長いことずっと泣きたいと思っていたのに、泣けなかったのはなぜなんだろう

2018.07.18 Wednesday 13:21
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    何年ぐらい前からだったかなー。

    私、なんだかすごく泣きたいんだ、って思ってた気がする。

     

    心のどっかで、いつも泣き出したいような気分なのに、ちっとも泣けなかった。

     

    涙活って言葉が流行っているけれど、どこかまでの私は、ストレス解消によく泣いていた。

    一番泣ける映画を準備して、水やお茶をいっぱい飲んで、朝からごろごろストーリー全部わかっている映画見ながら、おいおい、うおーうおーと泣いて、それで心がリフレッシュして、ちょっとしたカタルシスを味わう、なんてことがよくあった。

     

    それが、どこからか、心に蓋が閉まったような感じが続いて、泣けなくなった。

     

     

    ときどき、ふと、夕暮れの街なんかを歩いていて

    足が止まって、ああ、この不思議な感覚は何なんだろう、と思う。

    それで、気づく。

     

    あ、私、泣きたいんだ。

     

     

     

     

    胸の奥のあたりから、うぉーって声をあげて泣けたら、どんなにいいだろう。

    ぽろぽろぽろぽろ涙が溢れて止まらなくなったら、どんなに爽快だろう。

    でも、泣き出しそうになる途端、心にシャッターが降りたようになって、泣けなかった。

     

     

    それ、たぶん、2011年の3月からだったと思う。

    東日本大震災のあと、自分の心の中で何かが止まってしまったまま、動かなくなってしまったように思う。

    最近、それに気付いて、

    その止まってしまったものは一体何なんだろうって考えていたところだった。

     

     

     

    今回、病気がみつかって

    体中がシェイクされたような激震を味わって

    それでも、なんだかちっとも、泣けなかった。

     

    おともだちに

    「心を許せる人の前で、思いっきり泣くんだよ」って言われて、はっと気付いた。

     

    ぜんぜん、泣けないのだった。

     

     

     

    ここ数年の、泣けなかった間、ふとした瞬間に、たまに口をついて出る言葉があったの、今思い出してる。

     

    「パトラッシュ、ぼく、もう疲れたよ」

     

     

     

     

    子育てして仕事して、親の死を見送って、残った親の面倒を見て、そして自分の夢みたいなものにも目を向けて。

    50代って、もう、人生のいろーんなことが一気に「まとめ」に向かっている時期だったなあと思う。

    友達に恵まれて、いろんな機会に恵まれて、仕事もあって、

    子供が成長して、どんどん環境が変わって新しい経験に身を投じていたときには自覚していなかったけど

    たぶん、いっぱいいっぱい、疲れは溜まっていたんだろうな。

     

     

    病気がみつかったあとは、検査や手術する病院を決めたり、準備することであわただしく、気持ちも落ち着かなくて、本当に泣いている暇なんてなかったんだけど、たまに、ふと、ああ、大声をあげて泣きたいと思うことはあった。

    それでも、ちっとも泣けなかった。

     

    だから入院したり、手術したり。

    そんな中で、どっかで、思い切り泣けたらいいのかもしれない、って思う。

     

    ちゃんと、泣いて

    閉まってしまっていた気持ちのシャッターみたいなものを開けて

    また、自分に向き合っていく。そんな時期なのかもしれないなーって思ったりしてるけど。

     

    どうなんだろう。

     

     

     

     

    そういえばね

    5年前に誤診で肉腫の疑いと言われて、まだいっぱいやりたいことがあったのに!! ってうろたえたことは前のブログで書いたけれど、そのときに、もう一つ心の中で渦巻いた声があった。

     

    それまで、私の周囲でいろんな人の噂話をするのが得意な知人の、こんな声だった。

     

    「あ、あの人もねー。いろいろあったでしょ。あれじゃあ病気にもなるわよ。大変ねええ」

     

     

     

    実際に言われたわけじゃぜんぜん、ないのに、頭の中で渦巻いた。

    それまで、病気になったり、トラブルを抱えた知人たちを、

    「あーーー、あの人もねー。大変よねー」と言いながら、噂話をするのを何度も聞いてきたから

    ああ、私もそう言われるのだ、と勝手に思った。

     

    それで、

    ああ、もう

    そんな風にだけは言われたくない! って強く強く思ったんだった。

     

     

    私、ちっとも大変じゃないもん。

    かわいそうじゃないもん。

     

    大変でもかわいそうでもない場所から、簡単に哀れんだ目で語られたくない。

    そう、強く思った。

     

     

    何なんだろう、弱ってしまったときの、心の中に生まれるこういうダークサイドみたいな部分って。

    気にする必要のない人、気にする必要のない、しかも架空の言葉に、こんなにもダメージを受けるって、なんだかとても驚いた。

     

     

    とにかく、5年前の私は、大変で、かわいそうだと憐れまれたくなかった。

     

     

    でもね

    今、それ、ちっとも気になってない。

    言いたければどんどん言って、って思う。

     

     

    だって、ある意味、今、ほんとにそうだと思うもん。

    いや、悪い意味ではぜんぜんなく

     

    やりたいことはどんどん手をつけて、後悔しないように生きてきたけれど

    その中で

    弱くて、大変で、疲れていて、心にシャッター降りちゃって泣くに泣けないでいる自分が明らかにここにいて

     

    だから

     

     

    自分はちゃんとそれに向き合わなくちゃいけないんだな、って。

    あとは

    そんな自分に、まわりの人にも向き合ってもらっていいんだな、って。

     

     

     

     

    なんでも後付けで都合のよい意味を見出すことは、あまり好きじゃないけど

    いま、病気に意味があるのだとすれば

    きっとそんなことなのかもしれないなーって、そんなこと思いながら、明日から入院してきますー。

     

     

    ドキドキだああ。

     

     

     

     

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    「人生のシナリオは誰が決めるんだろう、ってことについて」の後編

    2018.07.14 Saturday 21:53
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      誰も待っていないだろうけど、前半に続き後半。私の人生のシナリオは誰が書いているのか、ということについて。

      前半はここ

       

      ガンとわかって、その全容がまだわからない時間は暗黒星雲の中にいたけれど、それでもなんだかおもろいなあと思うことは多かった。なので、それを書いてみている。
      たとえば、こんなこと。

       

      私はいつもは、定期検診を12月に受けてる。

      昨年も12月だったから、普通なら今年の検診も12月に行くはずだった。

       

      その検診を、ふいな出来事で6月に変えた。

      それで、ガンがみつかった。

      その出来事ってのはこんなこと。ほんと、些細なことだけど。

       

       

      12月の検診でLDLコレステロール値がかなり高かったので、4月の頭に血液検査の予約を先生が入れていた。

      律儀にそれに行ったら、もう薬のもうね、ってことになり、薬が1ヶ月分出た。

       

      気が乗らなかった。薬嫌いだから。

      いやだいやだ、と思って飲んだからか、腹痛や胸焼けの副作用が出た。

      気分が悪いのでそのまま飲むのをやめ、5月に再度入れられていた予約日に病院に行き、「薬合わないから変えて」と言った。

       

      「また合わないと困るから、じゃあ今度は1週間分だけ出すから、また来週来て。副作用なければ1ヶ月分出しましょう」

      というわけで、別の薬の処方箋もらって帰ったんだけど。

       

      帰り道で本当に気が乗らなくて、薬もらわずに帰っちゃった。

      なんか、ほんと薬飲みたくなかったんだと思う。金曜日だった。

       

      それでも1週間後の予約はせまっているので、翌週に処方箋を持って薬局に行った。

      そしたら

       

      「処方箋の有効期限は4日なので、薬はもう出せません」

      という事態に陥った。

      土日を挟んでいたので、あっという間に期限切れになったらしい。

       

      うへー。次の予約まで3日。

      薬出ない。

      予約行ったらまた処方箋書かれて、また来週受診。

      もうやだ、めんどくせー。

       

       

      予約のあった金曜日の朝

      もやーっと悩んで

      私、黙ったまま病院行かなかった。

      すみません。

       

       

      そこから、はじまってた気がする。

       

      (↑人生って美しいねって書いてある、セーヌ河岸の看板)

       

      なんやかんや言って、やっぱり気になった。

      うちの家系はほとんどが脳梗塞やアルツハイマーで、「動けないまま死なない」末路をたどっているので、LDLコレステロール値が高いというのは、やっぱり恐怖だから薬は飲まないとやばいんじゃないかと思った。

       

      でも、黙って予約をシカトしたことが後ろめたくて、再診の予約をが入れられない。

       

      そこに、今年の特定健診のお知らせが来た。

       

      こりゃちょうどいい! と思ったんだった。

      これ口実に病院行けばいいじゃん。

      ほんで、薬出してもらえばいいじゃん。

       

      いつもは12月だけど、いいや。

      6月1日から予約可能という案内を見て、6月9日に予約を入れた。

       

      いつもの主治医の先生の検診日だと、シカトが後ろめたいので、先生のいない曜日に。

       

       

      で、その検診で、いつもの先生が「影あるねー」って放置してた場所に、別の先生がガンをみつけた。

       

       

      もし、あの日の帰りにさくっと薬局に寄って薬をもらって、

      翌週の予約で「副作用ないから薬出して」と1ヶ月分の薬をもらっていたら

       

      私、6月に健診なんて受けていなかった。

      12月までほっといて、たぶん今頃7月に予定していたフランスに1ヶ月滞在していた。

       

      12月まで放置してたら、それを見るのがいつもの先生だったら、どうだったんだろう。

      いや、もっと前にわかってたかもじゃん、って考えもあるけど。

       

       

       

       

      ま、そこまではなんだか、偶然だねーという話。

       

      ここから不思議なことがいろいろ続いていく。

       

      6月9日の夜から電話が狂ったように鳴り続け、取ったらすぐに診療して! とあわてた先生の声があり、

      なんかよくわかんないままに翌週に診療予約を入れて、このときはガンなんて言葉は一言も出なかったので、いったいなんじゃらほいと思ってた週末。

       

      11日に荷物の受け渡しがあって、急遽大学時代の友人に会うことになった。

      彼女はステージ4のガンで抗がん剤治療中なんだけど、いつも本当に明るくて、前向きで、どんだけ彼女にたくさんのことを教わってきたかわからない。すごい尊敬している友人。

       

      その彼女がサプライズで、誕生日を祝ってくれたんだった。

      ケーキ食べてお花もらって、そんでおしゃべりしながら、私、こんなことを彼女に聞いた。

      「どうしてステージ4でそんなにいつも前向きなん? 私、もし自分がガンだと言われたりしたら途方にくれる。絶対そんな風になれない。どういう秘訣があるの? なんでなの?」

       

      その時、彼女が教えてくれたのが

      「眠ること」の大切さだった。

       

      そして、彼女が実践している「眠る」ための秘技と(笑)工夫について伝授してもらった。

      どんなことがあっても、とにかく寝る。眠りの質は確保する。

      ぐっすり寝て朝が来れば、気持ちもまた変わっていく。寝るのってすごく大事なんだよー! って。

       

      へーへー、すごいね!

