったんじゃないかとずっと思っていた。

      世俗的なことに関わり続けることへのコンプレックスを抱いたことも(実は)、あったりした。

      生活コラムニストって、なんだか表層的というか、深さが足りないような

      もっと文学やアーティスティックな世界に生きたかったような、そんな欠落感がどこかにあったんだけど

       

      72個の空白を埋めながら、最後に行き着いたのは

       

      結局自分は、暮らしや生きることにつながる、地に足がついたことが好きなのだ、ということだった。

       

      ちゃんと、ずっと

      好きだったんだ。

       

       

      だから、好きな世界にいられることを、ちゃんと感謝しなくちゃ。

      持っていないものを欲しがる前に、持っているものをちゃんと愛おしまなくちゃ。

      んだんだ。

       

      それでね、もうひとつびっくりしたのが、

       

      ただ絵が好きというだけで買ってきて、中身についてあまり注意を払っていなかったこちらの本は

      改めてみてみたら、題名はトスカーナの食卓 なのだった。

      トスカーナをぐるりと回っていき、フィレンツェに行き着く。

      あれ、そんな旅を、4月にしたばかりじゃなかったか。

      ほら、ここには

       

      Illsutrated by Leslie Forbes

       

      サンジミニャーノの食卓がちゃんと書いてあった。

      このオリーブオイルのボトルや、チーズの包みを

      20代の私はどれだけ真似して描いたことだろう。

       

      買ったときはタイトルをみても何もピンとこなかった土地だったけれど

      何十年も経て、ちゃんとその土地を旅して

      その土地の食べ物を食べて、今ここにいる。

       

      ジェノバからサン・ジミニャーノ、ピエンツァを通ってフィレンツェへ。車の旅@2019

       

       

      トスカーナのオルチャ渓谷をドライブして旅するなんて、20代のころの私は思いもしなかったと思う。

       

       

      「自分の核に何があるのかわからなくなった。

      本来なりたかった自分、したかった仕事とはそれた道を歩いてきた」

       

      そう思い続けてきたけれど

      自分の核にあるものはいくつになっても結局変わらず

       

      違う場所に来てしまったと思っていたことは

      ちゃんと地下の水脈でつながっていた。

      夢なんてかなわなかったと高をくくっていたけれど

      私の夢はちょっと形を変えながらも、ちゃんとすばらしくかなっていたんだと思う。

       

       

      なにものかになりたいと願うより

      ただただ

      愚直に自分自身で居続けること。

      できない自分を奮い立たせるよりも

      ありのままの自分を大事に思って、自分でいるための努力をすること。

       

      なんかそれでいいんだなーって思う今日。

      そしてそんなことが思えるのも、台所の話を書いてもらって、トスカーナを旅したあとの今だからこそで

      そのタイミングで72個のマス目に向き合えたのは、偶然ではないような気がしてる。

       

       

      人生、結構捨てたもんじゃないのかもしれない。

      ちょっと、いい午後だった。

       

       

       

       

       

       

       

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      炎上騒ぎの後ろにある、今の「伝える仕事」の違い何? ってつらつら考える

      2019.05.21 Tuesday 12:30
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        この写真は私がフランスで小さな個展を開いたとき、思いがけず新聞にでっかく載ってびっくりしたよ! という紙面。

        ギャラリーの持ち主が気を聞かせて記者さんにアポ取ってくれていたんだけど、小さな案内記事だと思っていた私は、街を歩いていたら、「日本のアーティストが来て個展を開いている」という大きな見出しの看板がいっぱい貼られていて驚いたんだった。

         

        ありがたい。

         

        が、このめでたい記事には、一つのエピソードが隠れている。

        立派な記事の最期に添えられた情報の、ギャラリーの場所が間違っていたんだよ。

        住所が!

         

        掲載日、浮足立った感じでフランスの友人たちが、「新聞出た出た」と喜んでくれていた中

        突如一人の顔が曇り

        ひそひそ話が始まった。

        ひそひそ声は次第に伝搬し、最後にはなんともいえぬ空気が場を満たしはじめ

        早口のひそひそフランス語が聞き取れない私は、何が起きたのかもわからずポカンとしていた。

         

        気づいた一人が、わかりやすい言葉で説明してくれた。

         

        私が個展をしたギャラリーの持ち主は、以前違う人だった。

        その場所を譲り受けた今の持ち主が私の個展を実現させてくれたのだけれど

        それまでずっと仲が良かったはずの前の持ち主と

        なぜその人が自分と関係を断とうとしているのかわからないまま、

        あるときを境にまったく連絡が取れなくなった。

        以降、関係が途切れたまま。連絡をしてもナシのつぶてで現在に至るのだそうだ。

         

        その人は現在、まったく違う場所にアトリエとギャラリーを構えている。

        私の個展の場所は、その人のギャラリーの住所が書かれていた。

         

        「とても残念。この記事を見てでかけてもそこは違う場所。

         でも彼女は聞かれても知らないって言うに違いない。絶対に私のギャラリーでやってるってことは言わないと思う」

        ………。

         

        取材に来た記者の人は、前の持ち主の頃からその人のこともこのギャラリーもよく知っていて何度も来ていたから、反射的に今のその人の住所を書いてしまったんだろうという結論に、この日は至った。

        ちゃんと今のオーナーに取材をしつつ、場所は前のオーナーと紐づけて記事にしちゃった。なんというフリーダム。

        とはいえ意図的に住所をすり替えたのだとしたら、とっても嫌な気持ちになるはずだから、その解釈は正しいのだと思う。

         

        というわけで、せっかく紙面になったけど、それを読んで来たいと思ってくださったうちの何人かはたどり着けなかったろう、というお話。

         

         

         

        なぜこんなことを思い出したかというと、「伝える」という仕事について、最近もやもやする事があったから。

         

        朝、テレビをつけたら見出しのところに

        「佐藤浩市、首相を揶揄して炎上」と出ていた。

         

        なんのこっちゃと思っているうち、その見出しは一日中テレビに表示され続け

        ネットニュースも「佐藤浩市炎上」で埋め尽くされた。

         

        何をやっちゃったん? と内容を追いかけだしたら、まあなんというか

        それは首相揶揄でも、大々的な炎上でもないじゃんよ、と私には思えることで、

        炎上させている人たちが主語の見出しにもなり得る内容だった。

        中身を精査すればこんな見出しにならないはずなのに、なぜ、こんなおかしなことばかり起きるんだろう。

         

         

        ほんで思ったんぢゃった。

        ああ、そうか。

         

        どっかに書いてあることを拾ってきてつなぎあわせたり、

        どっかで騒ぎになっているよー、誰かがツィッターでこう書いたよー

        って、自動的に大量に記事を生成していくことが仕事という新しい職業がWebの世界では定着してきた今

         

        ほんの数人が炎上コメントの応酬している場面を切り取って

        炎上!

        ってただ書けばよく

         

        別にその背景にある真実を精査する必要もなく、矛盾をみつける必要もなく

        違うでしょ、と言われたら

        あ、そうなの? 自分がそう言ってるんじゃなく、ただそこにそう書いてあっただけで

        現に「炎上」している事実はありますよね?