      それすぐやってみる! 病気でなくてもほんとに大切なことだね。全部ためになるなー。

       

       

      その工夫が

      まさか翌日まんま、必要になるなんて夢にも思わなかった。

       

       

      無邪気に「パジャマかわいいの買おうっと」「寝る時アロマ炊こうっと」「寝る前にテレビ見ないようにしようっと」なんて思って帰った翌日、予約診療で行った病院で「肺腺がんの可能性」と言われて、緊急で紹介状をもらう羽目になるなんて、思ってもいなかった。

       

       

       

      でもね

      その夜

      私、寝られたの。

       

       

      彼女に教わった通りのことをして。

      本当に眠れた。朝まで。

       

       

      なんか、すごい、と思った。

      神様みたいなもんが、ちゃんと、前日に偶然ひょんなことから彼女に会えるようにしてくれたんだ、って思った。

      ありがとうございます。

       

       

      さて、まだ続くよ。

       

      その翌々日。

      もうかなり前から約束していた食事会にでかけた。

      気持ちは沈んでいたけど、久しぶりだし気晴らしになるし、楽しみにでかけた。

       

      揃ったメンツを改めて見渡して、ちょっと新鮮に驚いた。

      医療に詳しいさまざまな分野にいる子ばかりだった。

       

      自分のことを話すつもりはなかったけれど、帰り際にちろりと聞いてみた・

      「もし私がガンになっちゃったら、病院とか紹介してもらえたりする?」と。

       

      えー! なにごとか、という話になり、ほんとにありがたいことだけれど

      全力で探すから、力になるから。応援させて。大丈夫、1人にしないから、って言ってもらえて

       

      うえーん。

      まだわかんないけど。

      でも、もしそうだったら。

      お願いします、これからのこと報告するから。

      それで、なんだか心細くて仕方なかった気持ちが、ちょっと落ち着いたんだった。

       

       

      なんだったんだろう、ちょっと前から決まっていたこの食事会って。

       

       

      その翌日、紹介された郊外の病院に行って、ガンの可能性が高いので検査入院をするように、と入院手続きをした。

       

      夢見心地のまま、その帰りに、ずっと前から約束していた、親友との誕生会に出かけて

      事の次第を報告しながら、どーしよー、どーしよー、いや絶対だいじょうぶ、もうとにかくなんでも力になる! と手を取り合ってはげましてくれた彼女が誕生日にくれたプレゼントは

       

       

      アロマだった。

       

       

      それ、もう1ヶ月前ぐらいに彼女にプレゼントの希望として私が頼んでいたものだった。

       

      なんで私、知ってたんだろう、アロマ必要って。

       

      友達に教わったとおりの方法で、アロマのちからで寝てたから、もうここ数日。

      いつから、何がつながっていたんだろう?

       

       

       

      ありゃ描き始めたら止まらない。

      まだ続くのよ。

      もう飽きたら見るのやめていいよ。

       

       

      さて、ここからいろんな検査ぢごくみたいのに放り込まれながら

      一方で、応援団を名乗りでてくれた友人に本当に助けられた。

       

      前半の記事で、5年前に肉腫の疑いと言われて腰抜かして慟哭したことを書いたけれど、あのときにした一番の失敗は、ネットで情報をしらべまくってしまったことだ。

      若くして亡くなった、無念のまま逝ったというような人の話ばかりが目に飛び込んでくる。

      もしくは、生存率が低い、治癒の可能性ほぼないという記述も飛び込んでくる。

      あれに、やられた。

       

      なので、今回はもう、絶対にネットサーフィンしないと決めた。

      自分では、調べない。っていうか、今の状態では、調べらんない。

       

       

      私がただひたすら検査ぢごくに陥っている間、彼女はほかの友達と連絡を取り合いながら、セカンドオピニオン候補の病院をリストにして持ってきてくれた。

      景色のいい場所でおいしいごはんをごちそうしてくれながら、ていねいに、ていねいに説明してくれた。

       

      そのうちのひとつにセカンドオピニオンの予約を依頼したら、1週間後にするりと予約が入り

      相談できた日に、そこで手術する、と決めたら、10日後が入院と手術の日になった。

       

       

      家の電話がガンガン(おやじギャグでは、ない)なり続けた日から、手術予定日まで1ヶ月と10日ほど。

      長かったのか、短かったのか、もうよくわかんない。

      あとは入院して手術するだけ。

      今、ここ。

       

       

      なんだろう。

       

      きっと全部偶然なんだと思う。

       

      でも、それにしてはすべてのことが、一日きざみで動いていた気がする。

      未来が見えない暗黒星雲の中でもがいていたけど、その中でなにかの希望があったとしたら、いろんな偶然がこうして重なっていくというのは、きっとそれが、神様のシナリオなんだと思えたからかもしれない。

       

      病気になったことは不運だけれど、不運を運ぶ何かに、私を守る何かが応戦していて、それがこうした偶然を運んでくるのだとしたら、根拠レスだけど、きっと今回は大丈夫、と。そんな風に思えたりもした。

       

      ぜんぜん達観してないけど>笑

      でも、そんな風に思えるほうが、きっと幸福なんだと思ってる。

       

      ああ、そういえば、3月に北九州に講演に行った折、私、空港で段差にけつまずいて激しく転んで、右側面の胸からアスファルトに激突した。こんなこと初めてだった。

      経験したことのない痛さで、これは肋骨が折れたかヒビが入った、、、、と確信して、翌日にいつもの病院(特定健診しているところ)の整形外科に行って、右胸のレントゲンを撮ったんだった!

       

      あれも、どっかで何かが「そこ見てやってくれよおお」ってサイン送っていたのかしら。

      結局、肋骨の下のところだけを整形外科医が見たので、肺がん見逃されてたけど。。。。。。

       

      こじつけかもしれないけど、おもろいなあ。

      誰が、何が、私を守ろうとしているんだろう。(病気にはなっちゃったから、守りきれてはないけれど>笑)

       

       

      十分長いけど、最後にもうひとつ。

      私にとっては、これが一番不思議なこと。

       

       

       

      応援団を名乗り出てくれた子に、「どこか病院の希望ある?」と聞かれたとき、私、

       

      「前に友達が入院してたところがホテルみたいにきれいで快適で、私、入院するならここって思ってたの。5年前に子宮肉腫の疑いで誤診されたときにその病院でセカオピ取ったんだけど、そのときもすごくいい対応だったの。だから○○病院を候補の一つに」

       

      そかそか、わかった!

       

       

      それで、彼女はその病院と、ほかに呼吸器外科の評判のいい病院をいくつかと医師の名前、セカンドオピニオン費用や差額ベッド代までを細かくを調べてリストにしてくれたんだった。

       

      いろいろ調べた結果、私が聞かれて名前をあげた病院は、いろんな人がすごくいい、と言っているというので、とりあえずはそこにセカンドオピニオンの予約を入れることにした。病室がきれいというのも大きな魅力だし。

       

      電話で予約を取るとき、以前にかかったことがあるか聞かれたので、5年前に婦人科で! と元気よく答えたら

      「いや、もっとすごく昔ですね、こちらの電話番号ですね」と言う。

      都内03から始まるから私の番号じゃない。

      ちがうちがう、それ私じゃないです。

      「そうなんですか。同姓同名、誕生日も同じです。不思議ですねええええ。あ、もしかして分院かも?」

       

      あ、それですそれです。

      きっとそれです。青山のほうです。

       

      「???? 青山じゃないですよ。もしかして他の病院と間違えてらっしゃるかしら?>笑」

      えー、そんなこと絶対ないです。おかしいなあ。

       

       

      それでも予約は取れたので、あれれ? と思って診察券を探した。

      探したら、出てきた。

       

      病院の名前が、ぜんぜん違った。

       

      私がホテルみたいで絶対ここがいいと思っていたのは、■■病院で

      それを何故か私、○○病院と勘違いしていたんだった。

       

      どこでどうすり替わったんだろう??????

      あー、たぶんその病院名は、私が息子を妊娠したときに調べに行った、前の会社に一番近い病院だ。人生で一度だけしか行ったことがない。しかもホテルみたいでもなんでもない。なぜその名前が出てきたのか、皆目検討がつかない。

       

      どこで何がすり替わっちゃたのかわからないけど、○○病院には私の病気では名医と言われるひとがいたらしい。そしてその先生を、私は第一印象でかなり好きになった。狐につままれたような気分だ。

       

      その病院はボロい。

      最初に行っていた病院より、ボロい。

       

       

      そんでも、なんだか最初に通っていたところより

      今のところのほうが、行くのが楽しくて、古いのがぜんぜん嫌じゃなくて

      そういうの含めて、なんだかおもしろいなーって思う。

       

       

      いろんなことが、不思議と重なっていった1ヶ月だった。

      最初の頃は、もう本当にヘタれてだめだと思っていたけど、今、手術が決まったらちょっとふっきれた。

       

      まだまだ、もうちょっと「おもろいなあ」と思ってることはある。

      それは、また書く。(勝手に)

       

       

       

      やっぱり、時間が経ってくるとしっかりとまとめたようなこと語りだすなー>笑

      私がいろいろ聞いて、すごいなあ、えらいなあなんて思っていたのは、こういうことなんかもしれないなー。

       

      まだごちゃごちゃしていて

      やっぱり時々、怖くなる。

      そして、ちょろっとした暗黒星雲に飲み込まれそうになる。

      前に友達が

      「手術が終わったあとの、すっごい爽快感、あれ絶対味わえるから!」って言ってたけど、そうなのかな。

      そのあとの暮らし、人生、どんな風に変わっていくのかな。

       

      まだぜんぜんわからないけど、とりあえず目の前にあることをひとつづつ。

       

      また書くね。

       

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      運勢、運命、宿命みたいなもの。人生のシナリオは誰が決めるんだろう、ってことについて。

      2018.07.14 Saturday 00:34
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        30代のときに、「宿命大殺界」という細木数子の本を読んでしまい(まさに、読んで”しまい”)、そこで私の宿命大殺界は58歳だということがわかった。

         

        細木大先生によると、人生には12年毎の大殺界があるが、誰にも人生で一度だけ、その中でも一番ダメージの大きい大殺界が来るときがある。それが宿命大殺界。

        これが50歳を過ぎた頃にやってくる場合は

         

        あなた、死ぬわね

         

        ってことだと書いてあった。若いときは乗り切れる苦難も、もうその年になったら乗り切れずに人生が終わる。ま、あきらめてくださいってことらしい。

         

         

        細木数子大先生などまったく信じていなかったけれど、「死ぬわね」と言われたら気になる。

        それで、自分にとってはなんとなく58歳というのは節目だなあと思っていたところがある。いったい何が起こるんだ!? と。

        私の予想では親の介護や死にまつわることだろうなあ、とぼんやり思っていた。うちは親がいろいろ問題を抱えていたので、まあ、そういう面倒なことに巻き込まれるわけかな、と。

         

        もうひとつ。

        ある時から私の手相の生命線の上に、ぽつりと脂肪瘤のような小さなおできができた。

        気になってひっかいたり、むしったりするのだけれど、なくなるどころかどんどん大きくなり、最近にいたってはカッターで削ったりしてみたりもしていた。アホか。

        でも、生命線上のできものは、病気や怪我などによる生命の中断を意味することもあるので(って、手相は多少かじった)、気になるじゃないか。それが、年齢的に宿命大殺界の58歳を示すあたりにできて、生命線を大きく分断しているなら、なおさら。

         

         

        というわけで、私がガンの告知後に不安定になったことの理由は、上記のようなこともあった。

         

         

        終わりかー。

         

        これだったのかー。

         

         

        もうちょっと生きたかったなー。

         

         

         

         

        占い、信じてるわけじゃないのに、なんだか一度聞いてしまったら、こういう符号はダメージになるもんだなー。

         

         

        私の計画では、自分の人生は72歳と決めていたのだった。

        なぜかわからないけど、いろんな運気が周期のように回ってきた人生を振り返ると、次にぐるりと回って戻ってくる72歳っていうのが、店じまいの幕引きにはちょうどいいなあ、と。

        なんかそんな予感のような決意のようなものも、あった。

         

        なので、なおさら、凹んだ。

        まだ14年あるのにー、と。

        早いー! これから少しづつ店じまいの準備をしようと思っていたのにー。

        突然すぎて追いつかないよー! と。

         

         

        なんか、いまさら書いてみると笑い話に聞こえるなー。

        大殺界とか手相とか。

        あほみたい。

         

         

         

        でも、一度聞いてしまったこと、一度気にしてしまったことは

        今回のようなことがあると、なかなかそこから自由にはなれないものだ、と思った。

        迷信や信仰や、その他もろもろ、なんか運勢や運命や宿命みたいな言葉で表されるものの持つ力は、意外と大きいもんだ、と思う。

         

         

         

        さて、そんな前置きから何を話したいかというと、

        今回ガンがみつかって、その後じたばたしていた間にあった、あれこれの不思議なこと。

        なぜ今みつかったんだろう、ってこととか

        神様はどんなシナリオを私に書いているんだろう、ってこととか。

        ほんとに不思議だなあと思うので書いて残しておこうと思う。

         

         

        長くなりそうな予感。

        途中で後編に行くかもしんない。

        読んでくれている人がいるのかどうかもわからないのですが、ほんとすません、勝手に長くなります。

         

         

        ときは5年前にさかのぼる。

        2013年に、いろいろ思うところあって息子とアメリカに滞在した。

        しかも、そこで大学に4ヶ月通った。ビザ取って。

         

        それが、本当の本当に大変だった。

        あそこまでのストレスって、やっぱり人生の中で最大級だったように思う。

        細胞破壊されて、ダークサイドに落ちて、ボロボロになって帰ってきた>笑

        ま、それもいい体験だったけど。

        で、息子はそのままアメリカに残って、いい体験をたくさんしていい青年になった。

        ほんとそれ、よかった。

         

        でも、私はボロ雑巾になった。

         

        で、そんなボロ雑巾で婦人科の検診に行ったら、いつも先生がやめてしまって、新しい若い女医さんが、しれーっと

        「子宮肉腫の疑いがあります」

        とぬかした。

         

        なんすか、それは?

        彼女は私に目を合わせようともせず、ただ

         

        「悪性かどうか調べようがないので、6ヶ月後にまた来てもらって、大きくなってたら検査しましょう、はい終わり」と言った。

         

         

        ようわからんまま帰宅して、

        ネットで「子宮肉腫」と調べて、

        私、文字通り腰が抜けてへたりこんでしまった。

         

        最初に出てきたのは「妻が亡くなりました。頑張りましたがだめでした。子宮肉腫でした」というブログだった。

        へ?

         

        そのあとはぞろぞろと、治癒不能的な情報が羅列され

        読んでいるうちに貧血状態になり、そのままソファに倒れ込んで動けなくなった。

        なにそれ?

        子宮がんとか、子宮頸がんとか、それでもショックなのに、肉腫ってなに?

         

         

        あの衝撃は、すごかった。

        今より、ずっとすごかった。

        なんの予測も準備もなく、ただ突然、自分の人生の終わりを告げられたように思った。

         

        あの日、半泣きで数人の友達に相談し

        うちにすっ飛んできてくれた親友と

        電話でたくさん話しを聞いてくれた大切な友達と

        セカンドオピニオン先を紹介してくれた友達たちのしてくれたこと、私絶対忘れない。

        本当にありがとうございました。助けられた、救われた。

         

         

        結果的に、そんな悪いもんを6ヶ月大きくなるまで何もせずにほっとけという対処が全く納得できなかったので

        友人に紹介してもらった医師に予約を取り

        (普通なら2ヶ月先という予約が、ひょんなことから10日後に取れるという奇跡が起きた)

        あっという間にCT等の検査をして

        「エコーみるだけでわかります、これ、悪性のわけないから」とさらりと笑顔で診断してもらい

        「6ヶ月待って検査ってね、この場所は細胞診なんてできないから、検査ってもう手術のことよ。なのでその診断はまったく現実的じゃないです。大丈夫、CTの結果見ても、なんの心配もなし!」

        「本当に辛い思いをしたね。今日は帰って、美味しいもの食べて、ゆっくり休んでくださいね」と

        神様のような優しい言葉をかけてもらって、この騒動は終わりになった。

        本当にいい先生だった。

         

        重ねて言うなら、なぜその医師を紹介してもらえたのかというと

        その10日ほど前に、友人がその医師の病院に入院して婦人科系の手術をしたのをお見舞いしていたから。

        ホテルのように素晴らしい病院で、私も病気にあったらここに来ようと思った。

        その矢先の婦人科系での告知だったという、タイミングのよさだった。

        そしてこの病院との関わりも、今回のガン告知と微妙につながっている。それはまたあとで。

         

        というわけで、この子宮肉腫事件は

        なんだよ、それ、たちの悪い誤診最悪!!! という笑い話で終わったかのように思ったこの顛末だけれど

         

         

         

        私、最初に肉腫の疑いと言われたとき、強烈に心に渦巻いた気持ちが、忘れられなかったんだ。

         

         

        ”なんで? まだやりたいことがいっぱいあるのに! 行きたいところも、してみたかったことも

        まだまだたくさん、それ、全部できないまま終わるの?”

         

        そして、なんで病気になってしまったのかを考えた。

         

        ”やっぱりアメリカなんか行くんじゃなかった。本当に行きたいところ、したいことをするべきだった。

         私、フランスに行きたかったじゃないか。英語じゃなくてフランス語。勉強じゃなくて美術。

         自分を偽って辛い思いをして、それで病気になっちゃった。そんなのやだ!”

         

         

        ある意味、私の人生、そこから大きく変わったように思う。

         

         

        「いつか」 

        と思うことをやめた。

         

        「役に立つから」「便利だから」「そのほうが都合がいいから」といった言い訳を

        全部やめた。

         

         

        一番したいこと、一番行きたい場所、一番自分らしいことに

        とにかく片っ端から手をつけようと思った。

        いつか、と思っているうちに、人生が突然終わってしまうことがある。

        そんなくやしさ、辛さ、悲しさは味わいたくないと、本気で思ったんだと思う。

         

         

        あれから5年。

        もうね、ほんとやりつくしたよ!

        したいと思ってたことをほぼやり尽くしたら、「いつか」がだんだん人生から減りだして

        そこに浮上してきたのが、前に書いた「メメント・モリ」だったわけで

        店じまいという、「いつかの死」に関心が向くようになってきた、というわけなのだった。

         

        いやあ、ほんとによくやった。いろいろ。

        なので、ある意味、やり残したことってもうないなあと思ったりする。

        まだやりたいことはあるけど、5年前のあの、強烈な慟哭はない。

         

        言い方を変えれば、今回の私が受けた告知はショックで、暗黒星雲をさまよったけれど

        もっともっと強烈な慟哭を体験する人がいっぱいいるんだと思う。

        本当に、すごいことだと思う。

        5年前の私のはほんの数週間で笑い話しになったけれど

        その現実がさらに深く、重く、続いていく人たちがいて

        病と向き合うということに対して、ほんとに深く頭を垂れるしかないなあと思ったりもする。

         

         

        そんな5年間を送ってきたんだった。

         

         

        さて、今回ワタシの肺にみつかったガンは、一応いまはギリでステージ1ということになっているけれど

        それなりに育ってはいて

        主治医がぽろりと言ったセリフによると

         

        ”ここまで育つのにだいたい5年ぐらいかな”

         

        ということらしい。

         

         

        子宮肉腫事件があったのが、5年前。

        5年。

         

        肉腫ではなかったけど、まあ、それなりに何かは起きていたんか、自分の体、と思ったりする。

        ま、違うかもしれん。

        そんなこと考えてもどうしようもないし、すべてのこと後悔もしていないのでいいんだけど

         

        私が検診を受けていた病院では、3年ほど前から

        「なんか肺に影があるけど、石灰化とかだと思うよー。大きくなったら見てみようねー」

        「別に変化ないねー。大丈夫でしょー」

        というやり取りが続いていたのだった。

         

        うむ。

         

        ほいじゃ、3年前にもっと検査してたら、もっと軽くてみつかったのかしら。

         

        っていうか、じゃあ、なぜ今年急に?

         

         

         

        それ、影が大きくなってたわけでも、自覚症状が出てたわけでもぜんぜんないの。

        偶然が重なって、みつかった。

        その偶然のいろいろが、なんだか私の人生のシナリオのような気がして。

        おもろいなあと思うんだー。

         

        それ書き出すとまだまだ長くなるので、前半はここで終わり。

         

        後半につづく。

        category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

        一日で人生が激変する。そんな時みんなどんな気持ちだったのか、私、ぜんぜん知らなかったよ。

        2018.07.11 Wednesday 09:47
        0

          ガンになった。

           

          というか、正確にはガンがみつかった。

           

          先だって、メメント・モリという日記を書いたけれど、それはわかる前からずっと考えていたことだった。

          タイミング的に書き留めておかないと、あとでわけわかめになるなあ、と思って書いておいて、よかった。

           

          本当に不思議だ。

          今回のことは青天の霹靂だ、と思ったけれど

          たぶん、からだの奥底で、頭のどこかで、心の片隅で、

          ちょっと前から、わたし、ちゃんとわかっていたんじゃないかと思う。

           

          ということで、ここからしばらく、このブログはこの手の内容のことが増えると思う。

          避けたい人は避けてほしいと思います。

          誰でも、近寄りたくない話題は、あるから。

           

           

          それでもね

          ちゃんと、書いておきたい、と思った。

           

          私自身が、わかった日からそれを受け止めていく間に自分の中に起きたことが

          もう、ぜんぜん予測不能で、どうしていいかわからなかったから。

          いまはガンは治る病気だ、大丈夫だ、といくら言われても、私の中身はぜんぜん大丈夫じゃなかった。

          メメント・モリなんて考えていた時期が続いていたから、なおさら、だ。

           

          あれ?

          私のまわりにはガン告知を受けて治療している人が結構いるのに

          最初の衝撃については「辛かった」「しんどかった」というような言葉でしか受け止めていなかった気がする。

          辛かった、という言葉だけで済むものだったんだろうか。

          なんか、もっともっといろんな気持ちが竜巻のように渦巻いていた。

           

          人によって、部位によって、進行によって

          それぞれみな違う体験だと思うけれど、記録とかじゃなくって、

          私はわたしが感じたことを自分の言葉で書いておきたいなーと思ったんだ。

          気持ちが落ち着いて、あとからきれいな言葉でまとめてしまう前に。

          達観して、大人の発言をし始める前に。

          (あー、もう少しそんな段階に差し掛かっている気もする、、、、>苦笑)

           

           

           

           

          誕生日の3日前に、特定健診を受けた。

          その日の夕方から、翌日土曜日の昼まで、普段ほとんど鳴らない(鳴っても出ない>笑)固定電話がガンガンなり続け

          どういうセールス? と根負けして出たら昨日の医師からだった。

           

          週明け、すぐ来て、という。

          てっきり、ずっと高かったLDLコレステロールのことだと思った。

          ほんで、のほほんと、でかけた。

           

          のんきにしてる私の横で、とりあえずCT撮ってきて、すぐ! と真顔の医師がいて

          映像を見たら

          すぐ検査ができる病院へ、紹介状書く、ほんとびっくりしちゃうね、ごめんね、あさってとか、しあさってとか!