        でぜんぜんオッケーな世界が、今はテレビにも広がっているわけなのかー

         

        と思ったら妙に納得できたんじゃった。

        事実の裏をきちんと取るとか、表層で見えているもの以外の視点を探るとか

        そういう視線は、「伝える」という仕事の中で過去のものになりつつあるのかな。

         

        ジャーナリズムの世界ではまだそれはきちんと稼働しているところも多いけれど

        それを見たり読む人の数は減っている。

         

        私はコラムニストという仕事をしていて

        それはなにか得意分野の中でテーマを与えられ、それについての情報や、個人の考え方や価値観を書いてよしとされる仕事だ。

        さらにテーマ設定まで自由な、エッセイストという仕事もある。

         

        一方で、ライターと呼ばれる仕事は、与えられたテーマを忠実に取材して文章にして、個人の考えや価値観はオブラートに包む必要がある。そこにはクライアントがいたり、スポンサーがいるから、その意に反した記事は書けない。

         

        ジャーナリストや記者など報道に携わる人達は、クライアントやスポンサーなどの経済軸に左右されず、偏った価値観を持ち込まずに中道の報道をしなくていはいけないのだけれど

         

        でも、クライアントやスポンサーがいない分

        常識や道義や正義はゆがめられることがなく

        与えられたテーマの中だけでなく、隠れたり見えないテーマを探し出すことができるはずの仕事だったんじゃないのかなあ。

         

         

        今の伝える仕事は

         

        クライアント(政権も大きなクライアント様だ)の意向に左右されながら

        道義や正義のフィルター(なんてものがあったのかどうかも今やわからない)なんてものはかけずに、与えられたテーマを伝え

        通りすがりに起こっているネットや別メディアで目にしたことを拾って横流しすることを、「テーマ探し」としつつ

        個人の考えや価値観はなるべく表出させない(なぜなら簡単に炎上するから)

         

        悲しい状態になっとる。

        偉そうに何を言うか、と思う人もいるかもだけど

         

        でも、ほんの片隅だけど「伝える」仕事に携わってきた自分からすると

        とてもとても

        気持ちがもやもやとすることが増えた。

        ぼやいてても仕方ないんだけど。

         

         

        とにかく

        炎上してまっせ、と小学生が先生に言いつけるみたいな報道は

        本当に無くなってほしいと思う今朝なのだった。

        広い世の中で、ほんの一部がぼやいていることを全国区のテレビに流し続けることに何の意味があるんだろう。

        ほんと、かっこ悪い。

         

         

        そしてギャラリーの住所も、ちゃんと取材で確認して掲載しようね。

        (と、最初の写真に戻る)>笑

         

        それでも来てくださって、いろいろ買ってくださったお客さんもいっぱいいた。

        感謝なのだ。

        またフランスでやりたいなーって思ってたら、ちょろりとオファーのようなものがちょうど来て

        ぼやきつつも、気分のよい今日なのでした。

         

        さて、気を取り直して、機嫌よく一日をはじめよう。豪雨だけどね。

         

         

         

         

         

         

         

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        24年目の1月17日と、8年目の3月11日の間で、石巻で「忘れないこと」の意味を考えた

        2019.01.21 Monday 18:11
        0

          年明け、石巻で復興支援の活動で声をかけていただいて、一緒に東日本大震災のチャリティユニットをしていることちゃんと出かけてきた。

           

          主催はコープこうべ。

          講演依頼が神戸からだったのに、会場が石巻となっていて、当初はタイプミスかと思っていたけど、実際には神戸が東北の復興支援をしているんだった。

           

          24年前の阪神淡路大震災で、たくさん支援をしてもらったから

          こんどは恩返しをしないと、って。

          だから、神戸が、東北を支援。

           

          もうなんか、いろんな意味で、背筋が伸びるというか、頭を垂れるというか(神戸だからこうべを垂れるってわけじゃないけどー)、本当に参加させてもらってよかった! っていう数日間でした。

          なので、ちょっと書いておきたいなーって思う。

           

           

          今回の催しは、東日本大震災のあとに、仮設住宅等の住民の方たちが、地域コミュニティの再生や暮らしの再建のために制作した手作り品を、さまざまな場所の人たちに買ってもらうという活動を続けている石巻のNPO「応援のしっぽ」と、コープこうべのコラボのような形で開催されたもの。

           

          とうほくの人たちが作ったものを、コープが買い上げたり、ノベルティとして発注したり。そんな支援をもう長いこと続けていて、手仕事品のカタログなどもコープ支援で制作されているのだとか。

          この「てしごと」については、本当にいろいろ思うところありなので、また別に書いてみたいなーって思っているんだけど、私が何よりも心をうたれたのは、コープこうべの理事長さんの挨拶の中にあった、こんな言葉だった。

           

          「災害は恐ろしい。でも、本当に恐ろしいのは、忘れられてしまうことです」

           

          阪神淡路大震災があった3年後、何気なくラジオを聞いていたら、こんなやりとりを耳にしたのだそう。

          ーそういえば大きな地震あったよね

          ーあれいつだっけ

          ーいつだっけなあ

           

          たった3年。まだ3年しか経っていないのに、そして、被災地の復興の道のりはまだまだで、震災は「進行形」なのに、あっという間に忘れられていく。もしかしたらそれが、1番恐ろしいことなのではないか、と思った。

           

          だから、絶対に忘れない。

          その意味合いも込めて、支援は続けていく。

           

          もうその言葉聞きながら

          ここ数年、自分の中でいろいろ迷ったり、落とし所がみつからないでいた気持ちが、ストンと腑に落ちたというか。

           

           

           

          2011年

          東日本大震災が起きたとき、被災地に友人も多かったから、いてもたってもいられず

          みなまだ子どもが小さく、家を空けてボランティアに行くわけにもいかず、かといって多額の寄付ができるわけでもなく。

          そんな中でできることを考えて、てしごとを元に同じように子どもを持つ仲間と支援を始めた。

          その時には、その方法しかできない自分がいて、そのことについてはまた改めて書こうと思う。

           

          あれから8年。

           

          東日本の復興が伸び悩む中、次々と多くの災害が起き

          それぞれの場所にそれぞれの被害の現実があって

          熊本が大変なことになって

          大阪がぐちゃぐちゃになり

          北海道が停電で真っ暗になっている中

           

          やっぱり、東日本復興支援とうたっても、最初のころに比べれば人々の関心もどんどん薄まっているし、活動は広がるというよりも先細っていることは否めず。

          結局、現地で地に足のついた支援活動ができているわけではない自分への後ろめたさみたいなものもあって

          同じことを繰り返していていいのかな? こんなにささやかで小さなままでいいのかな? 

          相手に届く支援になっているんだろうか、自分たちの自己満足になっていないか? などと

          それはもう

          何度も何度もいろんなかたちで悩んで、考えて、どうしたらいいのかなーって。そんなことばかり考えて

          支援をやめるわけじゃないけど、形は変えたほうがいいのかな? 等々、悩んでたんだった。

           

           

          石巻での体験は、そんな自分でも

           

          「忘れないでいること」

           

          だけでも意味があることなんだ、って教えてもらった気がして。

          だから、ずっと続けてきたチャリティが

           

          WASURENAI

           

          って名前であることには、最初からちゃんと意味があったんだ、って。

          そう思わせてもらえて、とっても感謝してるー。

           

           

          世の中にはいろんなことが起きて、たくさんの支援を必要としていて。

          次々と起こる災害を前に何もできない自分に悄然とすることもあるけれど

           

          ただひとつだけでも

          自分にとって大きな意味があったことを、ただただ

           

          忘れないでいること

           

          それだけでも続けていくことが、すべての他の道につながっていくのかもしれないって。

          今、そう思えるようになりました。

          お世話になった石巻のみなさんと、神戸のみなさんに心から感謝ですー。

           

          8年前の3月11日を、今年もまた思い出すためにも

          今年も、イベント行います。

           

          2019年 3月9日(土) 10日(日) 11日(月)

           

          何も大きなことができない自分でも、ただ、思い出すことだけでも大きな意味がある。

          そう思えて、また、新たな気持で。同じ気持ちの仲間と一緒に。

           

          そして、今回はなんと、とうほくてしごとグループのみなさんのてしごと作品を

          わたしたちのイベントで売らせていただけることになりました!

          岩手、宮城、福島で仲間を作って手仕事を続けている方たちの商品、ほんとにいいんです!!!

          うれしいよう。

           

          詳細はまたアップしますね。

           

           

           

          石巻での講演のテーマは「アップサイクル」

          てしごとのヒントにしてもらえるよう、いろんなアイデアをご紹介しました。

           

           

          とうほくでのてしごとグループのみなさんと。

           

           

          すごく関心を持ってもらえたのが、布をゼラチンで固めるアイデア

           

           

          NPO応援のしっぽ代表の広部さんと一緒に。

          震災後にボランティアで石巻に入って、そのままこの地に移り住んで今では結婚してお子さんも。

          たくさんのことを教わりました。

          左端はチャリティユニットのことちゃん。一緒に活動しています。

           

           

          こうべのコープの理事長さんと。こういう方がいてくれて続くことってあるんだなあ、と思う。

           

           

           

          てしごとのことについては、また改めて書いてみたいと思います!

           

           

          それではまた

          WASURENAI2019 で!

           

           

           

           

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          したくないことは、しなくていいという意味がきっとあるんだと思う。という人生の不思議なこといろいろ。

          2018.11.17 Saturday 09:41
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            昨日友人に、私はとっても運がよかった、と言われた。

            肺がんはとても発見しずらいという記事を読んだのだって。

            検診でみつけられないまま、死亡してしまったという報道もあったね。

            https://www.asahi.com/articles/ASL7K536SL7KUBQU00H.html

             

            日本でがんの死亡率で一番高いのは肺がんだけど、それはがんとして悪性だからというより、発見しずらいので、みつかった時点でかなり進行しているケースが多いからだという側面もあるらしいです。

            そうかー。

             

            それで、そういう現状の中で私はかなり運がいいよ、ということなのだった。

            早くにみつけてもらえたという意味で。

             

             

            でもね、私もここ数年、特定検診の肺のレントゲンのたびに「影がある」とは言われ続けていたんだよ。

            「まあ、でも古い傷のあととかでしょう」

            「肺の影はわかりにくいから、去年に比べて大きくなっていないから大丈夫」

            ふーん。

             

            うちはがん家系じゃないから危機感なかったし、婦人科系や消化器系は多少気にかけていたけれど、まさか肺とは思わなかったから、完全スルーしていたんだった。

             

            それじゃあ、なぜみつけてもらえたのかというと

            それ、単に

             

            「あー、もう面倒くさいなあ。今日行きたくないなー。会いたくないなー」

             

            というきっかけだったと思い出したんだった。このあたり、前にも書いたけど、また改めて思い出してみてる。

             

             

            LDLコレステロールが高数値で、食生活や運動を改善してもまったく下がる気配がないので、薬を飲むことになった。これが4月ごろ。ところが、飲み始めた薬の副作用で、胃痛や胸焼けがひどいので、薬を変えることになった。これが5月。変えた薬がからだに合っているかどうか、飲んでみて来院してねと1週間後に予約を入れられたんだけど。

             

            処方箋を持って薬局へ行こうとした時に、母からのヘビーな電話があって、気持ちが萎えて帰宅しちゃった。

            あー、もう面倒くさいなあ、薬局なー。

             

            週末はさんで次の週にやっと行ったら、もう処方箋の期限が切れているので薬は出せないと言われる。

            でも病院の予約は4日後だ。

             

            先生にごめんなさいを言って、また処方箋書いてもらうのか。

            なにそれ、めんどくさすぎる。

            予約入れてても並ぶのに。。。。。。。

             

            ということで、やだなー、行きたくないなああ。

            ハブっちゃおうかなー。そうだよなー。別に薬飲まなくてもいいんじゃない?

            めんどくさいしなー。

             

             

            で、行かなかった。

             

             

             

            わたしのがんは

            上記の理由で薬をもらいにいかなかった私が

             

            それでもやっぱりLDLコレステロール値が高いと脳梗塞とか怖くないかー? と不安になり

             

            ちょうど舞い込んできたその病院からの特定健診の案内を見て、まだ前回から半年も経ってないけど、ちょうどいいからこれを口実に病院行って薬も貰おう! とたくらんだ。

            でもこれまでのかかりつけ医の予約をぶっちしているので気が引けて、その先生がいない日を選んで検診を受けたことでみつかった。

             

            ちょうどその日にいたお年寄りの先生がみつけて

            その日のうちに、うちの電話がガンガンと鳴り響き、とにかくすぐ、ちゃんと見てもらってと連絡を何度も入れてくれて、そこからあとは、ぴょんぴょんといろんなことが進んでいったんだった。

             

             

            たぶん、最初に真面目に薬を出してもらったり

            気持ちを奮い立たせて、予約どおりに病院に行っていたら、私のがんはまだみつけられていなかったと思う。

            そもそも、特定健診は毎年12月と決めているので、検診そのものも今の時点では受けていないと思う。

             

            で、例年通り12月に検診を受けたとしたら、主治医のいる日に予約を入れるだろうから、おそらく「影があるけど大丈夫でしょー」で終わっていると思う。

            だって、その先生、こないだコレステロールの薬もらいにいったら

            「本当に○○先生がみつけてくれてよかったー。僕たち、毎日すごくたくさんのレントゲン写真見るから、○○先生みたいに詳細に見ないんだよー。次、はい、次って感じでね。○○先生はすごいんですよ、レントゲン写真を見る目が!」

            って

             

            それ、私喜んでいいところなのか

            怒っていいところなのか

            まるでわからんコメントしてたもん。

             

            まあ、何がどう関係しているのかなんていうのは、本人の思い込みみたいなものもあるけど

             

            でも

             

            やだなー

            行きたくないなー

            会いたくないなー

             

             

            って思いを封じ込めて、あの時頑張らなくてよかったなーって思う。

            たぶん、それ、ちゃんと何か意味があったんだろうから。

            さらに言えば、処方箋握ってた私にヘビーな電話をかけてきた母も、ちゃんと役割は担っていたのかもしれない。

             

            そんな風に

            ちょっとしたことをおもしろがることも、こんなときには大事なんだろうとも思うー。

             

             

             

            そういえば前

            ちょっとしたテレビ出演の話があって

             

            打ち合わせで趣旨などを聞いて帰ってきた時に、私の中では

             

            ものすごくやだなー

            もうあの人達には会いたくないなー

            ってかこれは私がすることじゃないよなー

             

            という負の気持ちが渦巻いていて、そのまま断ろうと思ったのだけれど

            でもその番組がかなり有名で、仕事的には財産になるのかもしれないというすけべ心が働いて

            周囲の人たちにかなり相談したことがあった。

             

            100%の人が受けるべきだ、と答えた。

            でもなあ、やなんだよなー。

            それで決断ができなくて、笑っちゃうけど知り合いの占いの人に見てもらった。

            そしたら、その人も、絶対にやるべき! と答えてきた。

             

            もう、だったらやってみるべかー。意味があるなら。

             