          とにかくすぐ。

           

          医師が拡大したり縮小したりしているCT画像は、私の肺のものだった。

          スターウォーズに出てくる暗黒星雲のような渦巻いた光が、あった。

          なんだ、これ。

           

           

          このあたりまでは当事者意識がなく

          それでも、紹介状を書かれた、まったく知らなかった病院に出かけてみたら

          あれよあれよと検査入院となり、次から次へと検査が続き

           

          今日、最初の検診を受けた日から、ちょうど1ヶ月が経ったことになる。

           

          まだ一ヶ月だけど、もう一ヶ月で、この時間はからだの状態を調べることでほぼ費やされていたから

          治療展望が見えない暗闇の時間だった。

          前向きになんてぜんぜんなれなかった。

          細胞診検査、PET検査、脳のMRI検査と続くたび、もう、すべて一番悪いシナリオばかりが頭に浮かんだ。

           

          なんでいっぺんにわからんのだ。なんでこんな時間がかかり、体と気持ちの負担ばかり降り積もっていくんだ。

          予約、予約、予約。何でも予約。

          時間がかかればかかるほど、暗黒地帯をさまようじゃないか。

           

          今日と同じ明日が続いていくという前提が崩れてしまい

          今困難にあっても、未来で解決できるという展望が見えない時間。

          自分の努力も工夫も、何者も抗えない時間に突然放り込まれて、悄然とした。

           

           

          それ、なんか

          こんなことを「考えていた」とか「思っていた」というのとも違うような気がする。

           

          からだと頭の気持ちが、まったく統制が採れず

          ただただ、衝撃を受けてた。

           

          そうだなー、例えたら

          からだの中にミキサーがガーッと回ってる感じ。

          思ったり考えたりする暇もなく、言葉で言い表せるわけでもなく

          ただただ、自分の中にあるいろんなものが一斉にガオガオとミキサーにかけられて

          それが四六時中続いているから、なんかもう、自分全体が内側から打撲傷みたいな>笑

          体調も気持ちもコントロールできず、ただひたすら、不意に粉砕されるような時間が続いた。

           

          ああ、ミキサーみたいだなぁと、かろうじて気づいたけれど

          中身を回っているのはジュースみたいなきれいなものじゃまったくなく

          もっと、タールみたいな黒くて茶色くて、どろーっとしたもの。

           

          ステージや転移状況がわからない間は、そんなタールみたいなものでからだが満たされていた。

          時々、ガーッとミキサーが動く。

          仕事や家事やともだちとのいつもの日常の延長の時間を過ごしている間は

          静かに気持ちが落ち着いて、あれ? なんでもなかったんじゃないかな? と一瞬錯覚する。

          そんな一瞬の隙きをついて

          どろーっとタールがからだを覆っていく。

           

          肺だった、というのも大きかった。

          なんで、肺?

          死亡率も転移率も高いんじゃなかったっけ?

           

           

          昔「Xファイル」っていうテレビドラマがあって、あの中で異星から移植して来た生物が「ブラックオイル」というウィルスに感染するというシーンが何度も出てきた。

          ふだんは人間の姿をしているんだけど、この黒いオイルに感染した人は、何かの折に目がどろーんと真っ黒い液体で覆われて、白い部分がなくなり、そのうち鼻や口から黒いタール状のものが溢れ出したりする。

           

          あんな感じだった。

          ブラックオイルは、別名「ブラックキャンサー」と言うらしい。

          まんまやん。

          そういえばあのドラマには、肺がん男ってのも出てきたな。

          楽しく見ていたのに、今はもうその言葉さえ聞きたくないわい。

           

           

           

          そんなわけで、だいたいのステージがわかるまでの間、

          私の中身はほぼ、そのブラックオイルみたいなもので覆われていたような気がする。

          コントロール不可でミキサーが動いて、どろーっとしたブラックオイルが撹拌され、

          一瞬忘れて静かに暮らしていても、ふいをついて、ブラックオイルがからだを満たしていく。

           

          なんだ、この比喩。

          何の役に立たない気もするけど、そう思ってたんだから仕方ない。

           

           

           

          情報が少しづつ見えるようになって

          ブラックオイルのどろどろ感は減った。

          意味不明の不安や恐怖やわけわかめ感に、少しづつ言葉での解説がつけられるようになった。

          時間、かかった。

          逆に言えば、そういう時間は延々と続くわけではないので、時間が解決していく、と言えるのかもしれないけれど

          最中にいる間は、本当にどうしていいかわからなかった。

          この時間、ちゃんと誰かサポートしてくんないと無理と思ったので

          知り合いのカウンセラーさんにサポートグループを教えてもらった。

           

          ほんでも、そこに連絡を取ってでかけていく気持ちの余裕はなく

           

          病院にケースワーカーがいて援助します、と言われたけれど

          治療方針や医療情報の援助ということだったので、ただうろたえている私にはまだ早すぎるらしく

          仕方なく、検査を担当した呼吸器内科の先生に頼んで安定剤を処方してもらった。

          えー、そう簡単に安定剤とか出さないよと言われたけど、お守りとして持っておくだけでいいんです、と頼んで処方してもらった。

           

          たまに、それに頼ってほんと助かった。そういうの、どんどん頼ればいいって思った。

           

           

          なんか、自分弱かったなー、

          ぜんぜん、へたれだなー。

           

          まわりの人が、みんなもっと強くてしっかりしていて立派なように思えた。

           

          親戚にガンがほとんどいなかったこともあって、保険の準備もしていなかった。

          てっきり、脳梗塞とか婦人科系と思っていた。

          いろいろもっと、ちゃんと準備していてよかったという友人の話を思い出し

           

          自分はなんていろいろ下手くそなんだ、と落ち込んだ。

          うまくやった、運がよかった、準備しておいてよかった、という賢い知人友人の言葉が渦巻いて

          それをできなかった自分が、おそろしく間抜けに見えた。

           

          なんでガン保険入ってないんだ!

           

          自分の人生、ずっとそうだったような気になった。そうだ、ずっとずっと、ぜんぜんだめだった。

          意味もなく自分を責めた。

           

           

          同時に

           

          これまで周囲で病気になった人の話題に及んだときの会話が急に蘇ってきた。

           

          「○○さん、ガンだって」

          「どこ?」

          「膵臓」

          「あー、きついね。肺と膵臓は見つかったところで手遅れってこと多いから」

          「そうなの?」

          「手術したっていうから、まだそれだけでも救いだね。転移してたら手術もできないから」

          「!!!???」

           

          私、その会話のあと、その膵臓ガンの子からメールもらって、すぐに返事できなかった。

          怖くって。そうなの? みつかったところで手遅れなの? って。

          でも本人に詳しく聞けなくて、怖気づいていた。

           

          あれ? じゃあ、肺も?

          そうなの?

          先生手術すれば大丈夫って言ってたけど、それって「まだ救い」ってレベル???

           

           

          過去の何気ない誰かとの会話をこんなに覚えてる自分に驚いた。

          そして、周囲で何度となく繰り返されてきた

           

          「○さん、ガンだって」

          「△さん、肺に転移したって」

          って話をするときの、急に声を潜めてひそひそ話をする人たちの姿が思い浮かんだ。

           

          「肺に転移したのか、それもうだめだな」

          「骨に転移? 背骨骨折したりしたら、寝たきりになっちゃうんでしょ」

           

          ひそひそ、ひそひそ。

           

           

          ああ、私もそんな風に言われるんだ。

           

          ガンだって。

          肺だって。

          あー、きついね。

          かわいそうに。

           

          ひそひそひそ。

           

           

           

          なんだ、この被害妄想みたいの。

           

           

           

          アホみたいだけど、もう、自分の中身はそんなことでいっぱいになっていた。

           

           

          これまでのことを、すごく反省した。

           

          私、もう人の病のこと

          ちゃんとわかりもしないのに、そんな風にひそひそ言わない。

           

          簡単に、もうだめだね、なんて会話に安易に乗らない。

          絶対に。

          それ、あとで全部自分に戻ってくる。

           

           

          同時に、病が語られないことについても考えた。

          状況が見えないから、どう扱っていいかわからなくなるんだ、と。

           

           

           

          自分の病気のことや、それで感じたこと、いまの状況をちゃんと書いていこう、語っていこうと思ったのは

          そういう理由もある。

           

          わからないことで、ひそひそ言われたくない。

          見えないことで扱いづらさを感じられたくない。

          大切に生きてきた自分の人生を

          ただ病気になったということだけで

           

          かわいそうに、

           

          なんて言われたくない。

           

           

           

          ほんだもんで、書いている。

          「言われたくない」と思ったことなんて、たぶん誰も言わないのかもしれない。

          だから、自分のことだけを考えておけばいいんだと思う。

          でも、弱ったらそんなことを考えてしまう自分がいたことも確かだった。

          だから、そんな自分のために、書いている。

           

           

          病気のことを、周囲に言わずに生きていく人もいる。

          私、ハタと気づいたけど

          こんなことを書いていたら、仕事来なくなるのかもしれない>笑

          あー、そんじゃ無理ですねーって。

          しばらく闘病ですよねー、じゃあ他の人にって。

          だよなー。

           

          それでも、書いておきたいと思った。

          なんというか、自分の尊厳のため、みたいな。うまくいえないけど。

           

          同じ思いをした人がきっとたくさんいて、

          これから同じ思いをする人がいるかもしれなくて

          まったく違う人もいて、違う意見もあって。

          そんなの含めて全部、なんか誰にも言わないという選択肢は選べなかったー。

           

          自分は自分で思っていた以上に、へたれだった。

           

          へたれてへたれて、みっともないぐらい弱かった。


           

           

           

           

          そんでも、へたれて弱くなって、

          大人な対応も立派な態度も取れなくなって、

          いますごく思ってるのは

           

          ずっとよく見えないでいたけど

          自分の周りにはどんだけ優しい気持ちや愛に溢れていたんだろーってこと。

          あ、なんか妙にまとめた感じのこと言い出してる>笑

           

          でも、それ、ほんと。

           

          一人暮らしだった私だけれど

          助けて、と言ったら

          ちゃんと気持ちを向けて手を差し伸べてくれる人たちに囲まれているってことをいま、教えてもらってる。

           

          ありがとうございます。

           

          そうして、弱いへたれな自分に向き合い、

          助けてもらう練習を、いま、している。

           

          病はみつかったら、もうそこから先に進んでいくしかなく、

          取り巻く状況も、自分の気持もどんどん次に向かっていて、今ここにある私の気持ちは、明日には別のものになっていたりする。

           

          ありがたいことに、私のガンは手術で治療ができて、その日程が昨日決まったので、前に書いていたこの日記を今日公開しようと思う。暗黒星雲の中にいた私の気持ちは、昨日を境に別の場所に移動した気がする。だから、この日記の内容は、書いておいて本当によかったって思う。ほんと、人の気持って不思議だなー。

           

           

          いま、闘病って言葉は、なんか違う気がするから、ガンと「闘う」とは思っていない。

          そして「頑張る」となるべく言わないようにしている。

           

           

          そんなあたりのことを、また、書くと思う。

          ゆらりと、向き合っていきます。

           

           

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          メメント・モリ 人生100年時代に死が見えない不思議

          2018.07.04 Wednesday 04:20
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            ずっと考えていた話題が、慌ただしさの中で放置されていううちに心の中で遠のいていくので、とりあえず今のうちに書き留めておこうと思う。

             

            6月に58歳になった。

            TVの健康食品のCMとか、もう一億Forever young状態だし、人生100年時代なのだとあちこちでうるさいから、今の時代58歳はまだ若いということらしい。確かに、見ばえとしては、58歳の自分はまだ、若い。