            それでやってみて

            深い深いトラウマみたいな傷や不快感をいまだ私は抱えている。

            最後まで、なにもかも、うまくいかなかったし、やらなければよかったと今も思ってる。

             

             

            最初に心の中に生まれる

            やだなー

            会いたくないなー

             

            って気持ちは、もしかしたらすごく大切なメッセージなのかもしれない。

             

            場所もそう。

             

            なんかあそこ、行きたくないなー。

            あの場所にいると嫌な気持ちになるよー。

             

            そんな風に感じる自分の気持は

            否定して奮い立たせて努力して頑張る! という方向に持っていかなくても

            とっとと離れて

            逃げて

            行かないでおく、やらないでおく、という選択肢を持てるということも

            場合によっては必要なことなのかもしれないなーって、今の私は思ってる。

             

            きっと、なんか意味は、ある。

            怠惰な言い訳のために多用しちゃあかんよ、とは思うけどー

             

            でも、ちゃんと意味があることも、きっとある。

             

             

            そんなことを書いていたら、数年前に

            下北沢の居酒屋で飲んでいた時に、急にとなりのおばちゃんに話しかけられたことも思いだした。

             

            あなたね、輝いているのよね。

            それね、魂の輝きよ。魂のステージが高いの。

            こんなに魂の美しいひとはめったにいないから、大切にしなさいね(と、私の同行者に向けて)。

            (そして、私のうしろあたりをぼやーっと見つめて)

            ああ、だいぶ苦労したのね。大変だったわね。

            それが今のあなたの魂を作ったのね。

            よくわかる。

             

            は。。。。。。

             

            どこかで、水晶を買えとか

            あとは1時間1万円ですとか

             

            言われるのかと戦々恐々身構えたけど、そのままただただ彼女は私を褒めて

            そりゃあ、褒められれば悪い気はしないから

            ちょっとばかりおしゃべりをして

            帰り際に、ありがとねー! と帰ろうとしたら

             

            急に声のトーンを変えて、なんか、慈しむような目で私を見て、そして

             

            「からだには、気をつけてね」

             

             

            と言ったんだった。

             

            え”。

             

             

             

            すっかり忘れていたけど、あの唐突な

            「からだには、気をつけてね」は

            その後もたまに思い出して、あれ、何だったんだろうって思ってたけど。

             

            ちゃんと、そんなことになって、改めてまた思い出してる。

             

            もしかしたら、自分の身に置きていることは、何かの形で

            自分の身の回りにも、ぼやーっと滲み出したり、放出されたり、何かの足跡みたいなものを残しているのかもしれない。

             

             

            やだなー

            この場所居心地悪いなー

             

            って思うときは、気持ちやからだのどこかが

            その場所に漂っているようなものを察知しているってことも

             

            あるように思ったり。

             

             

             

            とまれ、運がよかったねー! って言われて

            いろんなこと思い出して

             

            その運がこれからどんな場所に漂っていくのかはまるでわからないんだけど

             

            自分の気持や勘みたいなものには蓋をせずに

            無理をしないというのが一番いいんじゃないかなーと思う土曜日の朝でした。

             

             

             

             

            あの不思議なおばちゃん

            今どこにいるんだろうなー。

             

             

             

             

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            10月から通常に戻ります。おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きる。そして人生は、バカンスだ!

            2018.10.02 Tuesday 18:34
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              今年あと3ヶ月! 毎年同じこと言ってるけど、ほんとに一年は早いですー。

               

              10月になったので、療養は9月末までとして、一応通常に戻ろうと思います。

               

              普通に出かけて、食べて飲んで、仕事もできる状態なので

              お気遣いなく、誘ったり用事を頼んだりしてもらえたらと思います。

               

              なんてことをなぜここに書いているかというと

              先日、頼み事をしてくださった方が

              「あとからブログを見て、無理なことをお願いしたのかもと反省して。。。」とメールくださって。

               

              いや、もうぜんぜん普通にやっているので大丈夫ー、と返信しながら

              そうだよねー、やっぱり様子がわからないと不安だし、どう対応していいかわかんないよねー、と。

              んなもんで、もう普通にやってますよーというご報告でした。

               

              お友達からいただいたお見舞い。優しさをたくさんいただいた二ヶ月でもありました。

               

               

              そういえば、なんだけど

              女優の東てる美さんが私と同じ病気で、ちょうど6月に病名を公表されました。

              年齢は私よりちょっと年上なんだけど、時期が同じだったので気になっていて。

              少し前にネットでニュースを拝見してびっくり。

              手術日が一日違い、退院日が同じ日。病院は違うんだけど、生検結果が出たのも8月中旬で

              まったく同じ時期に、同じ病気で療養していたんだなあ、と。

               

              手術後も麻酔で痛みはぜんぜんなかった! って東さん取材で言ってたけど

              私は罰ゲーム並みの痛さで、

              彼女はちょっと前にライブで唄まで歌ってて

              息切れと咳が残る私は、到底そんなことはできないわー、すごいわーと感心していたんだけど

               

              同じ時期に出た生検結果で、東さんはリンパの転移があったので、10月から抗がん剤治療がはじまるのだそうです。

               

               

              生検の結果が出るまでの、手術後の3週間ほど。

              私はやっぱり不安だった。

              退院後の自分の時間の流れ方は、そこから決まるなあと思っていたので。

               

               

              今はいろんな治療法が進んでいて、今日もニュースは免疫治療の研究のノーベル賞でもちきりだったけれど

              でも、どんな治療でも体と気持ちの負担は大きく、そして何より金銭的な負担もかさんでいく。

              そこと向き合っていくための気力と体力に向き合うのか否かというのは、ものすごく大きなことだから。

               

              とりあえず私は、半年づつの時間を区切りながら

              またいつかそうした時間が流れ始めることも念頭に置いて

               

              今この時は、一段落して普通に暮らしていますよ、と言える今の状況に感謝したいなーと思ってます。

               

               

              東さんは芸能人で、特に病気をテレビの番組で発見したので、その後の病状も逐一公開することになり

              やっぱり「前向き」のメッセージを発していくお役目もあるんだろうなあと思うけど

              いっぱい休んで、いっぱいぼーっとできるといいなあって思います。

              頑張ってくださいー!(読んでないと思うけど。。。)

              あ、円楽師匠も肺がんだって。

              肺がん多いなー。

              見つけにくいと言われていた病気だけど、早めにみつかることが増えてよかった。

               

               

              肺がんは多い分、死亡率もすごく高いので驚いたりびっくりしたりしちゃうんだけど

              でもほんと

              一年ごとの医療の進歩で、肺腺がんは初期に発見されれば完治もある病気になったのだとか。

              私は、治してやる! ガンと戦うなんていう闘争心はまったくないんだけど

              ただ、自分の残りの時間のあいだは、くらい気持ちやネガティブな考えにあまり支配されずに、フラットにいたいなあって思うので

              なので

               

              おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きる

               

               

              っていう樹木希林さんの名言をいただいて、しばらくそんなふうにやっていきたいなー。

               

               

               

              ということで、普通にやってるので、普通にいろいろ遊んだり仕事したり出かけたり。

              遠慮なく声かけてね。

               

               

              とはいえ、メンタルがかなりプー状態になっているので

              (何もしないことで忙しかったり、風船より大事なものなんてあったっけ? 状態)

               

              「復帰しました! 今日から通常営業で、これまでと変わりなく頑張っていきます。

               これからもよろしくお願いします」

               

              なんつー心情ではまったくなく>笑

               

               

              なんかとってもいいもんをこの2月ほどでもらったので

              それ、大事に

              忙しかった時代に体験し忘れていた気持ちのありかたで

              面白がって平気に生きていきたいと思います。

               

              人生はバカンスだ!

               

              そんな気分で。

              なんだ、それ。

               

               

               

              いろんなことに、ありがとうです。

               

               

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              Doing nothing often leads to the very best kind of somethingー何もしないことが、最高のなにかにつながる

              2018.09.25 Tuesday 15:16
              1

              9月もあと数日で終わり。

               

              なんかものすごい転機のような年だったなあ、って改めて。

               

              いろんなことが落ち着いてきて、このところは特に

              フラットな気持ちで過ごせるようになった。

               

              なんつか、嵐みたいな中に突入したときは

              たぶん大事なのはポジティブになることなんかじゃなくて

              フラットでいること。

              それ、今回強く思ったよ。

               

              フラットが大事。

              フラットがいちばん。

              無理して前向きに物事考えちゃあかん。

              ポジティブは危うさと背中合わせだ。

               

               

               

              それでね、なんかもう、ブログに物書くとかそういう指向にメンタルがまったく向いていかず

              お仕事もすっかりおやすみして

               

              体調が万全ではなかった最初の頃はまだしも

              徐々に日常生活を普通にできるようになってきたら、何もしないことが苦痛になりはじめたこともあったけど

              そんな時間の流れ方に慣れてきたら

              何もしないって、なんかものすごいことだー! ってしみじみ思うようになった。

               

              というか、

              就職して結婚して子供持って働いて。

              そんな時間の中で、「何もしない」なんて日々って、まったくなかったんだー! って

              当たり前のようなことに改めて気づいて、もうびっくり。自分で自分にびっくり。

               

              会社に復帰する必要もなく

              なにかに追われることもなく

               

              もう、あとは自分でどう暮らしていくのかを決められる中で

              今の「何もしない」心の状態になれたことは、病気がくれた贈り物だって気がします。

              神様、ありがとう。

               

               

               

              という、そんな心境で、ものすごく久しぶりに一人で映画を観に行って

              そして、タイトルの言葉と出会う。

               

              Doing nothing often leads to the very best kind of something

               

              何もしないことが、最高のなにかにつながる。

               

               

              プーと大人になった僕 の一説だよ。

              もうほんと、プーさんは私の思春期の脳細胞の多くを作った小説なので、もう全編涙腺崩壊だったけど

              頻繁に出てくる

               

              「何もしないこと」

               

              という言葉は、本当に今の自分のキーワードなので頭ぶんぶんうなずきながら帰ってきた。

               

               

              「何もしないをしている」は、原作の中でも秀逸なクリストファーとプーのやりとりのひとつ。

               

              "Where are we going?" said Pooh, hurrying after him.
              "Nowhere," said Christopher Robin.
              So they began going there, 
              and after they had walked a little way 
              Christopher Robin said.
              "What do you like doing best in the world, Pooh?"

              (And of course, what Pooh liked doing best was 
              going to Christopher Robin's house and eating.)

              "I like that too," said Christopher Robin, 
              "but what I like doing best is Nothing."
              "How do you do Nothing?" asked Pooh, 
              after he had wondered for a long time.
              "Well, it's when people call out at you 
              just as you're going off to do it. 
              What are you going to do, Christpher Robin, 
              and you say, Oh, nothing, and then you go and do it."
              "Oh, I see." said Pooh.
              "That is a nothing sort of thing that we're doing now."
              "Oh, I see." said Pooh again.
              "It means just going along, 
              listening to all the things you can't hear, 
              and not bothering."

               

               

              これまでの自分では、

              働いて子育てして家のことをする上では、どうやって無駄な時間を減らして

              時間を効率的に使うかばかり考えてきたから、たぶん「何もしない」はネガティブなことだった。

               

              そんな時

              児童書をたくさん作っていた編集者の叔父が、私にかけてくれた言葉が

               

              「いづみちゃん、ちゃんとぼーっとしてるかい。

               

               ぼーっとしなくちゃだめだよ。

               

               人生の大切なことや、創造的なことは、全部ぼーっとする時間の中から生まれるんだよ」

               

               

              時短の技なんかを本にしていたわたしを見て

              叔父はたぶん、ちょっとした危うさを感じたのかもしれない。

              私は、はっとして、だから、それからなるべくぼーっとする時間を持つようにして、自分がエンデのモモに出てくるような「時間泥棒」の片棒を担がないようにと心に言い聞かせてきたけれど

               

              プーと大人になった僕 の映画を観たとき、叔父の言葉が改めて心に蘇って

              ああ、なんと含蓄のある優しい言葉だったのだろう、としみじみ反芻したんだった。

               

               

              いま、とてもフラットで

              そして、何かになろうとか

              何かを成そうとか

              何者かでいようという、そんな気持ちがきれいに削ぎ落とされて

               

              ただただ、自分がいまここに何もしないでいる、っていう時間がゆるやかに流れていて

               

               

              病気になったことは

              こんな自分に出会うための贈り物だったなあって思って

               

              あー、ほんとにありがたいなあって思う。

              プーにも、叔父にも、ありがとう。

               

              これからは、何者でもない自分と、向き合っていきたいな。

              先日亡くなった樹木希林さんの「私は、私」も、今の自分にぐっとくる映像だった。

               

              やっぱりフリーランスで頑張らなくちゃって思ってた時代は

              自分が何者かである必要があって、何かを成さなくてはって思ってたかもしれない。

               

              もう、何にならなくてもいいんだよ、って思えると

              なんか、すごく楽になって

              そして、なんかとても、自由な気持ちになれる。

               

               

               

              ガンはすぐに死なないで、準備ができるからとてもいい死に方って、教えてくれたのは希林さんだった。

               

              私は、神様にまだ来なくていいよ、と言われたようなので

               

              人世の先人が教えてくれる大切なこと

              ひとつひとつ、なるほど、こういうことだったのか、って発見しながら

              ゆっくりゆっくり

              準備をしていく時間を持ちたいなあ、って思う。

               

              「死」をちゃんと考え出したら、生きることが俄然面白いと思うようになった。

              そんなことを考えてる雨降りの午後です。

              時間が、優しく流れていくよ。

               

              一ヶ月ぶりの、元気でやってます、って近況報告でした。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

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              2ヶ月、長いのか短いのか。とりあえずの終戦記念日に。

              2018.08.17 Friday 13:02
              0

                思えば、最初に紹介された病院に行って「限りなくガンに近い影」と言われたのが6月15日だった。

                 

                そこから2ヶ月。

                すごーく長かった気もするし

                いったい何だったんだろう、実感がないまま過ぎちゃった、という気もするけど、とりあえず8月15日に、術後検診があって、取った肺の生検の結果はここでわかることになっていて。

                やっぱり、手術が終わっても、その結果次第ではまた治療が始まる可能性があるので、気持ちはちょっと落ち着かなかったんだった。

                 

                最初に肺腺がんとわかった時は、かなりのところまで覚悟して、もしものときノートはすべて完成させたし、ネットやブログ類のID等もすべて整理して、何かあったときに息子がわかりやすいように、資料としてまとめたりもした。

                入院前は、捨てるに捨てられなかったようなものはすべて処分して、昔の手紙やビデオなんかも整理しておいたりもしたんだった。

                 