             

            それでも、私の中では今は十分に成熟した年齢で

            再来年が還暦だと言われると、なんだかもうずいぶん遠いところに来たもんだ、と本当に思う。

             

             

             

            昨年のはじめに息子が独立し、その後すぐに父が倒れ、一年ほどの闘病を経て昨年末に亡くなった。

            その後はひとりぐらしになった母と、老犬になったパグのちょこのフォローで、同じくひとりぐらしになった自分のフォローがうまくできないまま、漠然と、自分はこれから、どうやって生きていくのだろうということを考えていた。

             

            37歳でフリーランスになってからずっと、私の毎日は、仕事と育児と家事と、それからその他いろんな楽しいことや面倒なことで24時間が埋め尽くされていて、なんだか息をつく暇もなかったなあ、と思う。

            でも、それは同時にひどく充実した、魅力に満ちた時間でもあって

            おそらく、会社員として時間を拘束されなかった私は、その分、濃厚に人生の時間を消費したような気がする。

            やりたいことは、ちゃんと全部やった。

            そんな風に思うことが増えた。

             

            昨年、なんとなく子育てを卒業したのだなあと思った日、つれづれと自分の人生を振り返って思ったのは

             

            ああ、私

             

            生きることを、さぼらなかった

             

             

            ってことだった。

            まじめでも勤勉でもなく、へたれで、手抜きずぼらが得意で、学校の授業も面倒な役割もさんざんさぼってきたけれど

             

             

            生きること

             

            だけはさぼらなかった

             

             

            そんな気がした。

            生きることはときにひどく困難だった気もしたけれど

            そのときどきにおいて、とりあえずはちゃんと生きた。

            たぶん、結果として、とてもしあわせだった気がする。

            そんで、ふと気づいたら58歳だけれど

            もうすでにやりたいことのほとんどはやってきてしまって

            あれ

            残った時間、私は何をして生きていくのかなあ。

            会社員で定年があって、時間の使い方がガラリと変われば、その後の人生でやりたいことがたくさんあるように思うけれど

            やりたいことはとりあえずできる同じ時間が続いていく自分にとって、ここから先の時間をどう生きていくんだろう。

             

            そんなことを考えていた。

            子育てで奔走していた時期には、考えもしないことだった。

             

             

            12年が5回まわって還暦になるって

            たぶんそういうことだよなあ。

            ひとまわりして、することちゃんとしてきて、なんか残りはおまけみたいなもんだから

            そこで何をしていくのかって、今すごく考える時期なんだよなあ。

            私はそう思うんだけど

             

             

            なんか世の中的には、人生はまだまだずっと同じように続いていて

            40代のようなスタイルを維持して、走って泳いで、そしてまだまだ現役で働き続けて

            途中で病気になっても現代医学で治癒するからそのまま100歳まで生きるのだ、ということらしい。

            なんだろう、その根拠レスな自信>笑。

             

            なんか、とてもとても、疲れるなあと思った。

             

             

            100%の人が全員死ぬのに

            いま生きている中で死が語られず、若いこと、生きること、働くことが語られ続けることに、なんか疲れてしまうんだと思う。

            人生100年時代なんて言われて、「死」が見えなくされている今って何なんだろう。

            長寿社会は素敵なことかもしれないけれど、高齢者層がなかなか死なないことで、日常から死が遠くなった。

            そこにふいに忍び寄ってくる「死」は、だからやっぱり怖い。

             

             

            少し前に、友人がまだ若い息子を亡くした時

            彼女のもとに飛んでいく勇気が私にはなかった。その現実が恐ろしくて。

            久しぶりの便りで、ステージ4のがんで闘病中だと伝えてきた幼馴染に

            すぐ返事が書けなかった自分がいた。どう向き合えばいいのかわからなくて。

             

            そして先日、辰巳渚さんが52歳で事故で逝ってしまった。

             

            死の前で自分があまりに無力で、なんの準備もできておらず、ただ立ちすくむだけだという現実に、うちのめされた。

             

             

            天寿を全うしたであろう父のときは

            死よりも、死の儀式に消耗して、体調を崩した。

            直接、死の儀式に関わったのは、思えばはじめてのことだった。

            自分のもろさが、情けなかった。

             

            ああ、思い出した。

            94歳で亡くなった祖母は、死の間際に病院のベッドで「死にたくない!」と叫んだのだった。

            強烈だった。

             

             

            そんなこともあって、今年のはじめぐらいから、私は、私の店じまいをどうやっていくのか

            ということを考えるようになった。

             

            友人たちからは、まだ早すぎると言われたけれど

            自分としては十分に、もう、そういう年齢なのだと思ったんだった。

             

            人生を振り返ってみたら

            20歳の成人式までは、自分の人生を構築するために勉強したり経験することで過ごして

             

            その後の20年

            40歳までは、社会の中で自分の居場所を作るための基礎づくりをした時代だったなあと思う。

            就職や転職、結婚や出産をして、「働いて生きていくこと」の基礎を作った。そんな時代だった。

             

            ほんで、そこから20年、

            俗に言う還暦までの間に、自分が作った基礎をもとに、社会に何かを還元していく。

            それは自分が「何者かになる」ための時間だったんじゃないかと思う(まだ2年あるけど>笑)。

             

             

            60歳からの時間は、だから、そんな風に店を出した自分が、ちゃんと店じまいをするための時間なんだ。

             

            って

             

            そう思ったんだった。

            「家」が延々と続いていく時代はもうなくて、私などは特に、最後はひとりなのだから

             

             

            敷地いっぱい広げた店を

            きちんとたたむ。

            それが今の時代を生きる、自分の人生に対する落とし前で

             

            どこまでも「生きること」に向き合うよりは

            どこからかはちゃんと、「死ぬこと」に向き合わないと

            いかんのじゃないの?

             

             

            そんなことを今年のはじめからよく考えていたんだった。

             

             

             

            還暦で人生がゼロに戻るのが60歳だとすると

            そこから先の店じまいが、次の20年後の成人式の80歳まで。

             

            生まれてから成人するまでにしてきたように、きちんと別の世界に行くための準備をする。

            保育園、幼稚園までかもしれない。

            小学校卒業まで行けたら72歳だ、御の字だ。

            中学で75歳、高校までなら78歳。こりゃ、進学や受験もあってしんどそうだなあ。

            大卒で82歳、そこから先は大学院で>笑 まあ、自分がどこまで行けるのかわからないけど

            そこまで行くには原資も必要だから

            ここから先は長ければよいってこともないように思う。

             

             

            彼岸に行くための成人の準備を

            そろそろ始める年齢なんじゃないのかな。

            生きることもとても大事だけれど

             

            メメント・モリ

             

            死を見据えること。

            いま、すごくそれ大事。

            そうじゃないと、立ちすくむ。

            いままでの枠組みのままでは、ここから先は無理。

            まだ早いの?

            そんなことないよね。

            そんなことを考えていた今年のはじめからの私なのだったよ。

             

             

            ってことを書いておこうと思いつつ、すっかり時間が経ってしまったので

            今のうちに。

            じゃあ、おやすみなさい。

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            人生で一番しんどかったセクハラについて書いたのを翌日読んで、速攻で消してしまった自分について、改めて考えてみた

            2018.04.25 Wednesday 21:41
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              最初の記事「人生で一番しんどかったセクハラについて考えた。言わなかったことより、言ってしまったことの打撃の強さに改めて打ちひしがれたんだった。」を書いてから、読み直して非公開にした。

              逡巡しているうちに、世の中は財務省のセクハラから、TOKIOの高校生キス問題に移行し、いろんなことが頭と心のなかでごったまぜになった。

               

              ごったまぜになったままだけれど、とりあえず今のまままとめておこうと思った。

               

               

              そもそも最初に記事を書いたのは、「報道を見るのが辛い」という女性たちの声が耳に入るようになったからだ。

              財務次官のテレ朝記者に対するセクハラ報道だ。私もその一人。

              なぜって?

               

              蘇るから。

               

              自分がされてきた数々のことが。

              そしてその前で、何もできずに言葉を飲み込んできたことが。

              細胞の奥のあたりで静かに、メンタルをやられている女性は、今の日本にはたくさんいるはずだ。

              それだけ、根深く、激しく、大事なことだと思ったので、ブログを書いた。

              内容は、最初にタイトルにつけたようなこと。

              「人生で一番しんどかったセクハラについて考えた。言わなかったことより、言ってしまったことの打撃の強さに改めて打ちひしがれたんだった。」

               

              かいつまんで言うと、私がこの件で静かにメンタルをやられたのは、過去のセクハラの詳細を思い出したということもあるけれど、もうひとつ大きかったのが、セクハラを報告した後の周囲の「女性たち」の反応が一番トラウマになったこと。当事者にどう扱われたかということより、それを報告した周囲、特に女性たちからどういう目で見られたか、というあたりが一番つらかった。今でも本当に、思い出すだけでしんどい。

               

              思い出したきっかけは、財務次官のセクハラ報道以降、女性記者に対して「売名でしょ」とか「打閣めあてだけだから」と言い出す女性が少なからずいたこと。

               

              どうせ新人の記者でしょ。下心があるからそういう場所に行くんでしょ。だって朝日でしょ。

              そういうこと言う男性は一定数いるんだから、スマートにあしらう術を身につけるべきでしょ、情けない、なんと無粋な世の中か。

              空耳かと思ったけど、たしかに一定数いたのだった。

               

               

              すごいな、と思った。

               

              よほどそうしたことと無縁の幸福な人生を送ってきたか、ねじれた挫折感や諦め感を持っているか、もしくはセクハラの問題と、政局の問題をごっちゃにしているかのどれかだ、と思った。

              人として、当たり前のように根源にあると信じていた倫理観みたいなものが、壊れていく。自分が壊れていくようで、なんかとっても気持ち悪い。でも、考えてみれば私の周りでも、確実に、似たようなことは起きたのだった。

               

               

              単に「セクハラ」という言葉を投げかけられたとしても、記憶も感情も反応も本当にそれぞれ違うのは仕方ないと思う。

              だからこそ

               

              声をあげた人に対して、無理解のまなざしを向けたり、批判したり、ハニートラップだの売名だのいい出すってことは、絶対やっちゃいかんことなんだ、同じ女性なら特に、と強く思った。だから、前の記事を書いた。

              そのあと、TOKIOのキス問題が起きて、さまざまな思いがからまりあってしまい、今に至る。いやもう、ほんと、なんとかして。

               

               

               

              それでも改めてこれを書いているのは、セクハラを詳細に書いてみたら、翌日にもう、速攻で消したくなった(そして実際に消してしまった)のはなぜなんだろう、という気持ちはは書き残しておきたいと思ったから。

               

               

               

              セクハラを言い出しにくいということ

              声を上げたからといって、まったく救われないということ

              そのあたりの心情というのは、つまりはこういうこと(書いてもすぐ消したくなる)なんだろうと思う。

               

              されたこと

              言われたことを報告しているうちに

              もう自分自身が汚されていく感じがする。

              些細なことであっても、確実に、心の何処かにボディブローが効いていて、もうそんなことは、自分の問題として共存したくもないし、向き合いたくもないと思っていく心の不思議。

               

              言い出せずに我慢するしんどさ

              伝えたことで受ける、周囲からの反応

              言わないまましまっていたから気づかなかったけれど、実際に言葉にしていくことで、確実に自分が汚されていく悲しさ。

               