                ちょうど髪を切りたいと思っていたのだけれど、術後に抗がん剤で髪の毛が抜けるなんてことがあったら、それこそ染めても切っても無駄じゃんー! とか思ってたぐらいだったけど。

                結果としてはリンパの転移がなかったので、抗がん剤の使用はしなくてよい、ということになった。

                周囲のリンパに転移が出なかったことと、

                腫瘍のサイズがあと1mm大きければ抗がん剤使用の範疇だったと主治医に言われた。

                1mmの差だった。

                いいのか、それで? とも思うけど、その1mmの差は大きいなと思った。

                偶然にみつかったことや、フランス行きを中止して即手術と決めたことは、無駄じゃなかったなあって思った。

                 

                 

                ということで、

                いまだ息切れや疲れは残っているし、何より元から弱い気管支の炎症があるので咳が辛いんだけど

                 

                とりあえずは6月15日からはじまった私の「ガン狂想曲」みたいな時間は

                8月15日をもって、いったん収束ってことになった。

                 

                 

                 

                からだ中がミキサーで粉砕されるような、、、と前の日記で表現したような時間にいたときは

                自分がとんでもない場所に運ばれてきてしまった、と思っていたんだけれど

                 

                こうして、とりあえずの収束という場所までたどり着いてみると

                なんか、

                 

                ぽかん

                 

                としているっていうのが正直な気持ちだったりする。

                 

                 

                 

                なんだったんだ、この2ヶ月。

                あの衝撃、あの痛み、あの不安。

                 

                 

                 

                蓋を開けたら早期発見のステージ1Aで、転移もなく

                今は医療技術が進んでいるから、肺腺がんも初期に外科治療すれば治っちゃうから、って言われたら

                わーいわーい、と喜んでいいところだと思うんだけど、

                で、もちろんよかったなああ、ほっとしたなあ、って思うんだけど

                 

                なんか手放しでわーいわーいとは思えない不思議な気持ちの中にいたりする。

                 

                 

                ぽかん。

                ってか、なにそれ、どういうこと?

                 

                 

                 

                術後はじめて、自分の肺のレントゲンを見たら

                右半分を失った肺は、けなげに元の場所に戻ろうとして、一生懸命膨らんで働いていた。

                前に比べれば容積が減っているけれど、肺も気管支もリンパも切除しても

                ちゃんと生きるために臓器が動いているというのは、なんかもうびっくりぽんの現実だなあと思う。

                人、すごい。

                医療も、すごい。

                 

                 

                すぐに元には戻れなくても、工夫しながら

                やがて、前と同じように生活できるようになる、と言われて

                にわかに信じられんけど、ほんとならすごいなあ、と思いながら

                 

                それでも

                 

                この2ヶ月の間に起きたことは一体何だったんだろう? っていうのが、まだ自分の中で消化できないでいる。

                 

                病と共存していくんだ、というのでもなく

                でも

                何事もなく元に戻った

                というのでもなく。

                 

                何一つ不自由せず、自覚症状もなかった暮らしから突然「ガンがある」と言われ

                あれよあれよという間に苦しい手術と術後の経験をして

                いま、右の肺の半分を失い

                 

                それでも、転移もないしとりあえずあとは半年後に来てねー! って医師に言われて

                それでこれから、その自分とどうやってつきあっていくんだろうっていうのが

                ぜんぜんよくわかんない。

                走ってたバイクが急ブレーキ踏んで、前のめりに飛び出しそう、みたいな>笑

                そんで、そんで、それからどうすれば? みたいな。

                 

                いま、そんな感じ。

                 

                 

                退院後にお見舞いに来てくれた友だちが

                「外からは見えないけど、からだの中は大怪我しているんだから、1ヶ月は何もできなくて当たり前」

                「包丁でちょっとだけ指先切っただけで、ものすごく不自由しているのに、肺取ってるんだから苦しくて当たり前」

                っていろいろ励ましてくれて、それほんとにそうだなあって思うんだけど

                やっぱり外から見えない場所のことだから、自分でもよくわかんない。

                 

                少しづつ、回復しながら

                少しづつ、そんな自分との折り合いをつけていけるのかな。

                 

                 

                それで、そんな経過のようなものをこうして書いてしまったことに対しても

                正しかったのかなあ、書かなくてもよかったなあ、とか

                いろんなことが迷いの中に、まだいます。

                 

                 

                とにかく、こんな渦中にいた間、支えてくれた大切な人たちと

                ブログを読んで応援してくれた方々や、言葉をかけてくれた人たち

                お見舞いに来てくださったり

                退院後にうちに来てごはんを作ってくれたり、気にかけてくれた人たちに対しては

                ほんとにもう、感謝以外の言葉がないです。

                 

                私は元から、自己肯定感がとても低くて、なにをやっても自信が持ちにくかったんだけど

                病を通して「大切に思ってもらえている」という宝物のような実感をたくさんもらえて

                それは、今の私に神様がくださった贈り物だったように思います。

                 

                 

                ということで、とりあえずの終戦記念日に一区切りのご報告でした。

                 

                6月15日から今日までの間

                たぶん、今が一番、ものが考えられないです。

                ぼーっと暮らしています。

                 

                 

                少しづつ、歩いていきたいです。

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                「語られない」病(やまい) ということ

                2018.08.05 Sunday 13:46
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                  ガンになったことを、自分の親に話すのか、話さないのかというのは

                  私のようないい年齢の世代にとってはいろんな選択肢があるように思う。

                   

                  親の年代、親の性格、関係性でまったく違うと思うのだけれど

                  私のまわりでは意外と「話さなかった」という人も結構いて、驚いた。

                  驚いたというのは、「普通話すもんでしょ」という意味ではなく

                  ああ、私のように「話したくない」と思う人もちゃんといるんだな、という安堵の意味で。

                   

                  高齢の親に心配をかけたくないという人もいるし

                  私のように「過剰に心配に陥る親を私が心配しなくてはならなくなる」ことへの危惧を感じる人も、ちゃんといるんだと知ってちょっとほっとした。

                   

                  子供の頃から、

                  日常の些細なことならまだしも、ヘビーな困難を抱えたときには、決して親には話せなかった。

                  話したら最後

                  「だいじょうぶなの、どうするの、どうなっているの?!」の質問の無限ループで、私のココロは置き去りになり、物事はあらぬ方向に複雑化していき、「どうしたらいいのか一番知りたいのは私なんだけど」と思いつつ、不機嫌になっていく親のご機嫌を取っているうちに私の悩みは違う形に変形してしまい、最後には「私に恥をかかせないでよね」という親の自己保身のお手伝いに奔走するというパターンが目に見えているから

                   

                  だったら、話さない。

                  簡潔。

                  かなりのことは、そうして無言のうちに自力で解決してきた気がする。

                   

                   

                  こういう感じが、まったくわからないという人もいると思うけど、私の場合は、なんやかんやと結構サバイバルな少女時代だった。

                   

                   

                   

                  誰かを心配するということは、意外と難しいことのように思う。

                  親しい関係で、心配でいっぱいになった心を、ちゃんと自分で維持しながら、相手の辛さや悩みに向き合うというのは、かなり高度なこころの力だという気がする。

                   

                  ガンを含む、ちょっとやっかいで先が見えにくい病と付き合っていく過程では、家族や身近な人達にもたくさんの葛藤があって、それも含めて、大切な人たちにどこまで自分の直面している現実と、自分の弱さを預けていったらいいのか、悩んでしまうことは、ある。

                  大切だからきちんと報告して、一緒に乗り越えていって欲しいという思いと

                  大切だからこそ、心配をかけたくないという思いが行き交う中で

                   

                  ふくれあがる自分の心配を、ただただ、本当に困っている当人に投げかけ続け、本人よりも先に弱っていき、逆に心配してもらう側にそそくさと入れ替わってしまうタイプの人に対しては、自分の弱さを差し出すのは、とてもむずかしいもんだと思う。

                  それはあふれる愛ゆえの行為だということは心底理解していたとしても、やはりしんどい。

                   

                  私の親は住んでいる距離もとても近いので、「ちゃんと伝える」という選択をしたけれど、遠い場所に暮らしていたとしたら、おそらく話さないままだったんじゃないかな。

                   

                  とはいえ、きちんと伝えられたことで開けた新しい関係性というのもあるわけなので、これからは前向きに捉えていけたらなって思ってる。

                  そして、そんなプロセスの中で、自分が抱え続けてきた幼年時代からの親との関係性について、いろんな気持ちの整理がついてきたことも確かだった。

                  今回の病の意味みたいなことは、そんなところにもあったのかもしれない。

                   

                  昔はガンが不治の病だったこともあり、「本人告知」の是非が問われていたので、こんなことはあまり悩まなかったのかな? 

                   

                  私が最初にかかった病院の先生は、最初ひとりで受診したときに「あなたは独立して仕事をしているし、著述が職業ならすべてをありのままに話しますよ。いいよね?」「モノを書く仕事をしているなら、このニュアンスはわかってもらえるよね」等々、丁寧に説明してくれて、本当によかった。

                  本人との信頼関係がないと、納得できる決断はできないから。


                  父のときはまず、家族が呼ばれて本人告知をするかどうか聞かれ

                  それを決めたのは母だった。知るとその対応が大変なので、告知なしでお願いします、と。

                  結局父は自分がガンだということを知らないまま、

                  っていうか、「抗がん剤どうするか」とか聞かれているんだから、そんくらいわかるはずなのに

                  最後まで頑なに「ガンじゃない」と拒否しつづけて、そのまんま15年ほど生きて、ガンは治っちゃって、

                  最後は心臓疾患で亡くなった。 

                  ものすごくチキンな人(笑)だったから、知らないことで生きる力を得た部分はあるように思う。

                   

                  どんな形にしても

                  病気は「家族」という形と密接につながっていて

                  いやがおうでも「家族」の形や、それとの関わり方をつきつけられるように思う。

                   

                   

                  高齢の親を慮って伝えないという人もいれば

                  幼い子どもには伝えなかったという人もいるけれど

                   

                  私達の世代にとってはアイコンだった松田優作さんは、家族の誰にも伝えないまま逝ってしまった。(ということになっている)

                  あの時、あれはかっこいい男のダンディズムみたいな、美談になったけど

                  年老いた親でも幼い子供でもなく、配偶者や恋人の立場に対しても「語られない」病について、まだ若かった私はかなり真面目に考えたように思う。

                   

                  あれから歳月が経ち、有賀さつきさんが年老いた父親にも、まだ少女である娘さんにも、周囲にも伝えないまま(というように報道はなっていたけど、実際にはわからない)逝ってしまったという報道を見たとき、その心のうちを本当に聞きたかったと思った。

                  どんな思いで語らなかったのか。

                  どんな思いで逝ってしまったのか。

                   

                   

                  「ガンはね、ありがたい病気なんだよ。

                   すぐ死なないから。

                   自分も、家族も、周囲も

                   時間をかけて気持ちの準備をしていくことができる。

                   

                   事故や急病で突然亡くなってしまうよりも

                   みんながゆっくり、準備できるからね」

                   

                  終末医療の取材をしていた友達が言っていたけど、自分自身が納得するだけじゃなく、まわりの大切な人たちもどこかで準備ができるということの意味はとても大切だなあ、って思う。

                  ほんと、うちの父の世代ぐらいまでは、本人に告知さえしない時代が長かったわけなので、このあたりのスキルはまだまだ、ぜんぜんこなれていないような気もするけど。

                   

                   

                  肺のドレーンがはずれて

                  あの手術とそのあとの苦しみはいったい何だったのか! ってところまでこれて

                  なんだか明日からの日々が前とまったく同じところに戻っていくような安堵感につつまれながら

                   

                  でも、これまでとは何かが絶対違う明日に向かっていくんだなあ、と漠然と眠れない夜を過ごしていたことを思い出しながら。

                   

                  なかなか息切れや咳の後遺症が収まらず。

                  不安な時間がまだこれからいろいろ続くていくのだろうけれど

                   

                  少しづつ快復しながら、生い立ちや家族、人間関係や生き方みたいな、自分の根っこの調整をしていく。

                  病気ってそんなことをはじめるきっかけだったりするのかなあ、なんて思ったりもしています。

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                  入院であったら便利だったもの、あったらよかったと思ったもの。なんだこんな実用もの書いてる場合か?

                  2018.07.27 Friday 12:55
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                    退院明日に決まった。

                    最短7日と言われたけど、10日かかった。

                    そんでも、みんな早い早いと言ってくれる。

                    私自身は早いのか遅いのかわからない。

                    10日の間にあったことは、時間の概念を超えてしまった。

                    これから続いていく日常のことも、よくわからない。

                     

                    そんな空中庭園みたいなところにぽっかり浮いている気がする今日なんだった。

                     

                    で、入院最後の日に荷物とかちょろちょとまとめながら

                    これ持ってきてよかったなあ、とか、あったら便利だったのに、と思ったものを書こうとしてる。

                    職業病か。

                    ま、いいや。許して。

                     

                    私は最初の4日間、一番つらかったときは2人部屋を1人で使わせてもらっていて、それはそれでとてもよかったんだけど、5日目に冷房を使いたくないという高齢の方が隣に入ったので、冷房命の私としては、後半戦耐えられそうになく個室に移動させてもらった。

                    結果的に、動けるようになってからの個室はすごく快適で、眠りの質も確保できて本当に良かったと思う。お金はかかっちゃったけど、非常事態の出費として、また頑張るよ。

                     

                    (最初の投稿で、一番大事なものを失念していたので、加えました。1は絶対に必要!!!)

                     

                    1,延長コンセント

                     

                    下のWFIとか、携帯の充電、その他いろいろ電源が必要なものが結構あるので、あらかじめ予測して持参して、本当に助かった。ベッド周りのコンセントは医療機器で占領されていることが多いし、携帯の充電は枕元に近いほうがいいので、ひとつあるととても便利。

                    コードが長すぎるをかえってじゃまにかるので、このくらいのコンパクトなやつがいいかも。

                     

                     

                    2,入院用WIFI

                     

                    1日からレンタルできるのを借りて持ってきてもらった。

                    手術後数日は、音楽も映像も受け付けなかったけれど、少し元気になってきたらアマゾンプライムのビデオや、音楽に救われたー。イヤフォン使ったけど、もっといいヘッドフォンあったらよかったと思う。

                     

                    術後で体力使ったあとは、本は読めない(目が異様に疲れる)し、目をあまり使わないほうがいいらしいので、音楽や気軽なビデオぐらいがいいのかなー。病院テレビでは民放もNHKも普段からまったく見ないし、見てみても想像を絶するつまんなさなので(笑)、WIFIありがとう。

                     

                    3,アロマデフューザーとエッセンシャルオイル

                     