              人生の中でこれまで、なかったことにしてきたことを、公にするということが

              どれだけ複雑でしんどい心のエネルギーを使うことか。

              レイプされたとか、犯罪に巻き込まれたとかそういうことじゃないんだよ。

              「セクハラが犯罪ですか?」とおっしゃる人たちにとっては、本当にたかが抱きつかれたり、おしり触られたり、キスを強要されたりとか(これもセクハラの範疇なのか、今回のTOKIOでよくわからなくなった。自分がセクハラだと思ってきたあれは、犯罪だったのか)、そいういうたぐいのことで、だ。

              そして書いたのも、たかがこんなブログの記事で、だ。

               

              たかがそんなことで、確実にライフがゼロになった。気分的にゲームオーバーだった。

               

               

              ほんまにね、だからこそ

              いい出した人を叩いたり

              それ犯罪じゃないし、とあざ笑うように言ったり

              ほんと、もうやめてほしい。

              されてみろ。

              されたことを誰かに言ってみろ。

              そして、そのあと思いがけない言葉で叩かれてみろ。

               

              ほんと、やってみてから言え。

              そう思う。

               

               

              某大臣が「犯罪じゃない」と言うのは例えばこんなようなことだ。

               

              原稿や写真の受け渡しと称して飲食店に呼び出されて、帰りにホテルに誘われるとか

              (当たり前だが断る)

              打ち上げで飲んでたら耳たぶなめてくるとか、おっぱいおっきいねーとねっとり見られるとか

              はたまた何故か手が膝からミニスカートの中に伸びてくるとか

              (大人の女として「だめですよ!」って対応してきたよ、そんな術が身につくんだよ)

              会食帰りに唐突に手をつないでくるとか

              (本当に意味不明だよ、なんでなんだよ)。

              そして、それを断るだけで、仕事が来なくなったり、プロジェクトから知らない間にはずれていたり、

              つながりのあった場所とやんわりと距離ができるというようなことが起こる。

               

              上記のような話を聞いて、「驚愕に驚いた」「そんなひどいことが本当にこの世の中にあるんですか」という女性がいたけれど、言っておくけど、こんなの当たり前だ。さんざん経験した女性はいくらでもいると、私は思う。

              ただ、やっぱりこの手のことが起こるのは、確実にパワーの上下関係がある場所なんだ。

              どっかのしゃちょーさんにお金目当てでむらがる女性といったパワーの上下関係じゃない。

              もっと複雑なパワーゲームが存在する場所だ。そいう場所にいる男性(場合によっては女性)が、屈折した自己確認のために弱いものにパワーを使う。パワーと性が結びつくと、セクハラになる。

               

              パワーがない場所であれば、「アホか」といなせる。

              アホか、とも、ひどい、とも言えない状況が巧妙に構築されているからこそ、辛いんだ。

              そうした場所にいたことがなければ、遭遇しないこともあるし、笑い飛ばして「男なんてそんなもの」と悪い思い出にならない人もいるかもしれない。だから、被害者を責める言葉を言えるのかもしれない。

               

              二人きりになる場所に行くのが悪い、という人もいた。そんなの軽くいなしていくのが大人の女、という人もいた。

               

              それじゃあれかい? 仕事の打ち合わせと言われても二人はお断りします、と言えとでも?

              なにを勘違いしているんだと言われるのがオチだ。

              大人の女なら、見られても、手をつながれても、仕事を続けたければ、お手てつないで歩いていろということなのかい?

              私みたいなフリーランスは、じゃあ、どうしろと?

               

              てやんでえ。

               

               

              さて、私が前に書いた人生で一番つらかったセクハラの記事は、当時交わされた会話や、周囲の人達のやりとりをかなり詳細に書いたものだった。

               

              それを読み返したら、ひどく辛くなってしまったので、以下はかいつまんで概要だけを書く。

               

              それは、もういまは亡き著名な方に仕事名目で誘われて出かけたら、普通のレストランの個室で迫られてほとほと困り果てたという話なんだが(もうかなり昔のことなので時効ってことで)、

              尊敬していた父親ほどの年の男性から「かわいいなあ、チューしよう」という言葉が出たことに対する呆然とするようなショック状態というのも大きかったけれど

               

              何事もなく(ほんとここ、大事)あわてて逃げて帰ってきたあとの

              勘ぐった家族からのその後の私への扱いやまなざし、

               

              そういうことに悩み果てて相談した友人たちの反応

               

              というのが、やっぱり何より大きかったように思う。

               

              自信過剰な私が取り越し苦労で誤解している、という

              もうなんともしょうもない後味の悪さ。

              誰だって、尊敬する人が若い女に抱きついてキスを強要するなんてことは聞きたくない、信じたくないのだ。

              それが真実であっても、認めてはあかんのだ。自分たちのためにも。

              本人は酔っ払っていて、明るく断られて楽しい思い出ぐらいに考えていたかもしれない。

              だから以来、何事もなかったかのように振る舞ってはきたけれど、私の中では、いろんなことはもう元には戻らなかった。

               

               

              人生の中のセクハラ認定としては、もっとひどいのもあるような気がする。

              でも、ダメージはこの一件が一番大きい。

               

              それはやっぱり、

              このことが、私が自分であるための「尊厳」みたいなものを壊してしまったからなんだと思う。

               

              何もしていないのに、周囲からあたかも、加害者のような目で見られ続けること。

              (加害者は別にいるのに)

              勇気を出して相談した結果、軽蔑されたり、信用されないという悲哀。加害側が信頼やパワーを持っていたら、なおさら。

               

               

               

              今回の事務次官の報道で、私がとても腑に落ちた神奈川新聞の記事がある。

              問題が表面化し、女性にアンケートを取ったら多数の同様の経験者がいることがわかった。

              そのうちの何人かに経験談を取材したら、メールで送ると言う。

              メールではなくて、今話してくれればよいと言うと、「到底口では恥ずかしくて言えない」という答え。

              届いたメールを見て、愕然としたそうだ。これは到底、口に出して言える言葉ではない、と。

              簡単に話せばいいのにと思った自分を反省したという男性記者の記事だった。

               

              セクハラは時に、普段自分の生活の中で到底口にしない言葉、表現を含むことが多い。

              何を言われたの? と聞かれて、同じ言葉を繰り返したくもないという経験は、多くの人がしているはずだ。

               

              恥ずかしいというのでもない。自分がその言葉の対象として扱われたことに対する、屈辱感や嫌悪感が大きい。

              まだ若かった私も、尊敬する紳士から「チューしよう」という言葉が出たこと自体が衝撃で、相談する際にも同じ言葉を仲間に伝えることすら、できなかったと記憶してる。

               

              その言葉に値する人間だとみなされているようで、すごく、自分がないがしろにされている気になるんだよ。

               

              セクハラ被害は、だから実際に言われたこと、行われたこととは別の言葉で報告されることもあるんじゃないか。

               

              余談だけど、これ、ほんとに言われたことあるんだけど(悲哀)

              「パンチィーの色なあに」(口に出しては到底言えない下品な発音だよ)と言われたことがある。

              もちろん黙っていたけれど、今、それを相談できる窓口があったとしても、

              「下着の色を聞かれました」としか言えないんだよ、どうしたって。

              だって、自分が穢れるじゃん。

              ったくもう、なんだよ。書いていて悲しくなったよ。なんでそんな言葉でそんなことを聞くんだよ。

               

              いや、どんどん思い出してくるので、もうそろそろやめるよ。ごめん。

               

               

              最後に、切に切に思うんだけど

              「自分たちが我慢してきちゃったから招いた結果」とか

              「自分たちが行動できなかったから後輩がいまだ同じ目に合っていることへの責任」とか

              そういうことを発言している女性たちがいるんだけど

              そんなん感じなくていいから、女性先輩諸氏って思う。

               

              我慢するしかなかったじゃん。

              行動したらどうなっちゃってたんよ。

              私のささやかな出来事でさえ、いまだ深くトラウマだ。

               

              我慢した自分に非があるなんて言ったら

              加害者の非はどこに行っちゃうの。

              悪いもんは悪い。

              それを悪いと声をあげられずに来たことに、いま、ものが言える時代になった。

               

              男女にかかわらず

              ハラスメントはしちゃだめ。

              性の関係性の根底はお互いへのリスペクト。

              もう、そこだから。

               

              とりあえず書いとく。

              また消すかもしれないけど、これが今の私の思い。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

              経験したことのないことは、ヒアリングしても想像してもやっぱり本当のところはわからないもんなんだよ

              2018.02.19 Monday 21:55
              0

                「おかあさんだから」の歌詞問題はさんざんあちこちで取りざたされたので

                改めて何を言う気もないのだけれど

                それに関していろいろ思うところがあったので、書いてみる。

                 

                あ、後先逆になりましたが、ご無沙汰してました。

                もう3ヶ月ぐらい書いてなかったよ。

                ブログって何なのかなあ、こういうの書く意味あるのかなあ、なんて今更ながら逡巡してたら

                父親が死んじゃったんだよ。

                そんで、あれこれいろいろ慌ただしく。

                久しぶりに来てみたら、あったかいコメントくださってる方がいて、

                なんだかありがたいなあ、また書いてみようかなあと思った。

                ありがとうございます。

                 

                それで、表題のことに戻る。

                 

                「経験」っていうのは、やっぱりものすごいことだよ、って思う。

                というか、人って、さほど多くの想像力は持てないので

                やっぱり経験したことのないことは、想像では絶対に網羅できないものだ、と切に思う。

                 

                自分自身のことですら、いざ、経験してみたら

                「えー、こういう時ってこんなこと思うものなの?」

                「うそ、自分でもこんな気持ちが湧き出てくるもん?」

                ってことはいっぱいある。

                いわんや、人のことなんてわかるわけないわ、と思うわけなんである。

                 

                 

                最近、自分がこんなことを思うのか! こんな風になるのかっ! と驚愕したことのひとつに

                息子の独立っていうのがある。

                シングル子育てしてきた私の場合、息子が就職して、通勤が遠くなっちゃったので一人暮らしするよ、と家を出るってことは、すなわち私も一人暮らしになることを指す。

                 

                世の中でよく

                卒母 とか

                子育て終了宣言とか

                 

                そんな風に語られていることの先に

                 

                空の巣症候群

                 

                なんてものがあるということはさんざん耳にしてきていたわけで

                そんな中で

                 

                もうかなり昔から息子は早めに家を出て独立すべきだと公私共に豪語して

                なんといってもしばらく前にアメリカに息子を送り出して一人暮らしは経験しているわけで

                気持ちも状況も準備万端で、空の巣症候群になることなんてない! と確信していたのだった。

                 

                だから、息子がそそくさと一人で物件を決めてきて、なんか勝手に友達に頼んで引っ越しも済ませ

                私に頼ることもなく、さらっと独立していったのは、本当にすんばらしい、

                自分はなんてよい子を育てたんだ、子育て大成功じゃん! なんて思っていたのだった。

                 

                 

                だから

                 

                 

                引っ越しの日、荷物積んで

                最後に部屋をきれいにそうじして、

                お世話になりました、と頭下げて息子と友達がバンに乗って家の前の道を遠ざかっていったあと

                家に戻って

                からっぽになった息子の部屋を覗いたとき

                 

                その場にへたりこんでしまった自分に

                 

                心底びっくりしちゃったのだった。

                 

                 

                 

                寂しかったわけじゃないし

                哀しいわけでもなく

                 

                ただ、腰が抜けた。

                 

                そんとき自分の頭に渦巻いていたのは、ただただ

                 

                「疲れた」

                 

                 

                って言葉だった。

                 

                 

                子育て終わった。

                ってか、子育てって、もうなんていうか、激しくハードだったんじゃね?

                私、疲れたよー。ほんとだよ、心底疲れたよー!!

                へとへとだよ。

                なんか、すごくよくやったよ。

                よくやった。

                もう、なんだったん? これ。

                このすんばらしく濃厚で、キラキラして、でも泥のように重い疲れって、なんなん?

                 

                 

                 

                ほんで、3日ほど使い物にならなかった。

                 

                やってる最中は無我夢中で考えたこともなかったけど

                子育ての中にはすごく素敵なたくさんのことがあって

                でも同時に、膨大なことを乗り越えたり、犠牲にして我慢したり、ガチンコで向き合ってきた

                もう、その自分の費やしてきたエネルギーに、圧倒されてしまったんだと思う。

                終わるとわかってはいたけれど、想像などあまりしなかったことが

                本当に突然終わってしまった時、

                自分自身の過ごしてきた時間に圧倒されるという経験を、私は初めてしたんだった。

                 

                自分、とうちゃんもかあちゃんも、一人でやってきたからかもしれないけど、

                これまで知っていたものとは全然違う

                もうぐったりとへたりこむような重い重い

                それでいて晴れやかで誇らしい、とても不思議な大きな疲労感だった。

                 

                それは私が「子育て終了」とか「空の巣症候群」などとして想像してきた

                 

                子供がいなくなったから寂しいなんて、子離れしていない証拠

                 

                なんて思ってたこととは全然違う

                なんというか

                ありとあらゆる気持ちが詰まっていて、同時に

                本当にその時間の中に自分が投入されてはじめて、「えー、私今こんなこと思ってるよ! こんな状態になってるよ!」って知ってびっくりしまくる、という気持ちも詰まっていた。

                 

                 

                まあ、そんなわけで

                私の子育て終了は、子育てって仕事のすごさに「腰を抜かす」という経験だったわけだけれど

                 

                その腰抜け状態はほぼ3日ほどで終わり

                あとは通常営業に戻った。

                 

                それで、自分でもとても不思議なのだけれど

                その3日の間も、それから今日に至るまでの間にも

                「子供がいなく寂しい、子供に会いたい」

                 

                と思うことはほぼ、ないんだった。

                (ごめんよ、息子)

                 

                一人暮らしは非常に快適で

                寂しいことも、辛いこともなく

                好きなときに寝起きして、好きなもんを食べ

                誰にも気遣いすることもなく暮らせるって、この天国なに? って思うことのほうが大きかった。

                これも、まったく想像していなかったことだった。

                いや、ほんと快適だよ。一人ってすごい。

                 

                 

                ただ

                 

                 

                その快適さの中に

                時折、何やら不穏な気持ちの動きが混じり合うことに、だんだん気づくようになった。

                 

                子供に会いたい、寂しい、とは違う不安定な気持ちのありかは一体何なのだろう? としばし考えていたら

                 

                ああ、それは

                 

                役割の喪失なのだ、ということに気づいた。

                 

                この「役割の喪失」については

                子供をアメリカに送り出したあと、一人暮らしをした時にイヤというほど味わった気持ちなのだった。

                だって、ごはん作らなくていいのよ、毎晩。

                明日の朝ごはん用意しなくちゃ、って前の晩に考えなくていいのよ。

                一人なら、なけりゃどっか食べに行きゃいいんだし。

                学校行事に気配りする必要もなく、帰宅時間に右往左往することもなく

                まあ、とにかく「未成年」がいることで心配りしなくちゃいけないことを、何一つしなくて良くなった時

                 

                なんか、ぽかーんとしちゃったんである。

                 

                ぽかーん。

                 

                 

                あれ?

                何もしなくていいの?

                 

                え?

                それじゃあ私、何したらいいの?

                って。

                あ、そうか。

                それがたぶん、「空の巣症候群」ってやつなのかしら。

                 

                特に私の場合は、子供の独立=一人暮らしなんで

                たぶん、そこにまだ兄弟が残ってるとか、夫がいるというのとはちょっと違うんじゃないかと思う。

                ほかにまだ家族がいたら、そこに向けての役割は残るけれど

                一人暮らしというのは、自分の用事以外、なーんの役割もないってことなわけで

                 

                その時代は私はなんか切なくて

                夜、一人で寝室に行くのがなんか哀しいから、居間に布団を敷いて上にこたつを置いて

                犬と一緒にそこでごはんを食べて、そのままずるっと横になって、テレビをつけたまま、寝たりしてたんだった。

                あはは。

                なんだ、十分このときは、寂しがっていて、子離れできたようでいてできていなかったんだな。

                すみません。

                 

                その後、息子が帰国して一緒に住んでるうち、彼は仕事をして経済的に自立したわけで

                その

                「子供にお金を渡さなくても勝手に生きてるようになった」

                ことは、気持ちと関係性に大きく影響したように思う。

                「お金」を渡している間は、子供はどこか自分の分身のような気持ちでいたのかもしれない。

                 

                まあ、そんなわけで、ひとつづつプロセスを踏んで子離れしてきたという自負があったので

                最期の最後に、家を出たあとで

                腰を抜かすとは思っていなかったんだった。

                人の感情って、いろいろおもしろい。

                 

                 

                なので、一人暮らしをしつつ時折感じてたのは

                「役割の喪失」という

                なんかちょっと切ないような

                「私がいないとこいつ、どうなっちゃうのか」という

                ある時期には負担にも感じていた義務感みたいなものは

                失うと、かなり切ないものなんだなあというような気持ちなのだった。

                 

                 

                 

                さて、まだ続く。

                 

                 

                とはいっても、私は仕事もあるし友達もいて毎日忙しく、なんといってもやることが満載なわけなので

                そこはかとなく役割を喪失してはみたものの

                落ちこむことも危機に陥ることもなく、上手に適応できたよん、と自負していたんだけれど

                 

                それが

                 

                この年明けあたりから

                微妙にゲシュタルト崩壊し始めた感じなのだった。

                 

                いや、やばい。

                かなり、やばい。

                 

                ぽかーん が

                しょぼーん

                になった。

                 

                 

                 

                なぜか。

                 

                 

                それ、犬がいなくなったからなんである。

                あ、死んじゃったんじゃないよ。

                 

                父が突然死んじゃったので、

                それにより、上記の私のプロセスを一切踏むことなく突然一人暮らしになってしまった母が

                かなりの精神的危機を迎えているにあたり

                我が家の愛犬は、セラピードッグとして実家に出張しているんである。

                 

                言い方を変えると、母に、愛犬を取られちゃったんである。

                (ま、そのうち帰ってくると思うけど)

                 

                 

                息子はいなくなっても、犬はいた。

                その生活から、犬がいなくなったら

                 

                なんていうか、

                私の役割は、ただ私のためだけにあるようになって

                そこで初めて

                ああ

                犬がいる、犬に食べさせなければ、長く留守番をさせないようにしなくては、風呂に入れなくては

                 

                と思っていたことが

                どれだけ私を生かしていたのか、ということに初めて気付いて

                 

                そういえば

                息子が生まれてから23年の間

                子供も犬もいなかった時間はまったくなかったんだ、私ということを改めて思った。

                 

                それはなんというか

                気持ちとか愛情とか感情の変化とか

                 

                もうそのレベルではなくて

                 

                習慣

                 

                の崩壊に近くて

                たぶん、最初から役割を持っていなければこんな感情は抱かずに住んだのだと思うけれど

                23年分やり続けてきたことで習慣となっていたものが、これまでのように「増える」のではなく、一気に「なくなる」という形で突きつけられることに、メンタルがついていかないのだな、きっと、と思う。

                 

                 

                そういう、なんかいろんなことが段階を踏んで、ひとつづつ

                え、そういうこと? みたいに自分の中に湧き出ていくわけで

                 

                それをあたかも「よくわかるわ、でもお一人は寂しいでしょう」なんて

                 

                一人になどなったことのない人に憐れみを含んだ口調で言われたりしたら

                やっぱり

                私は心の中で「ちがーうーだろー」と豊田真由子風に叫んでしまうと思う。

                 

                 

                 

                「おかあさんだから」の歌詞に多くの人が「ちがーうーだろー」と叫んだのは

                その中に

                本当にその場面の中に自分が立ったときに湧き出してくる、「えー、こんな気持ちって一体なに」とか

                「よくわかんないんだけど、辛いけどうれしくて、でもやっぱりしんどい」みたいな

                自分でもよく解析できない感情みたいなものが

                まったく垣間見えないからなんだろうなーって思う。

                (いや、まったくもって馬鹿にしてるわーって内容もあるんだけど、もうそれはいっぱい語られているので言わない)

                 

                経験したことのないことは

                やっぱり

                想像だけではわからないことがいっぱいいっぱいある。

                 

                だから生きてるって面白いし

                 

                でもだからこそ

                 

                安易に人の気持を決めつけることの怖さってものも

                忘れずにいたいって思うんだった。

                 

                世の中には、自分なんていうちっぽけな経験値では想像することもできない、膨大な人生のシチュエーションがある。

                「おかあさん」という、ほぼ一般的にみんなが理解しているに違いないと思うような存在でさえ、わからないこころの風景がたくさんあるのだから、ましてや

                病気や障がいや、生い立ちなどのセンシティブなことに対して、安易な想像で共感や応援をすることの危うさは忘れずにいたいなあと思う。

                 

                 

                 

                 

                ってなことで、現在ゲシュタルト崩壊中なんだけど

                でも

                崩壊すると、そこからまた新しい自分が生まれてくるんだなあ、ということも知った。

                 

                変化や喪失は試練でもあるけれど

                そうして初めて気づく自分の内側や、世界のありかたがあって

                ただただ、「増やす」「増えていく」ことだけに向き合うよりも

                減っていき、失っていき、崩壊していくことに向き合うことの豊かさというのも

                あるように思うこのごろなんであった。

                人生は、なんか不思議で愛おしい。

                 

                何がなんだかわかんなくなったけど、久しぶりに書いたので冗長だけどこのままで。

                おやすみなさい。

                 

                 

                 

                追記:

                少なくとも私の周囲だけでも、シングルで子育てしてきて、子供が独立して出ていったあとに

                役割喪失でへたりこんじゃった。。。。。。「なんてことまったくないんですけど!? 

                ぽかーんって、それ何? あんな面倒くさい役割なんてないほうが楽に決まってるじゃん。

                こんな楽な生活になれてほんとうれしさしかない」 って人はいる。

                 

                上記はあくまでも私が経験したことで

                そうだねー!って思うエッセンスはいろいろあったとしても

                家族構成とか仕事とか暮らし方とか

                いろんな意味で同じ体験なんてひとつとしてないんだと思う。

                 

                そういうの含めて

                「母親ってそういうもの」「子育てってそういうもの」という一般化って無理なんじゃね? 