                    息子が誕生日に買ってくれた無印のデフューザーを、ダメ元でもってきて大正解じゃった。

                    同室者がいると香りは気遣うかもしれないけど、蒸気だけでも癒やされるし、常夜灯にもなった。

                    水が切れるたびに補充するのは大変なので、ペットボトルに水道水を入れて近くに置いておいたら便利。

                    快眠に効くエッセンシャルオイルは、マスクやタオルに落としても癒やされたし、個室に移ってバスルームがついたときには、足湯にも使った。

                     

                    病院は独特な臭いがあるので、同室者がいてもお断りすれば、意外と喜ばれる気もするなー。

                     

                    4,S字フックとかご

                     

                     

                    最初は2人部屋指定だったので、荷物の置き場所を確保するためにフックとベトナム製のかごバッグ。

                    手術後動きにくい時に、棚の上や中のものは取りにくいし、ベッドテーブルも起き上がらないと届かず痛みがあると辛かった。

                    ベッド横にセットしておいたら、寝たまま手が伸びて超便利じゃった。

                    S字フックもかわいい花つきにして、バッグも明るい色にしたら、病室が明るくなっていがったいがった。

                     

                    5,100円ショップの介護用ペットボトル用吸口

                     

                    これはお友達が調べて調達してくてくれたもの。結果的に大ヒットのグッジョブだった!

                    コップの吸口は、水を誰かに入れてもらわねばならず、こぼれやすいけど、これはベッドの中に持ち込んでももれずに優秀じゃった。誰か来たらとにかくペットボトルを補充してもらって、飲み終わったらこの吸口だけ自分で付け替えてずっと抱えてた。

                    ペットボトルにくっついてきたリラックマのカバーも大活躍じゃった。

                     

                    ペットは口開けて飲む行為だけでも結構体力を使うので、寝たきりのときはこちらがよいなあ。

                    お友だちありがとう!

                     

                    6,ちび枕

                     

                    前に入院したときに、お友達がお見舞いに買ってきてくれたひつじのちび枕。

                    座るときにちょっと腰に入れたり、枕の高さを調節するのにちょうどいいし、癒やしにもなるからって。

                    それ、本当に役に立て、その後もずっと私のベッドのお供だったのを、今回も持ってきた。

                    病院の枕はパイプ製で重く、リクライニングすると落ちてしまって、手が動かせないのでそのたびに看護師さんを呼ぶことになり、途中から使うのをやめてしまった。

                    ちび枕バンザイ。

                     

                    あとはやっぱり、柄のかわいいタオルとか

                    色がきれいなストール(ちょいがけにもなる)も、持ってきて本当によかった。

                     

                     

                    病院にはパジャマと下着とタオルのレンタルがあって、洗濯で誰かを煩わせることを考えたらそれでいいやと思ったけど、考えてみたら1週間から10日ぐらいの旅は海外で普通にしているわけなので、洗濯なしで乗り切ることは難しくないんだった。

                     

                    好きな色のパジャマ、癒やされるもの、かわいい柄みたいなものがあるだけで、すごく救われた。

                    下着は全部使い捨てのものを100円ショップで調達した。看護師さんも心得たもので、着替えの時に回収して捨ててくれたりもしたよ。

                     

                    失敗はTシャツを多く持ってきてしまい、術後しばらく前開きパジャマ以外、手があがらず着替えられなくて困ったこと。

                    Tシャツ着るのって、からだ使うんだなあ。初めてわかった。

                    で、お友達に頼んだらポリエステル製のすんごく可愛いのを買ってきてくれて。

                    最初、綿じゃないと汗を吸わないではと話していたんだけど、綿のものよりシワにならず、不思議なことに体臭も気にならなかった。汗を吸ってしまうほうが、臭いやすいのかな。

                    しわしわパジャマは気持ちも滅入るので、シワになりにくい素材って意外と大事なもんだ、と改めて。

                     

                    あと

                    最初の日に作ったのがこの癒やしコーナー

                     

                     

                    手術数日前、偶然通りかかってはじめて中に入った神田のニコライ堂で入手したイコン。

                    パリの奇跡のマリアメダル教会のメダイ

                    お友達の贈り物のお花やエッセンシャルオイル。

                    動けない時、癒やされるものが目に入るだけで救われるなーってほんとに思う。

                     

                    病院の売店に、ちいさいぬいぐるみがいっぱい売られていたの。

                    それもきっと、そんな気持ちなのかなーって思ったよー。

                     

                     

                    あとはちょっとしたもんだけど

                     

                    7,時計

                     

                     

                    息子が、入院した次の日に買ってもってきてくれた。

                    「時間がわかるものが何もないなあと思って」と。

                    家にアナログ式の時計はあるけど、音が気になるだろうと思ったからデジタル式を無印で買ってきてくれたんだそうだ。

                    腕時計は起き上がらないと見られないので、寝たままわかる時計はグッジョブだった。

                    食事の時間とかよく把握してコントロールしておかないと、体調も狂うので、時計大事。

                     

                    難点は夜光らないので、夜は時間がわからないこと。

                    でも、夜目覚めて時計を気にすると逆に眠れなくなるので、それはそれで、見えないほうがよかったなあって思う。

                    ありがとう!

                     

                    8,朝マスクとかいろいろ

                     

                    こんなのができるようになったのはもうずいぶんあとだけど>笑

                    身動きも取れなかったあと、徐々に何かができるようになったときに、やっぱり女性だからお顔のお手入れとか始められたとき、気分がぐっと上向きになったよ。

                    顔を洗いに行けなくても、拭いて、こんなマスクでさっぱりするだけでも、ぜんぜん違った。

                    持ってきてよかったよー。

                     

                    あとはいい香りのハンドクリームと、リップバーム。

                    これも上がる。

                    必需。

                     

                     

                    あとはお約束のふりかけとかジャムとか。

                    私が入院した病院のごはんはとってもおいしかった。

                    ごはんがおいしいって最強だ。

                     

                     

                     

                    逆にあったらよかったなあと思ったのは

                     

                    1,ヘッドフォン

                     

                    イヤホンは耳が痛くなるし音悪い

                     

                    2,耳栓とアイマスク

                     

                    2人部屋だった時は、病室の扉がオープンになっているので、夜間のナースコールや他の患者さんの音で熟睡できなかった。ヘッドフォンで音楽聞きながら寝たりもしたけど、それも意外と脳が休まらず。耳栓ほしかったなー。

                     

                    昼間の明るさ調節ができないので、お昼寝したい時にアイマスクほしかった。

                    アロマであったかくなるやつ、持ってくればよかったなー。

                    弱っている時って、目が疲れるものだと思った。

                    明るさ調節だけではなく、目のケアとして、必要だなー。

                     

                    3,洗濯バサミ

                     

                    なんか1,2個あるだけでいろいろ便利だったような気がする。

                    どうしてそう思ったのかは、あまり覚えてないのでいいや>笑

                     

                    4,電気ポット

                     

                    これ、なくてもぜんぜんいいんだけど、もっと入院が長引くならほしかった。

                    寝られない時とか、温かい飲み物が欲しいなあと思うこと多かった。

                    病院ではペットボトルばかりで、自販機のコーヒー系はあるけど、たまにはハーブティやほうじ茶とか飲みたかった。

                     

                     

                     

                    あとなんだろー。

                     

                    ってなことで入院最終日の午後がしあわせに過ぎていきます。

                    怒涛の約2ヶ月でした。

                    いろんなこと忘れずに、自分の「欠け」と向き合っていきたいなって思います。

                     

                    category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

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