                だって自分でさえ想像したことと違うんだから、と思ったのが

                この日記なんだった。

                そんなことを翌日の朝、読み返してみて思ったので追記しておく。

                 

                そんでゲシュタルト崩壊のあとには新しい習慣が根付いてくるわけで

                子供も犬もいない暮らしっていうのは、さらにさらに

                実は心地よく自分らしくて、こりゃもう経験したらやめられないもんだなあ、なんてことも

                思い始めている2月の朝なのでした。

                 

                 

                category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(12) | - | -

                「一人だったら絶対作らない」という食卓の背景には何があるんだろう? ってことを一人の食卓から考える

                2017.11.13 Monday 13:03
                0

                  インスタグラムにごはんの写真をたまに乗っけている。

                  なんでそんなことを始めたのかってことは前のブログに書いた。

                   

                  それで、そんなひとりごはん写真を見た人から、かなりの頻度でこんなことを言われるということがわかってきた。

                   

                  「一人なのによく作るねー! すごいよ。

                   私、もし一人だったら絶対何もしないと思う」

                   

                  みたいな。

                   

                   

                  それ、たぶん褒められているんだと思うんだけど

                  不思議なことに

                  そう言われたあとの自分の気持ちは

                  褒めてもらった時のように、ぽこっと脳内に小さなドーパミンの放出が起こることはなく

                  わあ、うれしいなあ、ありがとう! という気持ちが芽生えることもあまりなくて

                  なんだか、とても不思議な微妙な気持ちになる。

                  そう、どちらかというと、少し

                  凹む。

                   

                   

                  それ、なんでなんだろうなあということをずっと考えていた。

                   

                  言ってくれる人は本当に優しく本心で言ってくれているのはわかっているし

                  すごいなあ、えらいなあと思ってくれているのに変わりはなく

                  でも

                  その時に自分の中に芽生えるもの

                  そしてもしかしたら

                  言ってくれた人の中に芽生えるものというのは何なのか。

                   

                   

                  そんなことを今日は考えてみたいと思った。

                   

                  @楽しいと作りすぎるのが難

                   

                  かなり前のことになるけれど

                  5人家族の友人が

                  ほかの家族が全員出かけてしまって、昨夜は一番下の子と2人だけの夕ご飯を食べたのだ、と言った。

                   

                  そうしたらその子が

                  「お母さんと二人だけなんて寂しすぎる。こんな静かな夕ご飯は嫌だ」と言うので

                  「”まあ、なんてことを言うの。世の中にはそういうおうちもたくさんあるのよ。贅沢を言っちゃだめ”と怒ったのよ」

                  と話されたので、ちょっと(いや、かなり)ムッとして

                   

                  「うちはいつも ”そういうおうち” だけど?」

                   

                  と言ったら、悪びれる風もなく「そういうことじゃなくって私と二人じゃ嫌だってどういうことなの! ってことよ」と笑っていたけど

                   

                  その時の私は、

                  自分自身の状況に、ではなくて

                  ”そういうおうち” と、とっさにカテゴライズされてしまうメンタリティみたいなものに、ちょっとばかり凹んだ。

                  彼女の脳裏に「寂しい食卓」としてイメージされた風景は、我が家の日常ってことか、と。

                   

                  いや、言うほうは大仰には考えていないんだと思う。

                  ただ、私のような人生のプロセスを持つ人間にとっては、この手の

                   

                  「欠け」

                   

                  を無意識に指摘される言葉のようなものに敏感なだけなんだろうと思う。

                   

                   

                  似たようなことは、いろいろある。

                   

                  食べ盛りの子供を持つ人たち同士で

                  「毎回ごはんを5合炊いても足りない。コメの消費量半端ないよね?」 と同意を求められたので

                  「いや、うちは2合炊いて冷凍しても足りる」と言ったら

                  「はああ? 信じられない! ああ、なんてうらやましい」とすごく驚かれたけど

                   

                  その時も、ちっともうらやましがられている、という気がしなかった。

                   

                   

                  夫とか子供の数とか兄弟とか、いわゆる家族って構成のもの。

                  その「欠け」のようなものを、コメの消費量になぞらえて、ただ指摘されたという気になった。

                  不思議だけれど、自分自身の中にも、それは本来はあったほうがよいもので

                  持たない自分はそれをなんらかの「欠け」と認識してしまうのだなあということを

                  子育ての間はよく痛感したものだった。

                  子供に対する責任感からくる、離婚後の負い目みたいなものもあったのかもしれない。

                   

                  もちろん、離婚→シングルで子育て→今一人暮らし の私には存命の両親がいて、子供もいて、仕事も家もあり

                  「欠けている」なんてことを思うこと自体が無意味だと言うことはよくわかっているのだけれど

                   

                  ふだん自分がまったく気になんてしていないことを

                  何かのきっかけで外側の世界から

                  「欠けている」と指摘されたような気持ちになってしまうというのは

                  人の精神構造というのは不思議なものなんじゃなあ。

                   

                   

                   

                  ということで、たぶん冒頭の

                   

                  「すごいわね、私、一人だったら絶対に何もしない」

                   

                   

                  と語りかけられることは

                  その手の「欠け」の指摘につながる部分があって、

                  「一人であるわけがない」場所にいる人から

                  「あなたは一人」のメッセージを自分が受け取ってしまうから

                  なんとも不思議な気分になるのかな?

                   

                  と、まずは想定してみたんだった。

                   

                   

                  いやいや、ところがだよ。

                  これは全然的外れのような気がしてくるのだった。

                   

                  子育てを終えて、子供が巣立って、本当に自由にいま一人暮らしになってみたら

                   

                  「一人のごはん」って

                   

                   

                  ちっとも「欠け」ではなく、

                  私にとっては、それはもう楽しくて、面白くて仕方がないという世界なんだった。

                   

                  えっと、これはあくまでも「私にとって」だから。

                  嫌いな人がいても、苦手な人がいても、ぜんぜん、いい。

                  ただ、私にとっては、好きな時に好きなものを好きなように調理して食べて良い、というのは

                  何にもまさる楽しみだし

                  絵を描いたり文章を書いたりすることの延長線上にある、一種の創作活動なわけで

                   

                  だから、一人のごはんを作る

                  と言う行為は、義務でも苦痛でも負担でもなんでもなく

                  私には純粋な楽しみとして、日々の中に存在するようになった。

                   

                   

                  これは、

                  我が家が息子ひとりであったとしても

                  誰か別の家族のためにごはんを作っている時には

                  あまり感じられることのなかった感情で

                  だから

                   

                  ごはん作りに関わる気持ちのありかって本当に面白いな、と思うわけなんである。

                   

                   

                  「料理」をして食卓を整えるという行為自体は

                  こんなに豊かで楽しさに満ちているのに

                  それが「家族」に向いていた時代は、義務とか体面とかが不思議にからみあって

                  よくもわるくも、なんだか不思議なことになっていたんだなあ、と今更ながら思う。

                   

                  それは時には「大変だ」という辛さであったり

                  もしくは「夫や子供にはおいしいものを食べさせたい」という愛であったり

                  「忙しくてもちゃんと料理はしたい」という自己に向けた意地のようなものであったり

                  たぶん、子育て中にインスタがあったら、そこに手料理やお弁当の写真を載せて

                  「自分はいい母親なのだ」という自己確認をしていたかもしれない。

                   

                   

                  食べること、料理を作ること

                  ということの背景にある、そんな、いろんな気持ちの渦みたいなものは

                  子育てを終えて一人暮らしになってみたら、いたってシンプルなものになり

                   

                  コメの消費量とか食卓の人数とか

                  そんなことで自分の「欠け」を刺激されることはなくなった。

                   

                  ほんとに不思議だけど

                  まったく、なくなった。

                   

                   

                   

                  家族の分の食事を、毎日、人数分作り続けていくというのはほんま大変な仕事だと思う。

                  特に、日本で。

                   

                  だからそれに毎日取り組んでいる人にとっては

                  「一人だったら絶対にやらない」 ってのは

                  一人になってまで、こんな大変なこと、まっぴらごめんだよ! というメッセージなんだと思う。

                   

                  でも、もしかしたら

                   

                   

                  その中には

                   

                  「一人になってしまう」ことへの気持ちの回避も

                   

                   

                  実は混じり合っていたりしないか。

                   

                  一人暮らしの人に「よくやるね、私は何もしないよ」って言われても何も思わないのに

                   

                  一人ではない場所から

                  一人「だったら」やらない、と仮定されることに、私の気持ちが反応するのかもしれない。

                   

                   

                   

                   

                  私には今年84歳の父と、彼をプチ介護中の81歳の母がいて

                  その母が私によく言うんである。

                   

                  「いづみちゃん、ほんとにいいわね、ひとりで。

                   すごくうらやましい。

                   パパのごはん作らなくていし、自由に出かけられるし。

                   私も一人暮らししてみたかった。どんなに気楽か」

                   

                   

                  人生で、一度も一人暮らしをしたことがない人が、81歳になって一人暮らしの私を羨んでいるんである。

                   

                  そんな時には

                   

                  「一人で暮らす、一人っきりで生きて行くって、すごく自由だけれど

                   それには責任が必要で、それはとてもハードなこともたくさんあるよ。

                   私の自由は、それと引き換えに手に入れているもので

                   ごはん作らなくていいわねとか、自由に出かけられていいわね、とか

                   そういうこととはちょっと別のところにあるように思うよ」

                   

                  みたいなことを話す。

                   

                  一度家族を作って、そこから止むを得ず「ひとり」になり、

                  今日も「ひとり」で暮らして行くという過程の中には

                  ひとつひとつ乗り越えなくてはならなかった障壁のようなものがたくさんあって

                  一言では説明しきれない時間の積み重ねがある。

                   

                  そこには自分自身でさえも、実際に直面してみないと想像もできなかったというような

                  気持ちの変化や葛藤があったわけで、それを幾度となく経験しながら、今がある。

                   

                  自分の中にある、そんな「一人で暮らしていく」という軸のようなものの大切な一つが

                  食事だったりするわけで

                   

                   

                  だから、それはとても大事に

                  面白がって

                  まあ、やってるんである。

                   

                   

                  そこを

                  「一人だったら絶対やらない」

                   

                  と言われてしまう一抹の寂しさというか

                  たぶん

                  そんな感情が自分の中にあるのかもしれない。

                  それは相手への違和感というよりも、自分自身に対しての自負のようなものだ。

                  これは、ちょっとした気づきで、なんだか少し、自分のことが腑に落ちたような気になったのだった。

                   

                   

                   

                   

                  ちょっと内容は違うけど、以前友達が

                  「離婚した友達に、”大変だったわね、かわいそうに。困ったことがあったらいつでも言ってね”って急に集まってくるママ友たちがいたら、それはたぶんそれ言うことで ”よかった、私はこんなヘマはしないわ” って自己確認したいだけなので、放っておくがよし」

                  って言ってたことあって、それはかなりいぢわるな目線だけれど、言われてみればそれも人の感情の複雑さの一面かもしれない。

                   

                  自分の言葉の中にある、アンヴィバレントな感情とか

                  人の言葉から受け取る感情の不思議さとか。

                  そんなことにひとつづつ気づいていくというのも、生きる面白さ、楽しさだという気もする。

                   

                   

                  ってなことで、ごはんは一人でも作る人もいれば、作らない人もいる。

                  私は作ってはいるが、それは偉いことでも立派なことでもなく

                  ただただ、自分が楽しいから、そうしたいから、やっている。

                  絶対やらないと思う人も、本当に一人になったら、楽しく作るかもしれないし、作らないかもしれない。

                  でもそれは、本当に一人になってみてからでないと、あまりよくわからない。

                  私も、そうだった。

                  ほんと、ただ、それだけのこと。

                   

                  年齢を重ねるといろんなことがシンプルになっていく。

                  それはそれで、ええこっちゃ、と思ったりしてる。

                   

                  category:Dairy Tokyo | by:武蔵野婦人comments(2) | - | -

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                    武蔵野夫人
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                  • 一日で人生が激変する。そんな時みんなどんな気持ちだったのか、私、ぜんぜん知らなかったよ。
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                  • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
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                  • なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ
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